いつも生き生きと前向きのIさにに魅せられています。

2019-06-28 | 交友関係

Iさんとは社宅ではすれ違いでしたが、この会のKさんの紹介でお付き合いが始まりました。

初対面で某美人女優さんにそっくりと感じました。でもその女優さんとは中身があまりにも大違いです。

美人で聡明で笑顔の絶えないそしてエネルギッシュな彼女とお話しをしていると、

いつも素敵なオーラを感じています。

大学を出られてから結婚までミッション系の女学院の英語の先生でした。

いつも感心するのですがIさんは仕事が早く整理整頓の名人です。

特に書類や写真などのファイリング能力?は素晴らしくお会いするたびに

短時間に整理されたファィルでわかり易く1年の経過を話して下さいます。

プレゼンテーションスキルってこれからの人にとって大事なことですね。

10年ほど前に軽井沢に集合した時の写真です。

 

そのIさんですが、お二人の息子さん達が小学校高学年の頃から、母校の先生の推薦で

学習院中等部で講師として英語の先生をされていたのでした。

秋篠宮さまのクラスも担当されたそうです。とても良くお出来になられたそうです。

その後も講師としてずっと無理のない範囲で多くの私大で教えていらっしゃいました。

大きなエネルギーとT大出の優しいご主人の理解と応援があってのことでしょう。

彼女は知力、体力に優れていらっしゃるけど、いわゆる先生タイプではなく、

茶目っ気も大いにある方なのです。今も多くのグループとのお付き合いもありお忙しそうですが

よくスケジュール管理されていて、私共とは家族も巻き込んだ主婦同志として本音で語り合っています。

私の知らない世界のお話にも花を咲かせたり、いつも啓発されて楽しく元気を戴いています。

元気な頃のSさん(右端)

 

 


Sさんの思い出

2019-06-22 | 交友関係

 4人の仲間の一番年長さんだったSさんは昨年の正月早々に天に召されてしまいした。

前年の秋に八王子のSさん夫妻との連絡が途絶えてしまい、Iさんがあらゆる手を尽くして調べて

下さった結果、千葉のご長男夫妻の広いお宅で終末期を向かえていらっしゃることが分かったのでした。

ご長男が電話での会話に異変を感じ、病院に連れていかれて診察を受けた時はもう手遅れで手術の出来ない

大腸がんだったとのこと。賢かったSさんがなぜ?実はご主人が認知症だと聞いていましたが、

最後の会の頃には彼女にも異変を感じていました。お嫁さんに「今月一杯持つかどうかわからない」と

言われて3人で1日かけて千葉の先までお見舞いに行ってきました。

Sさんは小柄ながらがっしりした体つきで先生が天職のような方でした。

若い頃から度量が広く性格が大らかで安定していてその知力、体力はずば抜けていました。

下のお子さんが年中組の頃に同じ学園の高校の講師となられて間もなく中高の教師になられ

定年後もベテラン講師としてお仕事を続けていらしたように覚えています。

郊外に家を建てられてからは勤務地まで1時間以上かかる通勤でしたが、ものともせず、

夜間の大学院で更に学ばれていたように覚えています。修学旅行とかホームステイなどの引率、

世界史か地理の先生でしたから海外によくでかけられ、中国からの留学生を自宅に受け入れて

いらしたこともありました。いつも私の何倍も精力的に動いていらしたのですが睡眠時間は

いつも3~4時間で十分だとのことで私も効率の良い体質になりたいと試みたりしたのですが無理でした。

テニスは大学時代からご主人と共通の趣味で最後の頃までクラブに入ってプレイされていたように思います。

80歳近くでしたが、力の限り活躍された人生だったと思います。

会うたびに、その活発な意欲と情熱そして私の5~6倍ある体力に圧倒されて元気を戴いていました。

天国では少しゆっくりされて私達を見守ってほしいです。


KKRホテル東京の上階でママ友ランチ

2019-06-16 | 交友関係

昔、都内の社宅に住んでいた頃、下の子の幼稚園時代のママ友とは助けられたり

助けたりの仲でした。子供が成長してそれぞれが社宅を出て別々の所に越していきましたが

その後、気の合う4人が年に1回、持ち回りで自宅でランチ会を開いて20数年になります。

4人のうちの2人、(SさんとIさん)はそれぞれ男児2人が幼稚園の頃からSさんは高校の教師、

Iさんは中高大等の英語の講師を続けこられました。専業主婦はKさんと私という構成でした。

年に1度の活動報告、現況報告会なので歯切れのよいスーパーレディ2人にリードして頂き

毎回、家族や孫の写真も持ち寄り活発で啓発されることの多いそれは楽しいく刺激的な集まりでした。

最近は年も取ってきたので自宅での手料理からレストラン等での外食が多くなっていました。

今年は皇居の近くの気象庁の斜向かいのkkrホテル東京の12階で集まり写真を撮ることも

忘れてお喋りしたのでした。ランチは¥2000~3000でお手頃価格なのです。

只、今年からSさんの参加がなくなり淋しくなってしまいました。

 

 

 


「激動の幕末から明治を几号(キゴウ)水準点と共に歩きました。

2019-06-09 | 歴史、

今年からNPOの「てくてく探検隊」に入って歴史散歩に参加しています。以前の梶先生の

街道歩きで「東海道」53里を京都に向かって一緒に歩いていた頃の仲間のKさんご夫妻が

同志と共に立ち上げられた(rapch)には今回6月2日(日)は3回目の参加でした。

生憎、前日の午後から風邪っぽくて体調が悪く腰の痛みと7度6分の熱が出てしまったのですが、

今回は絶対に欠席出来ないと念力をかけて、風邪薬と睡眠導入剤を飲んで早めに寝ました。

それというのも今回の講師は、あの女子校改革で有名な品川女子学院学校長の仙田直人先生なのです。

それに東海道歩きの頃の友人達とも久しぶりに一緒に参加を約束していました。お陰様で翌朝は

元気に立ち直り参加することが出来ました薄曇りで暑くもなく歩くのには最高のお天気に恵まれました。

仙田先生は飾らない60代の精悍な方で良く透るお声でわかり易い説明をして下さり

最高の1日でした。神谷町駅集合で約40人位の参加者で先ず青松寺へ向かいました。

慈恵医大のお向かいです。都心にこのような美しい緑があったのです。

続いて愛宕神社へ。以前は臆せず出世坂、男坂を上りましたがエレベーターがあると聞きそちらへ。

測量土木関係のお雇いイギリス人の記した几号をあちこちで発見しました。マニアックな

探検なのです。虎ノ門の文部省脇に残る工部大学址碑→地下鉄階段に残る江戸城外堀石垣→

外務省→旧井伊家上屋敷跡→県政会館庭園の几号→桜田門外の現場=警視庁前あたり→

几号(キゴウ)水準点↓

日比谷公園→鹿鳴館跡は帝国ホテル隣

昼食後は→和田倉門→大手門几号発見→皇居東御苑→富士見櫓→松の廊下跡→本丸跡→

江戸城天守台几号→平川門出る→竹橋門で几号確認→北白川宮能久親王像→旧近衛師団司令部庁舎→

北の丸公園→清水門→大隈重信侯雉子橋邸跡碑→常燈明台→大山巌像→最後は靖国神社。

実はくたびれて途中でギブアップしたくなったのですが、最後まで歩き24000歩

(今年初めての記録)が達成出来て大満足でした。