goo blog サービス終了のお知らせ 

即席・超簡単!クマでもわかる・・・

面倒くさいことはきらい!そんなあなたでも大丈夫。
「・・・」を簡単に満喫する方法、教えます!!!

イーヨーの像

2010-05-14 | ★その他もろもろ★
ロシア版『クマのプーさん』の『ヴィーニー・プッフ Винни-Пух』ですが、主人公の「プッフ」、子ブタの「ピタチョック」と並んで、大変人気があるのがロバの「イーヨー」。

イーヨー誕生日の動画はこちら

勿論、トップの写真のようにイーヨーの記念像もしっかりあります。
(写真はモスクワ近郊の街ラメンスコエに設置されたイーヨーの記念像。写真はこちらからの引用となります。)

イラストはこちらから。


(ピタチョックが、イーヨーのお誕生日プレゼントのために風船をあげようと思って風船を持って走ってくるのですが、勢い余って転んでしまい、風船が割れてしまいます。その経緯をイーヨーに伝えている場面です)


このとぼけた様子がたまりません。

★新プロジェクトの情報はこちら★

ロシア版「クマのプー」さん

2010-05-13 | ★その他もろもろ★
ちなみに「チェブラーシカ」もそうですが、・・・ロシアにはソ連時代のアニメキャラクターで、今日に到るまで絶大な人気を博している代表的なキャラクターがいくつかあります。
そうしたアニメは、現在でも繰り返しロシアのテレビで放映されており、親、子、孫と世代を越えて愛されているもの。

中でも、『ヴィーニー・プッフ Винни-Пух』(1969-1972)(ロシア版、『クマのプーさん』)の<プーさん(プッフ)>の人気には、すごいものがあります。

『クマのプーさん』は、ロンドン生まれのスコットランド人でイギリスの作家アラン・アレクサンダー・ミルンが1926年に書いた童話であることは、日本でも良く知られています。

プーさんは、特にディズニー社のアニメーションで有名ですが、ロシアではソ連時代の詩人で児童文学作家のボリス・ザホデェルがミルンの『クマのプーさん』をロシア語訳(翻訳というよりは、原作をベースにしたヴァリエーションに近いものです)『ヴィーニ・プッフ』を出して、しかもそれがアニメ化され、一躍有名になりました。

この『ヴィーニ・プッフ』のアニメですが・・・確かに天下一品ものです。
アニメとは言っても、いわゆる日本のアニメとは絵からして全然違うものです。
ですから、ロシアでは日本のアニメーションを指す時は「アニメ Аниме」という言葉を使い、それ以外(特にソ連時代)のものを指す時は「ムリティック Мультик (Мультфильмの略) 」という単語を使って区別しています。

とにかくこの『ヴィーニ・プッフ』、そのユーモラスな雰囲気は大人にも愛されており、ロシアを含む旧ソ連の国々では、『チェブラーシカ』を押さえ、堂々人気No.1を誇っています。

YouTubeにこのソ連版『クマのプーさん』のアニメ動画がアップロードされていますので、興味のある方は是非こちらへ。


勿論、『ヴィーニ・プッフ』の登場人物(動物?)たちの記念像もあります。



(写真はモスクワ近郊の街ラメンスコエに設置されたヴィーニ・プッフ(クマ)とピタチョーク(ブタ)の記念像。写真はこちらからの引用となります。)

またトップのイラストは、ソ連の大人気アニメ『ヴィーニ・プッフ』。
引用はこちらからです。

★新プロジェクトの情報はこちら★

チェブラーシカの像

2010-05-12 | ★その他もろもろ★
ところで、このブログの5月6日で取り上げた「チェブラーシカ(チェ・ゲバラをもじったチェ・ブラーシカ)」ですが、最近日本でも大人気です。

このチェブラーシカというのは、子グマのようにも見えますし、見方によっては子ザルのようにも見えます。
でも実際は、サルでも、クマでもイヌでもない、正体不明の小動物です。

2004年のアテネオリンピック以降ロシア・オリンピック選手団の公式マスコットとなりました。
そして2006年のトリノオリンピックでは「白チェブ(白いチェブラーシカ)」が公式マスコットとなり、2008年の北京オリンピックでは「赤チェブ(赤いチェブラーシカ)」、2010年のバンクーバーでは「青チェブ(青いチェブラーシカ)」がロシアのオリンピック選手団の公式マスコットとなりました。
ロシアの選手達が小さなぬいぐるみを手に持って行進したり、メダルを取った時に振ったりしていたのでテレビの画面でご覧になった方もいるのではないでしょうか。

チェブラーシカの原作者はウスペンスキーという児童文学作家で、この原作をもとに1960年代に人形劇アニメも作られています。
このアニメのチェブラーシカこそが、旧ソ連圏の子供たちの永遠のアイドルであったばかりでなく、2001年には日本でもミニシアターで上映されて人気を博すことになる「チェブラーシカ」です。
(最近は日本のテレビでも放映されていると聞きます。)

このチェブラーシカ、ある日、果物屋さんにアフリカから届いたオレンジの木箱の中にまぎれこんでモスクワにやってきます。
寂しがり屋のチェブラーシカには「ワニのゲーナ」という親友ができます。ゲーナは優しく、正義感も強くて、とても紳士的です。
「ワニ」として動物園で働いています。
また、アコーデオンが得意で、歌も上手です。

こうしたチェブラーシカとゲーナの仲間を大切にする気持ち、正義感、優しさといったものがこのアニメの主題となっています。

(トップの写真は、2005年モスクワ近郊の街ラメンスコエに設置されたチェブラーシカとその仲間たちの記念像。写真はこちらから。)

★新プロジェクトの情報はこちら★

モスクワの建物

2010-04-27 | ★その他もろもろ★
1953年のスターリンの死後、書記長として実権を握ったフルシチョフは、スターリン批判を行いました。

そして、スターリン時代に建設されていたような建造物も、「過剰」なものとして、機能重視の質素な建物を造ることを主張しました。
(トップの写真が、スターリン時代のアパートです。写真はこちらから)

ソ連・ロシアが誇ってきた偉大な建築家たちは、完全に職を失い、それにとって代わる無数のマッチ箱のように見える「パネルブロックの5階建て住宅」が登場しました。
これが悪評名高い「フルシチョフの5階建て」と呼ばれる建物です。
どれも同じ外観をしており、同じようにエレベータがなく、壁も薄くて住み心地が悪く、まるでバラックのような建物です。こうしたバラックのような、マッチ箱のような住居が、広大なソ連を一挙に埋め尽くしました。


(写真はこちらから)

続くブレジネフ時代には、5階建てではなく、階数は20階くらいまであるのですが、品質は「フルシチョフの5階建て」に負けないくらい劣悪な建物が出現します。


(写真はこちらから)

こうして、ペレストロイカが始まる1985年頃までの約30年間、建築家が建築家であることを禁じられる時代が訪れ、ロシアからは実質「建築家」が消滅することになるのです。

ソ連が崩壊した後、「フルシチョフの5階建て」は次から次へと壊され、モスクワにはもうほとんど残っていませんが、地方に行きますと今でもそのぼろぼろになった残骸が残っています。


■昨日のの答え=・・・Карате・・・カラテ(空手)(=日本語からロシア語の中に入って定着した「外来語」です)

■今日の=次の単語を発音してみましょう。
Сакура

(答えは・・・明日のお楽しみ)

★新プロジェクトの情報はこちら★

スターリン・ゴシック様式

2010-04-26 | ★その他もろもろ★
ところで、本ブログの4月3日の記事でとりあげたホームズとワトソンの記念像ですが、二人で仲良くモスクワ川の方を向いています。



川の向こう岸に尖塔のようなものが見えますが、これは、ウクライナホテルです。
ウクライナホテルは、すそ広がりの高層ビルで、どことなくヨーロッパの教会を彷彿させる厳かさを持っています。

このウクライナホテルと同じ様式の建造物が、モスクワに7つ、そしてラトビアの首都リガと、ポーランドの首都ワルシャワにそれぞれひとつずつあります。
これら一連の建物は、1940年―1953年のスターリンの時代後半に建てられたもので<スターリン時代の高層ビル>と呼ばれています。

当初は、1947年のモスクワ建都800周年記念祭に合わせて、モスクワに8つ、この種の<スターリン時代の高層ビル>が建てられる予定になっていましたが、予算不足で最終的に7つとなりました。
8つ目のビルの基盤の上に、後にヨーロッパ最大、客室が5000室もあったロシアホテルが建てられました。
従って現存しているものは7つです。

27階建てのロシア連邦外務省(トップの写真)
36階建ての国立モスクワ大学本館(下の写真)



29階建てのウクライナホテル
17階建てのレニングラードホテル
24階建てのソ連時代交通建設省他が入っていた高層ビル
そしてそれぞれ26階建てと、22階建てのアパートです。(下の写真)



最近、<スターリン時代の高層ビル>を模倣して建てられた超高級マンションがモスクワの北部、ちょうどシェレメーティエボ国際空港からモスクワ市内に入る途中にできました。こちらは52階建てです。


(写真はこちらから)

36階建ての国立モスクワ大学本館は、1949年から1953年にかけて建設された、高さ235メートルを誇る建物で、27の建物群よりなるモスクワ大学の一部を形成しています。
この本館には、機械・数学部、地質学部、地理学部、学事部、図書館、博物館、1500人を収容できる大講堂が入っています。両サイドの張り出し部には、学生たちのための学生寮や、教授や講師陣のためのアパートが入っています。

ちなみにモスクワ大学の本館には、地下三階に、秘密の地下防空壕と<メトロ2>と呼ばれる秘密の地下鉄につながる廻廊があるという話しです。

モスクワ大学や、外務省、そしてウクライナホテルといったような<スターリン時代の高層ビル>は、ある意味ではスターリン時代に顕著に見られた世界初の社会主義国家ソ連の威厳をかけた厳かで仰々しい建築様式のピークとなりました。

■昨日のの答え=・・・Васаби・・・ワサビ(わさび)(=日本語からロシア語の中に入って定着した「外来語」です)

■今日の=次の単語を発音してみましょう。
Карате

(答えは・・・明日のお楽しみ)

★新プロジェクトの情報はこちら★

地下鉄テロ

2010-03-31 | ★その他もろもろ★
3月29日午前8時少し前、モスクワの中心、赤ラインの地下鉄ルビャンカ駅と文化公園駅内で、自爆テロが発生しました。
adminのわたし達も、色々な方々から数多くの「安否を気遣うメール」をいただきました。
どちらの駅も日常的によく使う駅ですので、全く他人事だとは思えません。

ただ・・・取り敢えずわたし達は無事です。
ご心配くださった方々、ご心配をおかけして申し訳ありません!
そして、どうもありがとうございました。

このブログでは、「政治には一切触れない!」ことを原則としておりますので、事件に関する詳しいコメントは控えたいと思いますが、・・・一言だけ・・・。

このような事件がおこるといつも、海外の報道の中に「無責任な調子の記事」があることが悲しくなります。
「中にいる者」と「外にいる者」にとっての「正義の違い」を痛感させられるとでも言うのでしょうか。

・・・おぞましい事件の犠牲となって亡くなられた方々のご冥福を・・・心からお祈りいたします。

トップの写真は、2000年8月にモスクワの中心、プーシキン広場の地下鉄プーシキン駅&トヴェルスカヤ駅への入口地下道の中でおきた爆弾テロの犠牲になった方々のための記念碑です。
今でも供花が絶えません。

マトリョーシカ

2010-02-25 | ★その他もろもろ★
ところで、ロシアからのお土産といえば真っ先に思い浮かぶのがマトリョーシカ。大きな「こけし」のような形をした木製の人形の中に、もう少し小さな人形が入っていて、更にその中にもっと小さな人形が入っているという、入れ子型の人形がマトリョーシカです。

マトリョーシカは19世紀末頃から作られるようになり、1900年にはパリの万博で「銅メダル」を獲得し、世界中から注文が殺到したとのこと。

ちなみにマトリョーシカというのは、当時流行っていた女の子の名前「マトリョーナ」の愛称形です。そしてこの「マトリョーナ」という名前は、ラテン語で「materona」=「婦人」、「mater」=「母」を意味します。
尚、マトリョーシカの起源は、日本のだるまだそうです。

名前の由来ともなっている「母性」ということからもわかるように、「マトリョーシカ」は、「母」が「娘」を産み、「娘」がそのまた「娘」を産み、その「娘」がまたまた「娘」を産むという、母性=永遠という願いを込めたおもちゃです。

ですから、一時流行した「プーチンさん」の中に、プーチンさんより少し小さな「エリツィンさん」が入っていて、「エリツィンさん」の中に「ゴルバチョフ」さん、「ゴルバチョフ」さんの中にアンドロポフさんとチェルネンコさんは飛ばして「ブレジネフ」さん、「ブレジネフ」さんの中にフルシチョフさんを飛ばして(入っているものもある)「スターリン」さん、そして「スターリン」さんの中に「レーニン」さん・・・という、国家元首シリーズは基本的に邪道だといえます。
勿論、犬の中に猫、猫の中にねずみ・・・という動物シリーズも、厳密にいうと「マトリョーシカ」の精神には反しているわけです。

(トップの写真はこちらから)

■昨日のの答え=・・・СЛОВАКИЯ・・・スロワキヤ(意味:スロヴァキア)

■今日の=次の単語を発音してみましょう。
ЧИЛИ

(答えは・・・明日のお楽しみ)

モスクワの幻想的な冬景色、こちらから観られます

活版印刷職人イワン・フョードロフの像

2010-02-03 | ★その他もろもろ★
「メトロポール・ホテル」の前を大通りに沿って旧KGB本部庁舎の方向に向かって少し進むと、右手に大変美しい高級ブティック街が見えてきます。



「アルマーニ」「プラダ」などの高級ブランド店を横目に、そのまま直進を続けると、「ランボルギーニ」や「マゼラッティ」「ブルガリ」などの華やかなロゴに囲まれた立像が現れます。



これは、16世紀中旬に活躍しロシアではじめてその名が記名された活版印刷職人イワン・フョードロフの記念像です。
周囲が「ランボルギーニ」「フェラーリ」「マゼラッティ」などのお店なので、巻物を手にしているその様子、まるで「道路地図」を一心不乱に見つめているかのようです。



意外と見おとされがちな空間なのですが、新しいロシアの「富」と「夢」を象徴する、なかなか魅力的な一角です。



モスクワの幻想的な冬景色、こちらから観られます

もみの木祭り

2010-01-05 | ★その他もろもろ★
ロシアの子供たちにとって、お正月の最大のイベントのひとつである「もみの木祭り」。

「もみの木祭り」は、もみの若木を飾りつけ、それを囲んで歌や踊りや色々なゲームが行われる子供のためのお祭りで、その際、マローズ(厳寒)じいさんが子供たちにプレゼントをあげるのがこのお祭りのクライマックスです。
所謂、西洋のクリスマスの、ロシアバージョンとでも言いましょうか。

マローズじいさんは最初からその場にいるのではなく、子供たちに「呼ばれて」登場します。
そしてマローズじいさんの孫娘であるスネグーラチカ(雪娘)は、子供たちとマローズじいさんの間をつなぐ、マローズじいさんのアシスタント的な役割を果たします。

実は1920年代中頃から1935年までの間は、「もみの木祭り」は「宗教の一種」であるとして、宗教を弾圧しているソ連政府によって祝うことが禁止されていました。
しかし1935年に、子供たちの祭りとして「もみの木祭り」が正式に解禁され、それ以降は(宗教色は払拭された形で)子供たちにとっての最大のイベントとなりました。
今日にいたるまでクレムリンの大宮殿で開催される「もみの木祭り」に行くことが、多くの子供たちの夢となっています。

尚、「もみの木祭り」で子供たちがマローズじいさんを「呼んで招待する」事の中にも、「祖先」を呼ぶ儀式を行うロシアの原始宗教の名残が見られます。そして、ロシアの原始宗教では、家を訪れる客人は誰もが「祖先から送られた人」として、喜んで迎え入れ、最大限にもてなさなければいけないとされていますが、その慣習もこのマローズじいさんを迎え入れる儀式の中に残っています。

トップの写真は、ソ連時代の「もみの木祭り」の様子です。
実は、この中にadmin(二人の内の一人)が混じっています。

「もみの木祭り」の雰囲気は今も当時も変わらないようです。

スネグーラチカ(雪娘)の登場

2010-01-04 | ★その他もろもろ★
マローズじいさんとセットで出てくる白と水色に彩られた毛皮の上着を着た少女。
これはロシアのお正月シーズンの主役の一人「スネグーラチカ」です。

ロシア語で「スネグ sneg」というのは「雪」という意味。
要するにスネグーラチカは「雪娘」ということです。

マローズじいさんがサンタクロースに該当するのに対して、スネグーラチカに該当するイメージは、西欧にはなく、ロシア独特の登場人物のようです。


(イラストはこちらから)

ロシアの劇作家オストロフスキーが1873年に戯曲『雪娘』を完成させました。
これはマローズじいさんと、春クラスナ(ヴェスナ・クラスナ)の娘として生まれ、太陽神ヤリルに捧げる夏の儀式の最中に、融けて消えてしまう雪娘を描いた、悲しいお話しです。

1881年、オストロフスキー原作の『雪娘』はリムスキー・コルサコフ作曲のオペラとして、サンクトペテルブルクのマリインスキー劇場の舞台で初演を迎え、大変な評判となりました。
リムスキー・コルサコフは、『雪娘』を自分が作曲した作品の中で最も優れたものとして高く評価していました。そして事実、今日にいたるまでリムスキー・コルサコフの『雪娘』は、ロシア・オペラの最も人気のある演目の一つとして頻繁に上演されています。

スネグーラチカはその後、独自の転生を続け(マローズじいさんの「娘」から「孫娘」に変化)、やがてロシアの子供たちが一番好きな「もみの木祭り」(ヨールカ)の主役の一人となります。

1935年以降、それまでマローズじいさんの脇役にすぎなかったスネグーラチカは、ロシアのお正月シーズンの主役級に昇格し、子供たちが大好きな「もみの木祭り」をマローズじいさんとともに今日に到るまで仕切っています。

トップのイラストはこちらから。

マローズじいさんの正体

2010-01-03 | ★その他もろもろ★
もう少しマローズじいさん(厳寒じいさん)= Ded Moroz の正体について触れたいと思います。

マローズじいさん(厳寒じいさん)のイメージですが、前述したように古くからロシアの伝説や、神話に登場するイメージです。
元来、東スラブの原始宗教では、畑の作物や人を凍らせ、殺してしまうこともできる厳格な神として人々に恐れられてきたのと同時に、「祖先」の体現とも考えられていましたので、畏敬の念も集めてもいました。

民話から派生した文学作品の中では、最初は冷酷な冬の森の支配者、<冬将軍>的なイメージとして登場します。幼子がいる若い未亡人を平気で凍死させられるような残忍さを持った冬将軍としてマローズじいさん(厳寒じいさん)を描いた詩人ネクラーソフの詩作品などが有名です。

しかしやがてマローズじいさん(厳寒じいさん)には善人イメージの分身が出てきます。
この善人イメージの分身は、子供用の詩作品に登場し、冬におこる色々な《魔法現象》をしきる機能を持つようになります。

この、「善い魔法使い」のようなイメージと、当初の、冬の森を支配する残忍なイメージが融合し、冬の自然界、即ち自分の《王国》を《ダイヤ、真珠、銀》で染め上げるマローズじいさん(厳寒じいさん)のイメージとなるのです。


(イラストはこちらから)

またこれと同時に、都市ではピョートル大帝によって西洋から導入された「もみの木」を支配する神話的人物(サンタ・クロース、聖ニコラなど)のイメージが、ロシアの土壌に合うように少しずつ修正を加えられ、形成されていきます。

この修正は、子供達の「どうして家の中にもみの木があるの」とか、「誰がもみの木を持ってくるの」とか、「プレゼントは誰がくれるの」といった素朴な質問に答える形で加えられていきました。

こうした西洋から入ってきてロシア的なものに修正されたサンタ・クロースのイメージと、古来からロシアにあるマローズじいさん(厳寒じいさん)のイメージが融合し、ロシア独特の「もみの木祭り」(ヨールカ)の主役であるマローズじいさん(厳寒じいさん)が誕生したのです。

尚、マローズじいさん(厳寒じいさん)の故郷は、ロシアの北方ヴェリーキー・ウスチュグにあり、毎年数多くの観光客がここを訪れています。
(トップの写真。引用はこちらからです)

マローズじいさんの記念像

2010-01-02 | ★その他もろもろ★
12月25日に、サンタクロースの格好をさせられたモスクワ大公ユーリ・ドルゴルーキーの騎馬像について触れました。
この種の「変身」(変装?)は、珍しくないようで、今年はウラル地方のチェリャービンスク市(シベリア鉄道の正式な起点)にある「ウラルの説話」という名の銅像が、巨大なサンタクロースに変身したようです。


(写真はチェリャービンスク市の公式サイトから。)

ちなみにこの「サンタクロース」ですが、ロシアでは「サンタクロース」と言わずに、「マローズじいさん」= Ded Moroz と呼んでいます。

「マローズ(=モローズ)」というのは「厳寒」という意味なのですが、民間伝承、古代スラブ神話の神様の一人です。マローズじいさんの奥さんは「冬」そのもの。
「厳寒」ということからもわかるように、「怖い」神様の一人です。

しかし今日では、お正月シーズンに欠かせない大の人気者となっています。

トップのカードはこちらから。

新年おめでとうございます!

2010-01-01 | ★その他もろもろ★
ロシア語のС Новым Годом! (S Novym Godom! 「ス ノーヴィム ゴーダム!」=新年おめでとうございます!)というのは、なかなか便利な表現です。

日本語の「新年おめでとうございます!」は、年が明けてから言うものですが、ロシア語の「ス ノーヴィム ゴーダム!」は、年が明ける前も、そして年が明けてからも等しく使えます。

その理由は、「年」という単語の前に「来るべき」という単語と、「過ぎた」という単語を挿入することができるからです。
どちらの単語も省略することができるため、結果的には S Novym Godom!「ス ノーヴィム ゴーダム!」という表現は、12月中旬くらいから、1月中旬くらいまで継続して使うことができます。

ちなみにロシアでも「干支」の概念はとても普及しています。
ですから街を歩いているといたるところで今年の干支である「トラ」の絵柄がついたカレンダーや飾り、小物を見かけることになります。

しかもロシアの人々はこの手の「シンボル」的なものがとても好きなようで、やたら詳しいです。
以前も「紫色のブタの年、おめでとう!」と言われてビックリしたことがあります。
2007年の猪年のことなのですが、よりによって「紫色(赤色=炎)」のイノシシ(=ブタ)の年が存在するということを、その時はじめて知りました。

今年もそうです。
妙に「白いトラ」のカレンダーやら、ポスターが目につくと思ったら、2010年の今年は「白いトラ」の年であるとのこと。

また「お金」をたくさん持ったトラのカードやデザインも沢山あるので、調べてみたところ、今年のトラは「五行」の中の「金」をあらわすのだそうです。



神秘的な動物「白いトラ」。
世界的規模の変化がおこる年になるかもしれないということですが・・・。
トップのカードもドルの札束を持ったカードもこちらから。

モスクワの大晦日

2009-12-31 | ★その他もろもろ★
お正月はロシアの人が一番好きなお祭りだと言われています。
特に大晦日からお正月にかけての「年越し」。
日本の「紅白歌合戦」や「赤穂浪士」などに相当するロシア恒例の「年越しアイテム」、幾つかあります。

1.食べ物(=日本の「年越しそば」「おせち料理」)
「オリビエ」サラダ(ロシア版ポテトサラダのようなもの)


(写真はこちらから)

「毛皮の下のにしん」サラダ(ビーツと塩漬けのにしん、ポテトなどが混じったサラダ)


(写真はこちらから)

各種ザクースカ(前菜)類
シャンパン(大統領の祝福が終わり、クレムリンの時計が新年を告げる時報を打ったら、シャンパンで乾杯し、願いをかける)
みかん

2.テレビ番組
日本の紅白歌合戦=「青い光」(1962年から放映されている歌番組。大晦日の定番)こんな感じの番組です。(動画4分17秒)

日本の「赤穂浪士」=「運命の皮肉・いい湯を!」(1975年に放映されてから毎年大晦日から新年にかけて必ず放映されているテレビ映画。コメディータッチの恋愛もの)(ラストに流れるとても有名な曲です=動画3分3秒)

3.大統領による国民への祝福の言葉
12月31日の23時55分から大統領(国家元首)が国民に対して祝福の演説をします。
内容は過ぎ行く年を思い返し、来る年に対する抱負を語るというもの。
こちらはロシア連邦の最初の大統領であるエリツィン大統領の言葉。(1999年12月31日)
こちらは次のプーチン大統領です。(2007年12月31日)
そしてこれが今のメドベージェフ大統領。(2008年12月31日)

4.初詣?!
大晦日に赤の広場集合!
ほとんど初詣のようなものです。


(写真はこちらから)

そして街はきらびやかなライティングで輝きます。


(写真はこちらから)

トップの写真はこちらから。