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日毎の糧

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

その夕、わたしの妻は死んだ

2014-10-21 | Weblog
  エゼキエル24章 

  18節「朝、わたしは人々に語っていた。その夕、わたしの妻は死んだ。翌朝、わたしは命じられたとおりに行った」(新共同訳)

  1節「第九年の十月十日のことである。その月の十日に、主の言葉がわたしに臨んだ」。小見出し「火の上の鍋」「第九年の十月十日」は20章1節から二年経過。ネブカドネツァルの軍隊がエルサレムを攻撃し、王と民をバビロンに捕えていった日である(列王記下25章1節)。
  3節「あなたは反逆の家に対してたとえを語り、彼らに言いなさい。主なる神はこう言われる。据えよ、鍋を据えよ。またその中に水を注げ」。鍋は城壁に囲まれたエルサレムを指している。
  4節「それに肉の切れを入れよ。腿や肩肉、すべて上質の肉切れを集め 最上の骨で鍋を満たせ」。肉とは上流階級、骨は下層民。鍋で煮られるという神の審判である(5~9節)。
  10節「まきを積み重ね、火をつけよ。肉を煮込んで肉汁を作り、骨を焦がせ」。錆びた青銅鍋を空焚きしたが、汚れた錆びは消えなかった(11~12節)。厳しい神の審判の比喩である。神は憤りを晴らすまでは容赦しない、憐れみを掛けることもしないと告げる(13~14節)。
  16節「人の子よ、わたしはあなたの目の喜びを、一撃をもってあなたから取り去る。あなたは嘆いてはならない。泣いてはならない。涙を流してはならない」。妻を取り去るという厳しい象徴行為を主はエゼキエルに求める。一撃とは突然死である。妻の死を結果として、イスラエルの審判として重ね合わせたのかも知れない。主は彼に妻の死に際して、それを弔うことを禁じる。声をあげずに悲しめ。死者の喪に服すな。頭にターバンを巻き、足に靴を履きなさい。口ひげを覆うな。嘆きのパンを食べてはならないと告げた(17節)。彼は命じられた通りにする(18節)。バビロンにいる捕囚民は彼に喪の服装や嘆きのパンを口にしないのは何故か。どんな意味があるのか告げてくれないかと言った。その答えを主から告げられる(19~20節)。
  21節「イスラエルの家に言いなさい。主なる神はこう言われる。わたしは、わたしの聖所を汚す。それはお前たちの誇る砦であり、目の喜び、心の慕うものであった。お前たちが残してきた息子、娘たちは、剣によって滅びる」。同じことがお前たちにも起きる。その時喪に服す服装も食事もしてはならないと告げる(22節)。エゼキエルはお前たちにとってしるしとなると言われた(24節)。
  25節「人の子よ、わたしが彼らから、その砦、栄光の喜び、目の喜び、心の望みであるもの、息子、娘たちを取り去る日」。その日はエルサレム陥落の日である(26~27節)。その時まで喪にふくし、沈黙を命じられる(27節)。彼の沈黙が解かれたのは6ヶ月後であった(33章21~22節参照)。
 一撃をもって愛する者が取り去られることは容易に受入れられない。悲嘆に暮れ、それが理解できないで長い歳月がかかる。この様な経験はしたくないが、実際には起きる。この残酷な人生の謎解きを人はする。ヨブの物語やイサクを祭壇に捧げるアブラハムの物語がある。「耐え忍ぶことの出来ない試練に遭わせないでください。逃れる道を備えて下さい」と祈るのみである(第一コリント10章13節)。

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