語学は「語楽」--英語を楽しく学びましょう

英語の学習をしていて、「おや?」と思われる点について、みんなで考えてみたいと思います。

些事翩翩

2013-06-18 22:56:49 | 英語の学習と研究

採点に追われ、学力向上「対策」に追われ、あれにもこれにも追われています。

あと4年で退職なのですが、なんなのですかね。ポイントはなんたらプロジェクト発案者とそれに同意する側との間には全く敵対心がなく、「いいんじゃないの」という雰囲気でことが推し進められうところなのですかね。ここは緻密に考えたほうがいい。教員が読書する時間が減った、英語の先生が英字新聞・英字雑誌を読んでいないというのは私にとっては異常事態です。活字に目を追っている教員数が多いほうが校内の知的ボルテージはあがるし、教師が生徒を叱る機会も少なくなるのでは。まあ、私の場合は皆様御存知のように罵詈雑言を浴びせかけておりましたが一応活字は読みかつ書くという実に知的生活を送っておりました(古川です)。

明後日新学習指導要領のなんたらリストの研修に行ってきます。なんたらリストを作ることで英語教育が改善すればそれにこしたことはないのですが、文科省の腰巾着みたいな奴らの話を聞くわけですが、まあ時間の無駄であることは間違いなく、学年の先生にはご迷惑をかけての出張なので恐縮しております。ただ時間を持て余しそうなので最近購入したキンドルでBBCラジをでもを聞いていようかなと思っております。


ありのままの自分を受け入れる

2013-06-14 22:28:11 | 英語の学習と研究

今日2本目。

自分のことを自分が信じられなければ、二進も三進もいかなくなる、というのはみなさんご存知。若い時は自分を信じてください。それでいいのです。多少生意気でもいいのです。自分の意見が言えない人間にろくな奴はいません。労働運動OK、ストライキOK、上司との激しい対立OK、恋人との喧嘩OK。若い時は、まず自分を素直に受け入れること。英語が不得意である自分を受け入れる、家族との関係がギクシャクしていてもそんな自分を受け入れる、恋人を裏切った自分を受け入れる(!これについては、別途用意があります)、とにかく自分を受け入れるのです。そこから全てが始まります。

最近年齢のせいか物忘れがひどくて、自分自身の存在すら意識下にない時があり、パソコン画面に付箋紙として役立つアプリを常時つけております。『博士の愛した数式』に描かれているような晩年を過ごすのかなという不安もありますが、あれはあれで充実した一個人の人生でもあるなと昨今思うことができるようになりました。そんな自分を受け入れながら私は暮らしています。たまにやってくる生保のおばちゃんは、がん保険、高度医療保険、最新がん治療保険などを薦めますが、織田信長の「人生50年」はとっくに過ぎていることだし、一応、ひょっとしたらお釣りで生きているのではないかと思うことすらあります。

若い頃に眼科でド級近眼の診断を受け、メガネ店で「年取っても近眼者は老眼にならないからね」と言われ、その言葉を信じていたが実は嘘であったことが老眼になった時に知りました。だからといって、そのメガネ店に苦情は言いません。というより言えないのです。2011/3/11で流されてしまったのです。跡形もなく…。

なんというか、人生ってそんなものなのです。理詰めで考えてどうこう出来る部分がある一方で出来ない部分もあるのです。


出藍の誉れ

2013-06-09 20:19:52 | 英語の学習と研究

 ここ2日スリリングな知らせを2つ受けている。
 
 一つは、F高校64回卒業生のOさん(某県立医科大学・医学科進学)が準硬式野球部の2塁手を務めているという知らせである。Oさんは女子。わが教え子で2人めの女子大生野球部員である。ブログを見ると、唯一の女子選手ということである。2塁手を任されているらしい。大変なポジションである。私も一応昔野球部の部長を2年間だけしていたことがあるのでわからないことはない。
 
 T大学に入学しすぐに硬式野球部に入部したもう一人の教え子Tak女史の話では、誰もいなくなったロッカールームでの着替えやら、男子と同じ負荷の練習は厳しかったとあるが、それ以上の苦労があるに違いない。しかし、普通のお嬢さんがしない、あるいは考えないことを実践する勇気にひたすら感動すると同時に誇りに思う。頑張れ、Oさん。
 
 もう一つは、今から4半世紀前に仙台のSan女高で同僚だったAET(Assistant English Teacher, 現在ではALTと称される)の活躍である。
 
 昨日偶然にも朝日新聞を読んでいたらソニーがPlay Station 4をリリースするという知らせが目に入った。そのソニー系列の企業のCEOのインタビユウ記事であるが、A . H. という名前には馴染みがあった。写真が載っていたのでしげしげと眺めるとあのAndy(犬ではない)である。早速熊本県の某大学言語学准教授(米人でアンディと同時期に日本に来た元AET。ちなみにAndyはOxford大学英文科出の英国はウエールズ出身。)にメールで報告したら現在ベトナムにいて他の元AETと連絡が取れないということなので、ほうぼうにネットワークがあるようなので居所を確認してほしい旨を頼んだら、「了解!」との返事が来た。持つべきものは「飲み友達」、まあ、20代最後の頃(昭和の最後の頃と言い換えてもいい)は当時のAETと連日のごとくにメキシカンパブ、ワインパブ、居酒屋でグタグダしていた。アフター5は日本語での生活はほとんどなく、ほとんどが英語だったというと「格好いい!」と言われるが、景気が良かった・独身だった。明日の授業のことだけ考えればよかったという点だけで、私もAETも日本の英語教育を何とかしようなどとは思っていなかったし、その余裕もなかった。ひたすら享楽的な生活を遅れる時代があったのだ。

 これが、バブル期の日本の姿である。

 バブルを知らない若者に対しては憐憫の情が湧く。かと言って公務員である我々もバブルを享受したかというと、それはない。上述したように独身者はこの世の春を満喫したかもしれないが、民間企業のボーナスは当時我々教員のボーナスの2~3倍、いや4~5倍で我々公務員の給与は低く抑えられていた。したがって住宅を購入できる年齢も民間企業に務めている方に比べれば相当遅い時期になるのである。私の親父(故人)がマイホームを購入できたのは定年の数年前である。


  


新学習指導要領

2013-06-07 23:02:49 | 英語の学習と研究

続けて書く。

文科省の定める「学習指導要領」は私が教員になりたての頃はガイドラインの意味合いしかなかたったし、それ以上の意味は持ち得なかった。英語の時間を野外遠足に充てることもOKだったのである。私の初任地はS女子高校のZ分校で音楽と英語を教えたが、専門の英語の授業がわからない、専門外の音楽のほうが楽しい、なぜなら野外での合唱があるからということで、管理職は私の英語力を相当疑問視したようである。赴任2年目にはロックバンド部の顧問になってしまった。まあ、それはそれで楽しい思い出があり、いまだに当時の教え子と温泉地で同窓会をもったりする機会があるのである。

今の教育環境は「数値目標」。さて、何を数値目標にするのか?この辺は校長と個々の教員との間での秘密事項なので詳らかにすることはできないのであるが、(今の立場でなければいつでも明らかにする準備はできておりますが)考えられるものはいくつかありますね。国公立大学に何人入れるかとかそんなくだらない目標ですね。でも、たとえば、何HZ以上の音量で音読ができるとか何分以内に1ページ分の英文が音読できるか、そんなところが現実的な目標ではないかと思うのですが。

指導要領ごときに法的拘束力を与えたのは結果的には「日の丸・君が代」問題であり、「国旗・国歌法」であり私はこれに相当深く関わりました。そのため人生が大きく変わりました。「君」とは天皇ではない、と終始言い続けてきた政府関係者はあるときから手のひらを返すがごとく、当然天皇である、靖国だそれやれ、国旗・国歌法案だ、教育基本法改正だ(ここまで完了しています)、なし崩し的に来ていますね。自民党の参議院選挙での公約が注目されます。ここで改めて見つめたいことが2つあります。
 1 大学入試から英語を外し、「TOFLE」を導入すること
 2 英検等外部試験の結果の利用
 3 CAN-Do-Listの作成

こちとらそんなに長生きできるわけではないので適当にあしらっていく覚悟。


小説はもう少し後になりそうです

2013-06-07 22:19:25 | 英語の学習と研究

曇天で雨でも降り出しそうな天気でしたが、仙台はなんとか持ちこたえました。

今日は金曜日。5・6時間目は総合的な学習の時間とロングホームルームの日です。総合は『進路の手引き』を使ってのクラス単位でのオリエンテーション。私も担任の頃は燃えた時間の1つですが、クラスがないと寂しいですね。

6時間目のロングでは校歌2回めのLHR。当初体育館で実施する予定でしたが、私の安請け合いで他学年との場所チェンジを余儀なくされましてN先生には多大なご迷惑をお掛けすることになりました。N先生ごめんなさい。N先生・合唱部・吹奏楽部・放送部・1年3組の司会者の協力を仰ぎ279名の大合唱団を見事にまとめ上げることができました。1~4組の音楽クラスでは校歌練習はすでに済んでいたので、彼(女)らの協力を仰ぎ、美術クラスでソプラノ・アルト・テノール・バス(ベイス)に分けながらそれぞれに短い練習ではありましたが、最終的に見事な和音が完成していました。前任校では合唱部の顧問でしたがこんな短時間でハモル瞬間を捉えることはありませんでした。

歌う学年、歌える学年として頑張って行きましょう。

余談:
地下鉄を降りた所でF高校の教え子に会いました。なんか、元F高生を一目見ただけでエネルギーが充満します。現在M高校の1学年主任をしておりますが、F高卒業生233名(高校64回生)は全員顔も名前も覚えているのでシカトしないでください。


無題

2013-06-04 21:38:06 | 英語の学習と研究

 なんとも些事翩翩に追われ、遊びのない毎日を送っています。曰く、All work and no play makes Jakck a dull boy.とか。遊び心がなくなれば絵は絶え、詩歌は生まれず、音楽も途絶えます。ひたすら数値目標に向かい身を削り生きていくことになんの価値有りや、と言って椅子やテーブルをひっくり返して辞表届けを出す、などという勇気はもはや私にはありません。それがいくら正しくても生活が許しません。
 教員になりたての頃は、怖いものなしというか、Fools rush in where angeles fear to tread. ストライキ・デモ・なんでもありでした。家出した生徒を探して、他県の風俗店で働いているらしいというかすかな情報を手がかりに、当時のトルコ風呂の入り口で2万円払い(自腹です!)本人と面接をしたことがあります。別れ際に「先生、遊んで行かないの?」という言葉が哀しい響きを持って今でも耳に残っています。
 教育のベースは学力をつけることであることは等しく誰もが認めることだと思うのですが、どうもそれだけではない、感性とか逞しさとか周りとの協調性であるとか、いやそれ以上に現状突破力というべき力といった数値化できない部分も関与しているのではないかと思うです。昨今流行らない考え方ではありますが、あと4年これで突き進みます。