蒋介石をスキンヘッドにし、鼻下と顎先に少しだけ髭をつけ、黒いサングラスをかけた60歳の男を想像してほしい。長身痩躯に白衣をまとった男は、会議で議論が紛糾すれば、突然白ヘルメットをかぶって立ち上がり、机の脇に常備している木刀を振り回し始め周りを煙に巻く。気に食わない生徒がいれば、男女の別なく襟首つかんで教室や廊下の壁に力いっぱいに押し付ける。校地内禁煙などどこ吹く風か、体育館脇の技師室兼作業場で、昔の牢名主よろしく、ふんぞり返ってぷかぷか煙草をふかしている。傍若無人を絵に描いたような男は、ある時は担任、ある時は生徒指導部長、またある時は危機管理委員会主幹。男は「インテリやくざ」という綽名で密かに呼称されていた。
教員生活最後のクラス担任をした時、卒業生に贈った男の言葉が忘れられない。それまでの男の生きざまが滲み出ていたので紹介したい:
(1)評価される立場に甘んじない。
お前らはこれまでテストの成績をとおして評価されてきたが、評価というものは他者の目をとおしたものだ。それに最もよく適応し、最も高い評価を得た者だけがお前らのように「エリート」としてちやほやされるが、それに馴らされている、あるいは当たり前だと思っている自分に疑問を持て。他者との比較によって自分の本当の価値が決まる訳ではない。自分の価値は自分で決めろ。俺はそうしている。
(2)自分の人生は自分で決める。
人生行路において岐路に立つときがきっと来る。他者に相談するのは良いが、最終的に決めるのは自分だ。その時自分なりの価値観・人生観が必要になるがそれらを確立するためには、いろんな体験をし、本を読み、深く考える習慣の確立が大切だ。鳶が鷹になれるわけがない。俺が芋食ったってお前らが屁をこくわけではないだろう。お前らは、どう逆立ちしたってお前らのままなんだ。それでいいんだ。俺は俺以外の人間になりたいと思ったことは一度もない。俺の人生に責任が持てるのは俺しかいないんだ。
(3)生きる上での美学を持つ。
まず誰にとっての「美」かっていうと自分にとっての「美」なんだ。周りの人間じゃないから間違えるなよ。俺にとっての男の美学ってのは、一言でいえば、痩せ我慢ということになる。どんなに苦しくても泣き言をいわない、泣かない。逃げない。恐れない。俺は物心ついてから一度も泣いたことはない。涙を流したことがない。俺を見習ってお前らなりの生きる上での男の美学、女の美学を確立しろ。
(4)悔いのない人生を送る。
コップに水が半分入っているとき、「まだ半分も残っている」とみるか「もう半分しか残っていない」とみるかで人生の質が決定する。俺は前者だ。水が全くないわけではないだろう。あるんだから。人生も同じ。苦しいこともあるけど楽しいことだってあるんだ。ポイントは納得できる生き方ができるかどうかなんだ。悔いのない人生かどうかなんて、他人が決める問題ではない、お前ら一人ひとりが決めるべき問題なんだ。どう生きるか、という方法論に堕してはいけない。何を生きるかが重要だ。中身の濃い人生を送るんだ。俺は教員として破天荒な生き方をしてきてきたが、中身の濃い人生だったと思っている。我が人生に悔いなし!お前らも俺を見習って生きていけ。