《 空想から科学へ 》 奧菜主義革命~ 革命的奥菜主義者同盟非公然ブログ

奥菜恵さんは、精神と肉体の両方から無駄なものをすべて削ぎ落とし、必死に舞台に立っていた

「老死も無く、老死の尽くることも無し、得る所無きを以ての故に」って、抹香臭っ!

2008年02月24日 13時15分36秒 | Weblog
高橋和巳『悲の器』は、チョー難解でした。


私がこれまでにこのブログ内で

「チョー」

なんて語彙を用いたことが有りましたか?


「有ったかもしれません」だあ?
う~~む。それくらい難解でした。


『邪宗門』は身につまされました。当事者意識を持って読了できました。
(ハンセン病に関する部分は時代背景をご理解いただいて、不問で願います。)
本文内に「般若心経」の引用があって、
こういうときに読みますと、仏典というのは心に響きますね。
さっそく、岩波文庫の『般若心経・金剛般若経』を取り寄せちゃいました。

これがまた輪をかけて、チョー難解なんよ、あなた。
高野山に向かうのは“南海”。
関東人は「南海」を〈難解〉と同じアクセントで読みますが、
関西人は〈何回?〉と同じアクセントで読む(らしい)。

で、その岩波文庫『般若心経・金剛般若経』を読んでて、心に残った部分。

「苦中に苦を離れ、楽中に楽を離る、
 かくの如く障碍なければ苦集滅道もなきにあらずや。
 苦は苦でよし、楽は楽でよし。
 苦楽空相なれば、
 苦あるときは苦に遇うてよし、
 楽あるときは楽に遇うてよし。」
 (湛道『心経決談抄』)


さて、この辺で高橋和巳を離れて、

次は、高橋源一郎の『優雅で感傷的な日本野球』





に行ったら私もたいした大物なんですが、
そういう思潮を抱くには、いまいち小物で、プチブルなんですね。
日和っちゃうんですよ。

次は広津和郎『松川裁判 上・中・下』に挑みます。

事件に深くかかわった方がご来頁していない
という前提でおちゃらけちゃいますと、

『共同謀議』

とか

『共謀共同正犯』

とか、こういう語彙が大好きなんですよね~。
ドキが胸胸しちゃう。

いや、胸がドキドキしちゃう。


さ~て、あと2時間もしたら、奥菜恵さんの上掲画像の待っている
シオンの丘に帰りましょうか。


また会いましょう。

後拾遺 和食『奥菜』物語

2008年02月23日 11時26分24秒 | Weblog
ここ数日の間で、世間に奥菜恵さんのことを思い起こさせるような出来事があったので、私がどんなことを書くだろうかと、楽しみにしていらっしゃる方には申し訳ありません。その話題は後回しです。

ご挨拶が遅れました。
これで、3度目の一時帰宅となりました。
いま、自宅にいます。


まずは、昨年和食『奥菜』様からいただいたお葉書を
ご紹介しておきたいと思いましてね。
昨年11月の訪問を計画した際、
営業時間・定休日等を問い合わせする手紙を私の方からお出ししたのですが、
その返信としていただいた葉書です。

「先日はお手紙ありがとうございました。
 おそくなりましたが、簡単な説明をさせていただきます。
 昨年三月にオープンいたしました(※)。
 店名の由来は父と姪の名前を一字ずつとりました。
 定休日は毎週火曜日です。
 営業時間は18:00~24:00です。
 カウンター席はお一人のお客様が多く、皆様気さくな方ばかりです。
 料理は基本的な和食を御用意しております。
 御都合よろしければ、御来店お待ちしております。
 奥菜店主 ○○○○
 博多駅より地下鉄姪浜駅(空港線)下車徒歩15分です。」

(※)昨年いただいた葉書なので、2006年3月を意味する。

以前も書いたとおり、
埼玉からの、気まぐれな問い合わせなんて無視されて当然、
と思っていましたので、
店名の由来まで明かされている内容に、とても感動したものでした。
だからどうしてもこのブログで取り上げたくて。
店主様、どうか私信を掲載することをお許しくださいませ。

福岡支部様、わざわざお店に足をお運びいただき、ありがとうございました。
可能なら、お店の雰囲気等、レポートをいただけたら、なんて思っております。



さて、後回しにした話題について。

市 川 崑 監督 追悼番組『犬神家の一族』(2006年作品)

見ましたよ。
今いるのは10時消灯の病院ですから、
松嶋菜々子さんと奥菜さんの身長差が話題にされてしまったあの場面、
小夜子が珠代に妊娠を告げる場面で
看護師さんにテレビを消されてしまいましたが。

かえるのケロちゃん(だったかな?)
を撫で撫でする場面まで見られなかったのが心残り。

とはいえ、市川監督特有の特大文字のクレジット・タイトルで

 「奥菜恵」

の文字が流れたときの、総毛立つような感動を再び味わえたし、
気のふれた母を押さえつけようとして襖ごと吹っ飛ばされる
奥菜さんの体当たり演技も再見できたし、
私は大満足だったのでした。



それから、藤田晋氏に対する脅迫事件ですか。

あれは、私は関与してませんからね。

あれは革命でも何でもありません。
社会の上部構造に鉄槌を下さずして、何が革命か!

それに、藤田氏に対する感情は別にして、
私はサイバーエージェント株ではもうけさせてもらいましたから、ハイ。

あと3万円くらい値上がりすると、
あの犯人の買値近辺に戻るんですよね、たしか。15万で買ったんでしょ。
なんで待てなかったんですかね。
記事の中だけから判断すると、信用取引ではなく、
現物取引だったと思えるのですが。
やはり待てないものですかね。

私、大和銀行株を高値掴みしてしまったことがあるんですけど、
1株50円を切るところで押し目買いを入れて、
結局わずかながら利益を出して、売り抜けた経験があります。
いま、隔急ストア株で同じことをやらかしています。
それじゃダメじゃん。

あ、これは50円まで行ってはいないですけどね。

お互い、株には苦労しますな~。


シオンの丘に帰ろう

2008年02月11日 14時23分25秒 | Weblog
さて、そろそろ病院に帰りましょうかね。


今回一時帰宅して感じたこと。

「我が家なのに、なぜこんなにも生活し難いんじゃ~!」


病院は生活しやすいですよ~。

①生活動線に段差が存在しない。

②部屋にドアが無い。これ、すごく楽っす

③トイレにはさすがにドアが有るけど、軽~く開く引き戸タイプになっている。

我が家は、いろんなところが狭い。寒い。水が冷たい。蛇口が自動栓じゃない。トイレの便座が低すぎ。

まっすぐ歩くだけなら100mや200m、屁でもないが、
ちょこまかと向きを変える動きはすごく不得意。
顔の向きを変えると頭の中がグルッと回る感じがするんです。
家の中では、どうしてもそういう動きが多くなってしまうんです。


私にとっての『シオンの丘』は
我が家、病院のどっちなんだろう?なんて思ってしまいます。


ま、とりあえず、奥菜恵さん直筆サイン入り御真影(上掲)が待つ
病院のベットに一旦は戻ります。


奥菜さん、そして同志諸兄、寒さ厳しき折ですから、どうぞご自愛ください。

え?私ですか?

大丈夫。病院内の気温ははいつでも25℃設定よ~ん。
まるで奥菜わのようなんだから。


再見!

突然意味も無く『嗚呼、りそな銀行よ!』

2008年02月11日 09時48分52秒 | Weblog
本当に何も意味はありません。

ただ、その昔、奥菜恵さんのテレかが欲しくて、
給与口座を大和銀行に開設したあと、

「どうもあの銀行は経営が危ないらしい」

といううわさを聞いて、リスク分散を考えて、
あさひ銀行にも第2口座を開いたときのことを思い出しまして。



この2行がその後合併しちゃうとは、夢にも……


こういう経済感覚の私が、よくもまあ株に手を出す気になったもんだと。


革命的奥菜主義は生ぜず滅せず、汚れず浄からず、減ぜず増さず

2008年02月10日 15時00分47秒 | Weblog
前掲記事に謂う奥菜恵さんの「日替わりお写真」のひとつを冒頭に掲げてみました。



さて、平日は私がどのような一日を送っているかと申しますと、
だいたいこんな感じです。

6:00  起床
8:00  朝食
10:00 O・T(手の訓練)60分
11:30 自主練20分
12:00 昼食
13:00 P・T(脚の訓練)60分
14:30 入浴(ただし月・木のみ)
15:00 自主練30分(入浴の日は行わず)
16:20 O・T(手の訓練)20分
18:00 夕食
19:00 自主練20分
22:00 就寝

さらに8:45、11:00、15:30にはテレ東で株価のチェック。
昼間は意外に忙しく、あっという間に過ぎていくのです。


ところが19:30以降の夜間と土・日・祝日は本当に退屈です。
そういう時間はテレビを見るか、読書をする以外にやることがありません。
この百十日あまりの間にずいぶん読書量をこなせました。

ただし、目の疲れは動き始めた腕・肩の筋肉硬縮につながるので、
10・11月には読書が許可になっていなくて、
許可されてからも20ページ以内、30ページ以内、
という制限が暫らくのあいだ有って、
今も「60ページを越えない」という自主規制を設けてはいるんですが。

発病後に読んだ作品のラインナップ。

夏目漱石 『明暗』 『彼岸過迄』
徳田秋声 『あらくれ』 『仮装人物』 『爛』 『縮図』
永井荷風 『腕くらべ』 『つゆのあとさき』

私の文学思潮が如実に表れていますね。
私を知る人なら、
「あいつらしいや!」と
ポンと膝を打つに違いありません。
このラインナップに、三島が入っても、太宰が入っても、志賀が入っても、
それじゃぁダメなんですね。私らしさがなくなる。

『明暗』は日本文学の最高峰だと改めて感じると同時に、
秋声はイイ!『縮図』が広津和郎をして、

「秋声に主観の窓開く。」

と言わしめたのも宜なるかな、と思い、また『仮装人物』を読み進めるうちに、

この人物も否定、あの人物も否定、…否定、否定、
と重ねられていく人間否定の果てに、ほのかに見えてくる
人間存在に対する秋声の滋味深い肯定

を感じることもできました。
これは般若心経に通ずるものが有るような気さえしました。
荷風の作品にはそれがありませんね。否定が冷たいような……。


今現在は、上掲三人を読み通してきた文学思潮をブッツリと切って、
わが奥菜主義を鍛え上げるために、
高橋和巳にのめり込んでいます。
既に『邪宗門』を読了し、『我が心は石にあらず』を読んでいる最中。
その次は当然のように『悲の器』ですよ。
そして『わが解体』へ。


私たちは秩序を破壊したいために闘争するのではなく、虚偽の秩序をより本質的な秩序に替えたいために闘う(『我が心は石にあらず』)

後になってみれば、すべては過ぎ去る時間の一齣にしかすぎなくとも、春や夏とともに冬の季節も人生にはあっていい。(『邪宗門』 ただし一部を改竄)


若者よ、高橋和巳を読め!

敷島の革命的奥菜主義をひと問はば
高橋和巳を読めとわれは答へむ






百十日あまりの間で私にあった大きな変化。


酒を一滴も飲んでいません。

当たり前か。


奥菜恵さんの身長くらいの数値だった最高血圧が
110ぐらいまで下がりました。

すごいすごい。


もっとすごいのは体重の変化。最太時は98kgだったのが、





今朝は77.8kg!

道で会っても、見落とすかもよ。



そうだ、今度奥菜恵さんにお会いする機会があったら、また、

「はじめまして!」

と言ってみよう。

「はじめてじゃない!」

と返されたら、




それはそれで、悲しいかも。

お題は『8月6日生まれの女神』

2008年02月09日 20時34分08秒 | Weblog
本日、発病以来2度目の一時帰宅を許され、自宅におります。

常連さん、お懐かしい方、初めての方と
たくさんのコメントありがとうございました。
涙が出るほど嬉しうございました。
勇気づけられました。

1件ごとにコメントをお返ししないご無礼をどうかお許しください。




さて、冒頭の画像のことなんですが、
ディビット・ロイド・グローバー画伯にお願いしていた、
奥菜恵さんの肖像画の3作品目です。
発病し、“主に治療”の方の病院に後送されていた最中の昨年12月10日に、我が家に届きました。

発注したのは梅雨時で、
株価がこんなに下落するとは思っていなかったし、
こんな大病をするとも思っていませんでしたので、
かなり金銭的な無理をして依頼した作品でした。

でも、3作品の中ではいちばん画伯らしいタッチで描かれているな~と、
とても気に入っております。




別の話題になります。
私の病床は奥菜恵さんの日替わり写真で飾られているのですが、
看護師さんの中には無明の人もいまして、そういう人は

「どなたの写真ですか?」

なんて訊いてきたりするんです。
(他人のプライバシーに口をさしはさむんじゃねー。)
とは思うものの、患者という弱い立場ですので、

「アメリカに留学した娘です」

と答えておくんです。
すると無明氏はさらに

「ずいぶんお綺麗な方ですね」

などと言ってきます。
(それは俺の娘がこんなに綺麗なはずがないと言外に言っていることになるではないか。)
と腹が立つものの、

「ええ、血はつながっていないんでね」

と答えておきます。


私は一片の嘘も申してはおりません。
「アメリカに留学した(ことがある)」
と言っているのであって、
「アメリカに留学している」
とは言っておりませんし、
28歳だからといって、少年や青年ではないわけだし、
ちゃあんと「血はつながっていない」と断わっているのだから。

清明な心で解釈すれば、
日本語は決して難解な言語ではない。