語学は「語楽」--英語を楽しく学びましょう

英語の学習をしていて、「おや?」と思われる点について、みんなで考えてみたいと思います。

知力

2013-07-17 22:04:58 | 英語の学習と研究

 今年の高1生から文科省の学習指導方針が学力シフトに動くのはいいのだけれども、国を立っているという意識のない子供にすべてをおしつけるのはどうなのか。基本的に私のスタンスはどんな学校であれ高1生徒は「バカ」扱いである。こんな学年は初めて持つとか、「コンナバカ学年は初めてだ」とか絶叫する。
 私自身高校ではそんな扱いだった。それが生活・学習の改善ともう一つ「刺激」に繋がると思っていたからだったのだが。でも、よく考えると夏目漱石の言葉が思い起こされる:「内発的」なるものに対する「外発的」なるものの対立である。
 外部からの刺激は規律であり管理だ。外部からの外発的ものである。一方、好奇心とか~が好きだという気持ちで何かに望む場合は内発的な衝動によるものであろう、後者をしてよしとするものであるが、情報にまみれている高校生には無理な要求か。私はあと4年で退職である。もっと授業を哲学的なものにしていこうと考えているのだが無理だろうか。


些事翩翩

2013-06-18 22:56:49 | 英語の学習と研究

採点に追われ、学力向上「対策」に追われ、あれにもこれにも追われています。

あと4年で退職なのですが、なんなのですかね。ポイントはなんたらプロジェクト発案者とそれに同意する側との間には全く敵対心がなく、「いいんじゃないの」という雰囲気でことが推し進められうところなのですかね。ここは緻密に考えたほうがいい。教員が読書する時間が減った、英語の先生が英字新聞・英字雑誌を読んでいないというのは私にとっては異常事態です。活字に目を追っている教員数が多いほうが校内の知的ボルテージはあがるし、教師が生徒を叱る機会も少なくなるのでは。まあ、私の場合は皆様御存知のように罵詈雑言を浴びせかけておりましたが一応活字は読みかつ書くという実に知的生活を送っておりました(古川です)。

明後日新学習指導要領のなんたらリストの研修に行ってきます。なんたらリストを作ることで英語教育が改善すればそれにこしたことはないのですが、文科省の腰巾着みたいな奴らの話を聞くわけですが、まあ時間の無駄であることは間違いなく、学年の先生にはご迷惑をかけての出張なので恐縮しております。ただ時間を持て余しそうなので最近購入したキンドルでBBCラジをでもを聞いていようかなと思っております。


ありのままの自分を受け入れる

2013-06-14 22:28:11 | 英語の学習と研究

今日2本目。

自分のことを自分が信じられなければ、二進も三進もいかなくなる、というのはみなさんご存知。若い時は自分を信じてください。それでいいのです。多少生意気でもいいのです。自分の意見が言えない人間にろくな奴はいません。労働運動OK、ストライキOK、上司との激しい対立OK、恋人との喧嘩OK。若い時は、まず自分を素直に受け入れること。英語が不得意である自分を受け入れる、家族との関係がギクシャクしていてもそんな自分を受け入れる、恋人を裏切った自分を受け入れる(!これについては、別途用意があります)、とにかく自分を受け入れるのです。そこから全てが始まります。

最近年齢のせいか物忘れがひどくて、自分自身の存在すら意識下にない時があり、パソコン画面に付箋紙として役立つアプリを常時つけております。『博士の愛した数式』に描かれているような晩年を過ごすのかなという不安もありますが、あれはあれで充実した一個人の人生でもあるなと昨今思うことができるようになりました。そんな自分を受け入れながら私は暮らしています。たまにやってくる生保のおばちゃんは、がん保険、高度医療保険、最新がん治療保険などを薦めますが、織田信長の「人生50年」はとっくに過ぎていることだし、一応、ひょっとしたらお釣りで生きているのではないかと思うことすらあります。

若い頃に眼科でド級近眼の診断を受け、メガネ店で「年取っても近眼者は老眼にならないからね」と言われ、その言葉を信じていたが実は嘘であったことが老眼になった時に知りました。だからといって、そのメガネ店に苦情は言いません。というより言えないのです。2011/3/11で流されてしまったのです。跡形もなく…。

なんというか、人生ってそんなものなのです。理詰めで考えてどうこう出来る部分がある一方で出来ない部分もあるのです。


出藍の誉れ

2013-06-09 20:19:52 | 英語の学習と研究

 ここ2日スリリングな知らせを2つ受けている。
 
 一つは、F高校64回卒業生のOさん(某県立医科大学・医学科進学)が準硬式野球部の2塁手を務めているという知らせである。Oさんは女子。わが教え子で2人めの女子大生野球部員である。ブログを見ると、唯一の女子選手ということである。2塁手を任されているらしい。大変なポジションである。私も一応昔野球部の部長を2年間だけしていたことがあるのでわからないことはない。
 
 T大学に入学しすぐに硬式野球部に入部したもう一人の教え子Tak女史の話では、誰もいなくなったロッカールームでの着替えやら、男子と同じ負荷の練習は厳しかったとあるが、それ以上の苦労があるに違いない。しかし、普通のお嬢さんがしない、あるいは考えないことを実践する勇気にひたすら感動すると同時に誇りに思う。頑張れ、Oさん。
 
 もう一つは、今から4半世紀前に仙台のSan女高で同僚だったAET(Assistant English Teacher, 現在ではALTと称される)の活躍である。
 
 昨日偶然にも朝日新聞を読んでいたらソニーがPlay Station 4をリリースするという知らせが目に入った。そのソニー系列の企業のCEOのインタビユウ記事であるが、A . H. という名前には馴染みがあった。写真が載っていたのでしげしげと眺めるとあのAndy(犬ではない)である。早速熊本県の某大学言語学准教授(米人でアンディと同時期に日本に来た元AET。ちなみにAndyはOxford大学英文科出の英国はウエールズ出身。)にメールで報告したら現在ベトナムにいて他の元AETと連絡が取れないということなので、ほうぼうにネットワークがあるようなので居所を確認してほしい旨を頼んだら、「了解!」との返事が来た。持つべきものは「飲み友達」、まあ、20代最後の頃(昭和の最後の頃と言い換えてもいい)は当時のAETと連日のごとくにメキシカンパブ、ワインパブ、居酒屋でグタグダしていた。アフター5は日本語での生活はほとんどなく、ほとんどが英語だったというと「格好いい!」と言われるが、景気が良かった・独身だった。明日の授業のことだけ考えればよかったという点だけで、私もAETも日本の英語教育を何とかしようなどとは思っていなかったし、その余裕もなかった。ひたすら享楽的な生活を遅れる時代があったのだ。

 これが、バブル期の日本の姿である。

 バブルを知らない若者に対しては憐憫の情が湧く。かと言って公務員である我々もバブルを享受したかというと、それはない。上述したように独身者はこの世の春を満喫したかもしれないが、民間企業のボーナスは当時我々教員のボーナスの2~3倍、いや4~5倍で我々公務員の給与は低く抑えられていた。したがって住宅を購入できる年齢も民間企業に務めている方に比べれば相当遅い時期になるのである。私の親父(故人)がマイホームを購入できたのは定年の数年前である。


  


新学習指導要領

2013-06-07 23:02:49 | 英語の学習と研究

続けて書く。

文科省の定める「学習指導要領」は私が教員になりたての頃はガイドラインの意味合いしかなかたったし、それ以上の意味は持ち得なかった。英語の時間を野外遠足に充てることもOKだったのである。私の初任地はS女子高校のZ分校で音楽と英語を教えたが、専門の英語の授業がわからない、専門外の音楽のほうが楽しい、なぜなら野外での合唱があるからということで、管理職は私の英語力を相当疑問視したようである。赴任2年目にはロックバンド部の顧問になってしまった。まあ、それはそれで楽しい思い出があり、いまだに当時の教え子と温泉地で同窓会をもったりする機会があるのである。

今の教育環境は「数値目標」。さて、何を数値目標にするのか?この辺は校長と個々の教員との間での秘密事項なので詳らかにすることはできないのであるが、(今の立場でなければいつでも明らかにする準備はできておりますが)考えられるものはいくつかありますね。国公立大学に何人入れるかとかそんなくだらない目標ですね。でも、たとえば、何HZ以上の音量で音読ができるとか何分以内に1ページ分の英文が音読できるか、そんなところが現実的な目標ではないかと思うのですが。

指導要領ごときに法的拘束力を与えたのは結果的には「日の丸・君が代」問題であり、「国旗・国歌法」であり私はこれに相当深く関わりました。そのため人生が大きく変わりました。「君」とは天皇ではない、と終始言い続けてきた政府関係者はあるときから手のひらを返すがごとく、当然天皇である、靖国だそれやれ、国旗・国歌法案だ、教育基本法改正だ(ここまで完了しています)、なし崩し的に来ていますね。自民党の参議院選挙での公約が注目されます。ここで改めて見つめたいことが2つあります。
 1 大学入試から英語を外し、「TOFLE」を導入すること
 2 英検等外部試験の結果の利用
 3 CAN-Do-Listの作成

こちとらそんなに長生きできるわけではないので適当にあしらっていく覚悟。


小説はもう少し後になりそうです

2013-06-07 22:19:25 | 英語の学習と研究

曇天で雨でも降り出しそうな天気でしたが、仙台はなんとか持ちこたえました。

今日は金曜日。5・6時間目は総合的な学習の時間とロングホームルームの日です。総合は『進路の手引き』を使ってのクラス単位でのオリエンテーション。私も担任の頃は燃えた時間の1つですが、クラスがないと寂しいですね。

6時間目のロングでは校歌2回めのLHR。当初体育館で実施する予定でしたが、私の安請け合いで他学年との場所チェンジを余儀なくされましてN先生には多大なご迷惑をお掛けすることになりました。N先生ごめんなさい。N先生・合唱部・吹奏楽部・放送部・1年3組の司会者の協力を仰ぎ279名の大合唱団を見事にまとめ上げることができました。1~4組の音楽クラスでは校歌練習はすでに済んでいたので、彼(女)らの協力を仰ぎ、美術クラスでソプラノ・アルト・テノール・バス(ベイス)に分けながらそれぞれに短い練習ではありましたが、最終的に見事な和音が完成していました。前任校では合唱部の顧問でしたがこんな短時間でハモル瞬間を捉えることはありませんでした。

歌う学年、歌える学年として頑張って行きましょう。

余談:
地下鉄を降りた所でF高校の教え子に会いました。なんか、元F高生を一目見ただけでエネルギーが充満します。現在M高校の1学年主任をしておりますが、F高卒業生233名(高校64回生)は全員顔も名前も覚えているのでシカトしないでください。


無題

2013-06-04 21:38:06 | 英語の学習と研究

 なんとも些事翩翩に追われ、遊びのない毎日を送っています。曰く、All work and no play makes Jakck a dull boy.とか。遊び心がなくなれば絵は絶え、詩歌は生まれず、音楽も途絶えます。ひたすら数値目標に向かい身を削り生きていくことになんの価値有りや、と言って椅子やテーブルをひっくり返して辞表届けを出す、などという勇気はもはや私にはありません。それがいくら正しくても生活が許しません。
 教員になりたての頃は、怖いものなしというか、Fools rush in where angeles fear to tread. ストライキ・デモ・なんでもありでした。家出した生徒を探して、他県の風俗店で働いているらしいというかすかな情報を手がかりに、当時のトルコ風呂の入り口で2万円払い(自腹です!)本人と面接をしたことがあります。別れ際に「先生、遊んで行かないの?」という言葉が哀しい響きを持って今でも耳に残っています。
 教育のベースは学力をつけることであることは等しく誰もが認めることだと思うのですが、どうもそれだけではない、感性とか逞しさとか周りとの協調性であるとか、いやそれ以上に現状突破力というべき力といった数値化できない部分も関与しているのではないかと思うです。昨今流行らない考え方ではありますが、あと4年これで突き進みます。


敬愛する先生の言葉を再録します

2013-04-30 17:34:51 | 英語の学習と研究

 「単語集で単語を覚え文法・語法の問題集で基本原理を理解しないまま答えを覚えるだけ」というのが大多数の受験生の勉強法であるように思えてならないが、もしそれで英語ができるようになるのであれば、全員がそうなるはずであるのに、現実にはそうなっていない。
 勉強しているのに一向に効果がないのは、その勉強法が間違っている何よりの証拠にほかならないが、それにもかかわらず、ほとんど誰もこの効果のない勉強法を改めようとしない。
 最多数が採用している勉強法がまさか間違っているとはなかなか考えにくいために、「勉強の効果が顕(あらわ)れないのはまだ自分の努力が足りないからである」と健気(けなげ)にも反省して相変わらず同じやり方を貫き続けるところは、ご利益(りやく)のまったくない「宗教まがい」のものに入信して高価なを買わされたり、高額のお布施を払い続けたりするのに何だかよく似ている。
 結構な額のお布施を払っても一向にご利益(りやく)がないのは、その「宗教まがい」のものがインチキ極まる文字通りの「まがい物」である何よりの証拠であるのに、そうとは露思わず、「ご利益(りやく)がないのはまだ自分の信心が足りないからである」と殊勝にも反省ばかりして、いつまでもお布施を払い続けた挙句、全財産を巻き上げられるということになっては元も子もないが、「単語集で単語を覚え文法・語法の問題集で基本原理を理解しないまま答えを覚えるだけ」という英語の勉強法にも同じことがあてはまるように思えて仕方がない。
 英語の勉強に関しては、断片的な単語の知識をいくら増やしても、文法の知識が欠落しているために英文を全体として把握することができなければ、「読めない書けない点取れないだから受からない」という不幸からいつまでも解放されることがない。
 何よりも大事なのは、英文法の知識を土台にして、英単語ならぬ「英短文」を数多く覚えて英文を全体として把握することを習慣づけること、そして「紙の辞書」をマメに引いて記事を貪欲に読むこと。それさえできれば、勉強量に比例して「語彙力」を含めた「英語の総合力」が面白いように伸びて、「読める書ける点取れるだから受かる」という幸福が約束される。あとはやるかどうか、ただそれに尽きる。


劣化した英語もある

2013-04-24 22:33:40 | 英語の学習と研究

 「諸手をあげて」文科省の方針を賛成できないといった理由は、実は、一般的な意味で、この施策に「賛成する」(=反対ではないところがポイント!)教員の英語の質である。昨年から先行実施の学校の状況を見ているが教員の英語の質の劣化はひどいものだ。通じればなんでもいいという形で、県教委は「可」としているが私はこれはおかしいと考える。あれは英語ではない!そんな英語まがいなものをペラペラ喋らせ、授業はとりあえず英語でやっているのだから可とするというのは夢想と現実の混濁を生徒の意識の中に生んでしまう。
 例えばPat asked me to go shopping together.が非文でPat asked me to go shopping with him.が適格であるその辺の理由を説明すべき文法はしっかり教えなければならない。目的語と補語の間にあるネクサス関係、主述関係はしっかり教えるべきだろう。そんなところをすっ飛ばして、とりあえず50分(45分・65分)は英語でやれば言いという姿勢は生徒の学力向上とは無縁である。
 授業内で英語を生徒に使ってもらうという1点については全然反論するどころか賛成であるが、肝心なポイントで曖昧にするのは良くないのでこのへんが工夫のしどころかと思ってる。


新学習指導要領ー高校英語

2013-04-22 22:25:36 | 英語の学習と研究

 前任校で3学年を卒業させて転勤。昨年1年間3学年の副担でホッとしていたらまた1年生から学年主任をするよう命じられ、「趣味=担任」の私はひょっとしたら退職まで担任ができないのではないかと恐れています。
 今年から英語は英語での授業になりました。指導法については以前からOral MethodのPalmerやOral ApproachのFriesなどのやり方を取り入れていたので全然違和感はないのですが、生徒の反応が違います。面白い!今日はパニックゲイムを取り入れました。案外簡単そうなYes/NoQuestionですが、次のような場面では少なからずパニックに陥ります。JTEは私、STSはクラスの生徒です:
 JTE: What I want you to do next is to enjoy "Panic Game!"
    Pachi-Pachi-Pachi from STS.
 JTE: Hi, Ayaka. How's it going?
 ST1: Fine, thanks.
 JTE: Ayaka, are you a girl?
 ST1: Yes, I am.
 JTE: Ayaka, are you a boy?
 ST1: No, I'm not.
 JTE: Aren't you a gir?
 ST1: No, or Yes. ( in a panic )
 男子生徒の多いこのクラスでは滅茶苦茶楽しんでもらえました。 
 新学習指導要領を諸手を挙げて歓迎するわけではありません。英語教育には私なりの哲学があり、実践もあり実績もあります。しかし、やはりこれまでの英語教育に欠けていたのは「実際的使用」と「訓練」であったことは否めません。その部分を補うことはやぶさかではないしそうあるべきだとも思います。
 ただし官製のフォーマットではなく自分の生徒目線にあった、しかも現実的なアプローチが必須だと思うのです。このブログをお読みいただいているのは宮城県I.T.高校と同県F高校の卒業生と関係者だと思いますが、英語教育について文科省がアクションを起こしたことは私は歓迎しています。一方「黒船来航」以来の珍事と揶揄されないこともないのですが、まずやってみて先へ一歩踏み出すことが大切ではないでしょうか。
 大学入試問題がどうなるかということは大きな不安ですが(=はっきり言ってここはどうなるんだ!と言いたい)、大卒後の社会や世界はユニクロをはじめ企業内言語が英語という環境である公算が極めて高いのでその土台を高校で身につけることは大いに意義のあることだと考えられます。その意味で、特に教職を考えておられる方で授業のあり方に苦慮される方がおりましたなら、拙い授業ではありますが授業提供をする準備がありますのでご連絡ください。そしてその上で貴重なアドバイスを頂きたいと思っております。