日毎の糧

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

冠を王の頭から奪い取った

2018-09-04 | Weblog
歴代誌上20章 
   
  2節「ダビデはその王の冠を王の頭から奪い取った。それは一キカルの金で作られ、宝石で飾られていた。これはダビデの頭を飾ることになった。ダビデがこの町から奪い去った戦利品はおびただしかった」(新共同訳)

  1節「年が改まり、王たちが出陣する時期になった。ヨアブは軍隊を率いてアンモン人の地を荒らし、ラバに来てこれを包囲した。しかしダビデ自身はエルサレムにとどまっていた。ヨアブはラバを攻略し、破壊した」。19章に続くアンモンとの戦いであるが、「年が改まり、王たちが出陣する時期」とある。これは民族の争いがしばしば春の収穫時期に行なわれたことを表わす。畑の収穫物を襲って横取りするのである。「涙と共に種を蒔く人」が喜びの歌と共に刈り入れるのは特別なことで、しばしば裏切られるという背景がここにはある(詩126篇5節)。この戦いでアンモン人の王冠をダビデは奪ったとある(2節)。この並行記事はサムエル記下11章1節、12章26~31節だが、そこで省略されている記事が二つある。サムエル記を読むとこの時ヨアブは王に使者を送り、残りの兵士を連れて来て町を陥れるように伝えた。「わたしがこの町を陥れると、この町はわたしの名で呼ばれてしまいます」(12章28節)というのが理由だが、これが省略され、直ちにダビデは出陣してその王冠を奪い取り、自らの頭に飾ったのである(12章29~30節)。これは戦勝の儀式であり、彼の王位は既に確立して揺るがぬことを示している。
  省略の二つ目は、サムエル記下11章2~12章25節である。そこにはウリヤの妻バト・シエバとのスキャンダル、これを厳しく糾弾する預言者ナタン、また不義の子の死亡、その後のソロモン誕生である。これもダビデ王朝が形成され確立していく過程では、省略される事柄だった。
  4節「その後、ゲゼルでペリシテ人との戦いが起こった。このときは、フシャ人シベカイがレファイムの子孫の一人シパイを打ち殺し、彼らは服従することとなった」。ペリシテ人との戦いで、家臣の武勇記事である(5~7節)。この並行記事はサムエル記下21章18~22節であるが、ここでも13章から21章17節までが大きく省略されている。その大半はアムノンとタマルのスキャンダルに対するアブサロムの兄弟殺し、父ダビデに対する反逆と、ダビデ王逃避行の記事である。すべてダビデに対するマイナス・イメージを取り除いている。
  何故「省略」があるのかをここで考えたい。実際にあった出来事を省略し、無かったかのようにすることは神に対して不誠実である。すべてを見通される主の前に悪と不義は悔改めて、憐れみに縋るほかない。歴代誌史家が覆い隠している出来事を、サムエル記下で暴露していると読むことが出来るが、ダビデは自らの罪を悔い改めて言い表し神の憐れみと赦しを求めていることを知ることが出来る(詩51篇see)。ここで罪を厳しく糾弾し暴くだけではなく、「罪を覆い、咎を数えられない」慈愛の神であることを知ることが必要なのである(詩32篇see)。今一つ心に響く詩篇がある。
    「主はわたしたちを罪に応じてあしらわれることなく
    わたしたちの悪に従って報いられることもない。
    天が地を超えて高いように
    慈しみは主を畏れる人を超えて大きい」(103篇9~10節)。




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