真鶴のしとどの窟、頼朝の房総行に貢献した湯河原の土肥実平(4)

2022-02-19 | 歴史、

湯河原山中の窟屋の他に真鶴港の近くにもう一つの窟屋がありました。

頼朝はここに実を隠して土肥実平等の協力を得て房総半島に脱出したと伝えられています。

真鶴の窟屋は頼朝の時代には奥行き130ⅿほどで大変広かったようですが、800余年の間に

地震やその他の自然災害、岩石の切り出しなどでかなり狭いものになっていました。

中には石仏があったように覚えています。

周りの人達が手助けをしたそうで、頼朝が手助けの内容に因んた姓を与えたという言い伝えが

あります。木の枝で入り口を隠したものには「青木」、食料の手配をした者には「吾味」身張り役には

「御守」だそうで真鶴に古くからある名字だそうです。下の看板にそのように書いてありました。

湯河原の駅から成願寺に歩いて行きました。途中にリゾートトラスト湯河原の脇を通った

ように記憶しています。熱海の近くの湯河原は温泉地としても有名です。

城願寺は、この地の豪族土肥実平一族の菩提寺です。古くからの歴史があります。

今でも土肥の地名がこの辺りに残っています。境内に登っていきました。

             

境内からの相模湾の眺め。

成願寺にある実平お手植えと言われている樹齢800余年のビャクシンの木

七騎堂は頼朝と共に房総阿波の国に船で逃れたという安達盛長ら主従7人を祀ってあります。



最新の画像もっと見る