アスパラガス、新茶、ジューシィー 大地の恵み

2021-05-29 | 健康

昨日1回目のコロナワクチンの接種を受けました。昨日は受けた箇所がずっと痛かったのですが、

丸一日経ってみたらかなり良くなり、ラジオ体操も普通に出来ました。頭痛も発熱もありませんでした。

毎年北海道の連(むらじ)農園にアスパラガスを予約して取り寄せています。

今年は天候の遅れで成長が遅かったのですが、待ちに待った大好きな 

アスパラガスが到着、いろいろな料理で美味しく楽しんでいます。茹で過ぎないことがこつとか。

娘のところと分け合ってもう少なくなってしまいました。

5月始めには、やはりいつも予約している政貴増田園から「狭山新茶」が届きました。

煎茶はカナダの友人の誕生日が5月13日なので到着を待ってすぐに荷造りして送っています。

1才違いの彼女と私ですが、年を重ねてから体質の変化なのか二人とも、煎茶しか

飲めなくなってしまったのです。コーヒー、紅茶、ウーロン茶などが身体に合わなくなってしまいました。

ある方に戴いて増田園の美味しいお茶の味わいを知ってからは、お茶は主にこちらで求めています。

そうしてこちらが長崎からの季節の贈り物のジューシーです。文旦の偶発実生だそうです。

偶発実生とは偶然に発見された、優れた形質を持つ実生の果樹で突然変異で発見されたようです。

熊本では河内晩柑(かわちばんかん)とも呼ばれ晩成の柑橘類という事で産地によってさまざまな

名称がついています。愛媛や熊本で主に栽培されています。今が最盛期です。

河内晩柑の形は下膨れの短卵形で、大きさは200~500g位。皮が分厚く廃棄部分が多いので

あまり一般的ではないようです。皮は柔らかく、手で剥くことができ、果肉は淡黄色で果汁が多く、

さっぱりとした甘味が何とも言えずジューシーで手間をかけて剥いた甲斐を感じます。

市場に出回っているものは種無しが主ですが、ここにある知り合いが苗木から育てたものには種があります。

庭に植えてみて育つか試そうかと思っています。この季節の大地の恵みに感謝しています。

 


コロナ禍で就活中の孫娘達。

2021-05-22 | 家族、孫達

近くに住む双子の孫娘達は早いもので理系大学院の2年生になりました。

昨年の今頃から(コロナと同時に)就活が始まったと思います。インターンシップといって

興味のある企業に応募して短期間、その企業の説明や研修を受けるシステムのようです。

実際の職場の概要を知ることが出来ていいシステムだと思います。

会社関係に疎い二人ですが、随分多くの職場を体験して社会勉強をしたようです。

何日か泊りがけで行くこともありました。企業側も採用の参考にしていると思います。

私は応援のつもりで分厚い「会社四季報」などを差し入れしたりしました。

(世紀末のバブル時には、株式投資で大損ばかりして、親の遺産で辛い学習をした経験があります。)

今年に入ってWeb面接などが始まったようで、B子は早々と本命の企業から内定を頂いたそうです。

A子は専攻分野や希望企業がコロナ不況に遭っているところが多くて、採用を絞っいる企業が多く、

いくつか内定は貰っているのですが、未だに就活が終わっていない状況で

コロナ禍に度々あちらこちらの面接に出かけているようです。

6月にいるといよいよ絞られていくのだと思います。

国家公務員の試験には受かっているので祖母の私はそちらで活躍してほしいと

思っているのですが、本人も娘家族も全然その方には興味がないのです。

仕事量の割りに収入がよくないそうです。又親子共に地方勤務を望んでいないようです。

若い人達は特に女子は親元を遠く離れることに抵抗があるようです。

確かにそれは分かりますが。ジェンダーとかダイバーシティとかこれからは女子も

腰掛就職ではないので、真剣に取り組むことになります。

 

 


かかりつけ医から電話がかかってきました。

2021-05-16 | 健康

凄まじい集団予約開始日を間近かに控えて、鬱々とした気持ちでいましたら

かかりつけ医のS子先生から電話がかかってきました。

2~3週間程前に、夫の診察についていった折、看護師さんにコロナワクチンのことを聞いたら

「名前をこの表に書いておいて下さい。ワクチン接種の予定が立ったら電話を入れます。」

と云われて夫の名前を書いておきました。

開業医にワクチンが回ってくるのは大分先のことだろうと、あまり当てにしていなかったのですが

先生自ら電話をかけて下さって、夫婦共に5月末に1回目、6月半ばに2回目の予約を

取って頂きました。未だ先のことですが、やれやれ少しほっとしました。電話もWebも

何れの予約取りも疲れるのです。近所の高齢者も開業医でコロナワクチンを打って貰われる方が

多いようです。考えてみると、その為のかかりつけ医ですもの。

留まらない第4波やオリンピック開催や衆議院選挙を控えて、政府もやっと危機感を

感じて本腰を入れてあらゆる手段を使い始めたのでしょうか?

1人でも多くの方が早く接種を受けることが出来て、オリンピックを迎えることが出来たらと願うのですが。

 


年初から我が家の家電製品等はトラブル続き。

2021-05-07 | 家電 IT機器

コロナ禍で家電製品が売れているそうです。

偶々我が家では年末年始から生活家電製品はじめパソコンソフト等に次々にトラブルが続き

後始末に追われてしまいました。もうこの辺で終わって欲しいと疲弊しています。

先ずは長年愛用している年賀状ソフト「筆まめ」、6~7年前のものを最新のものに買い替えたのですが

使い勝手が余りに異なり行き詰まってしまいました。最近大きな別の会社に買収されたようで、

以前と使い勝手が異なり、結局、慣れている7年前のものに戻す羽目に。多大な時間と労力と費用を

かけて最新のもの必ずしもが自分にとって相性がいいものではないと学習しました。

 

続いてエアコン、ポンプと以前のブログにも載せた様に取り替えや修理が必要でした。

次は愛用のオーブントースター、こちらは実際は器具そのものではなくて、実はコードの

差込口が故障していたのですが、私は量販店の方の情報を「生産中止になる」と早とちりして

パニックになってネットで購入してしまいました。

このトースターのオーブン機能は、予熱に時間のかかる大きなオーブンレンジよりずっとよくて

調理時間も早いので私は専ら頼り切っていたのです。結局まだ使える古い方はそのまま予備として

保管しています。

新しいオーブントースターですが、火力が強くなっていて、オープントースト等が

加減しないと焦げ気味になります。やっぱり古い方のトースターに戻そうかと思案中です。

そして3月末には購入後2年のサイクロン式掃除機が時々動かなくなり、遂に作動しなくなったので

慎重に様子を見て相談しました。一応5年保証を付けていましたので時間がかかると言われましたが

修理に出したのです。(こちらは無料でモーターの取り替えをしてで新品同様になって戻っってきました。)

他にマキタの掃除機と古い掃除機があったのですが、その時、ジャパネットタカタのダイソンの

コードレス掃除機のチラシが飛び込んできました。家族の反対もあったのですが、1階と2階に其々

備えたかったのです。(妹が掃除機を移動中に階段で転んでアキレス腱を損傷した事があったのです。)

長崎で創業されたタカタさんへの応援の気持を込めて、注文したのです。これが当たりだったのです。

捨てようと思っていた古い掃除機の下取り額が¥20,000ということで税込み¥41,230で購入出来ました。

取説は3~4枚位で始めは使い勝手に戸惑ったのですが、電話やYouTubeでの解説で

シンプルでセットしやすくゴミ捨てがとても楽なことが嬉しかったです。

トップが少し重く感じていますが持ち方に慣れると、気にならなくなりました。

吸塵力が抜群なのです。こんなにゴミがあったのかと驚くばかりのゴミを吸引するのです。

日本人の体格に合わせた作りだそうで、それでも動かすにはある程度体力が要ります。

私は左手で持って右手を添えるように使っています。前の掃除機も修理完了しているのですが

ダイソンの方にに手が出てしまいます。お掃除が少し楽しくなりました。


本当は「火葬場にたつ少年」

2021-05-03 | 歴史、

2019年11月にローマ教皇が長崎に来られて「戦争がもたらすもの」として

世界に発信されたこの写真はアメリカ軍カメラマンのジョー・オダネルが

被爆後約2ケ月の昭和20年10月中頃の日中に撮影したものだということが

今回の調査で分かったそうです。

 

 

 

オダネルは次のように説明しています。

「遺体を火葬する焼き場で弟を背負う少年に出会った。

小さな体はやせ細り、ぼろぼろの服を着て裸足だった。

背中には(死んだ)幼い男の子が括り付けられていた。

少年は焼き場の淵まで進むとそこで立ち止まった。

係員は背中の幼児を下し足元の燃え盛る火の上に乗せた。炎は勢いよく燃えあがり

立ち尽くす少年の顔を赤く染めた。少年は気を付けの姿勢でじっと前を見続けた。

急に彼は回れ右をすると背筋をピンと張り、まっすぐに前を見て歩み去った。

一度も後ろを振り向かないまま」と。

孤児となって共に生きてきた弟を亡くし遺体を焼いた少年にはこれから先

生きていかねばならない現実があり泣き言は言っていられなかったのでしょう。

調査によると、少年には一定以上の放射線量を浴びることによる鼻出血が

あったのか、鼻栓らしいものが見られたそうです。

撮影場所はほゞ特定されていて(2説あり)、今回のコンピューター調査では

長崎市北部、道ノ尾、長与、大草方面となっています。

 

道ノ尾駅は私が戦後住んでいた住吉町から12~15分位北で土地勘のある場所です。

大草は伊木力ミカンの産地です。

僭越ながら私の感覚では原爆の被害が大きく及んだのは道の尾駅あたりまでです。

道の尾駅のすぐ近くには、戦争孤児収容の向陽寮があります。

その頃まで少年が生きながらえていたら、こちらに保護されたでしょう。

「どんな大人に出会えたか」又「どこに引き取られたか」によって

生死が分かれたと言われています。

(一部資料はNHKETVにお借りしました。)

 

 


焼き場にたつ少年

2021-05-01 | 歴史、

先頃、年賀状の整理をしながらお年玉の当選調べをしていました。そして

長崎市の小学校の旧友Wさん(10年前に60年ぶりに再会した)に久しぶりに、

ご無沙汰伺いに電話をしたのです。Wさんは大病を克服後、明るく元気な昔の

社交性をを取り戻していました。お互いの無事を確かめた後、彼女は

堰を切ったように昨年の88日にEテレで放映された「焼き場にたつ少年」に

纏わる話を聞かせてくれたのでした。

(原爆で幼い弟と二人、孤児になった少年が被爆から、凡そ2か月後、亡くなった

弟を背負い近所の焼き場で順番を待っている写真、ローマ教皇が来埼された折、

「戦争がもたらすもの」として世界中に発信された写真です。)

私はその番組見ていなかったのですが、終りのほうで話をされていた方が

名前(Zさん)年齢(81才)とあって、彼女の中学校での同級生だとすぐ分かった

そうで、その後、伝手を辿って連絡を取ることが出来たのだそうです。

Zさんは原爆で戦災孤児になり「向陽寮」という施設でお母さんと慕う

餅田千代寮長さんの下で育ち地元の学校に通っていたのでした。

そして今も健在で数少ない当時を語れる方なのです。

小学校の頃を振り返ってみると、私のクラスにも「向陽寮」から通っていた男子

同級生が2人いたことを思い出しました。年齢が12才上なので存在感があり

クラスでは皆一目置いていました。2人共、明るく頼もしい生徒で

寮での団体生活がよかったのか精神的にも落ち着いていたと思います。

M君は中学卒業後、自衛隊に入隊したそうです。

H君はお菓子屋さんになったとか聞いています。

その後Wさんが「是非見て」と上記のNHK-Eテレの「焼き場にたつ少年をさがして」の

DVDを送ってくれたのです。このドキュメントは涙なしには見られません。

NHK長崎放送局の制作だと思いますが、再放映があるといいと思います。

Wさんとはラインで繋がり、彼女が続く情報を送ってくれたのです。

こういう話題は我が家の娘達や孫達には余りピンとこないようです。

確かに若い人達はこれから先の不確実な人生を乗り切ることで

精一杯なのだと思います。

向陽寮の餅田寮長の記録が [戦争孤児の母になる 餅田千代」という

題名で、来る5月8日(土)午後1:00~2:00にEテレで放映されます。

地味な番組でしたが、よろしかったらご覧ください。朗読は上戸彩さんです。