《 空想から科学へ 》 奧菜主義革命~ 革命的奥菜主義者同盟非公然ブログ

奥菜恵さんは、精神と肉体の両方から無駄なものをすべて削ぎ落とし、必死に舞台に立っていた

古屋先生」「アー、俺も古屋ダメだね」(トンネルにたどり着く)「あっ、花火やんだ」(空を見上げて

2007年02月12日 23時13分16秒 | Weblog
前掲記事に書き込んだ予定ほぼそのままに
本日の作戦を遂行することが出来ました。

渋谷:シアターコクーンに行き、newチラシをget!
その後は上野:鈴本演芸場夜席を鑑賞。

どうも鈴本では池袋演芸場に比べて、
噺家さんが噺を流しているような気がしてならない。
判官贔屓で池袋演芸場への愛着があるからかも知れないが、
なんか池袋の方が噺家さんの熱意と創意というものが
伝わってくるような気がする。
そうなるように客席を暖めてから本筋に入る
きめ細やかさが池袋で話すときの噺家さんには
有るように感じる。
客席との距離の問題もあるだろうし、
配分される持ち時間にも理由があろう。

しかしそれは話す側の理屈だ。
聴く側の知ったこっちゃ無い。
やっぱり私は噺家の息までが伝わってくるような気がする
池袋演芸場が好きだ。


さん喬師の噺は『幾代餅』でした。
夜の部主任が『天狗の裁き』のわけがないですよね~。
清蔵(だったっけ?)の心理状況合わせた人間味
の描き分けの見事さと
幾代太夫の色気を気負うことなく醸し出すところに
さん喬師の持ち味が十二分に発揮されていて、
いい話でした。

幾代太夫に会いたい、話しをするだけでもいいから、
という清蔵の思いには、私の奥菜恵さんに対する思いも
なんだか重なる思いがして、胸をえぐられた。
年に何回かは奥菜恵さんと言葉を交わす機会がある私は、
なんとも果報者だなあ。


ところで『幾代餅』とほとんどそっくりな噺に
『紺屋高尾』という噺があります。
なんでこんなにそっくりな噺が二つ存在するんでしょう?
不思議ですね。
こんだけそっくりなのに、
私は『紺屋高尾』の方に軍配を上げます。
(今日のさん喬師がどうこうということではないので
 誤解なさいませんように)
主人公が手の汚れの取れない紺屋の職人という点と、
三年分の給金(※)を貯めたという点とが無視できない差
なんです。私の場合。
その分現実味は『幾代餅』に輪を掛けて薄くなっていますが、
いいじゃない、落語なんだもの。
現実味よりも庶民の情にうったえるインパクト優先ですよ。


(※)『幾代餅』では一年分の給金になっている。


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