神輿が氏子区域を周り、八坂神社へ帰参します。
三条おたびへの神輿渡御を見た後、私はいったん帰宅。
みこし弁当を食べて、その日3度目の着替えをしてから再び神社へと出発。
この日は花傘巡行参列もあって朝4時半に起きてから動きっぱなし。
腰も悲鳴をあげていましたが…やはりこの「ホイット!」を聞いたら元気100倍です♪
22時過ぎに帰参した「東御座」。
舞殿の周囲を三度周り、正面で差上げすること数回。
かなり長い時間をかけて差上げていました。
そして舞殿へ奉安すると。
立て続けに、「西御座」の帰参です。
担ぐのは錦神輿会(にしきしんよかい)。
やっぱりこの背中の一文字がカッコイイ!!
西御座が無事に舞殿へ奉安されたのは23時半を回ったころでした。
そしてこのあと、神輿から本殿へと神の魂がうつされる「御霊移し」の儀が始まります。
境内の全ての照明が落とされ、真っ暗の空間の中、神事が執り行われました。
もう神秘的としかいいようのない、不思議な時間でした。
宮司さんの声はもはや人のそれではなく。
弾かれる雅楽の音色は神の声にも聞こえるほど。
自分の目の前を、神様が渡ってゆかれました。
再び灯りがともった瞬間、我に返りました。
凄かった・・・。
からっぽになってしまった、神輿。
この中御座は、28日夜、再び鴨川の水で清められ、神輿蔵へと奉安されました。
また来年、お会いしましょう。
ひとつずつ祭事や神事が終わり、明日には「神事済奉告祭」が行われます。
そして31日は、蘇民将来を祀る疫神社にて「夏越祓」。
ひとつずつ、ひとつずつ。
祗園御霊会の幕が降りてゆきます・・・。
<!-- kannkousai -->
いつもの場所で、ほんとうの祗園祭が始まる。
八坂神社の祭神・スサノオノミコトの魂を乗せた神輿、「中御座(なかござ)」を先導するのは、
神の使者として位を授かった、久世駒形稚児。
胸元に、白幣に包まれた馬の首(駒形)を抱きます。
還幸祭の先導をするのは、12日にお位を授かった、竝川(なみかわ)峻輔君。
そして、神輿を担ぐ與丁(よちょう)さんの掛け声が聞こえてきました。
子どもたちが、大人に続いて声を張り上げます。
三基の神輿は四条寺町の御旅所を出た後、氏子区域を練り歩きます。
神様の渡御です。
祗園御霊会(祗園祭)の起源となった神泉苑に、中御座が到着しました。
担ぐのは、神泉苑以南の三条通を中心とした若衆、「三若神輿会(さんわかしんよかい)」。
そして、発祥の地である「御供社(ごくうしゃ・おともしゃ)」は、三条会商店街の中にあります。
そう、私の行きつけの喫茶店「てらまち」を始め、週に何度も出かけるお馴染みの場所。
御供社は往時の神泉苑の南端にあたり、平安京の大内裏にありました。
ここ、三条大宮は平安時代より「祭の行列を点検する場所」だったようです。
そのため、今でも三基の神輿が御供社に参じ、奉饌が執り行われているそうです。
(詳しくは、八坂神社のHPにて)
まず始めに中御座が到着し、鳥居の前で激しく神輿を揺する「差上げ」が行われました。
私はすぐ横の店の前にいたので、物凄い熱気に窒息しそうになるほどでした^^;
神輿は相当な重量です。
何人もの與丁さんで担いでも、それぞれの肩には血がにじんでいました。
続いて、スサノオノミコトの奥様であるクシイナダヒメノミコトを乗せた東御座が到着。
担ぐのは三条京阪東南の若竹町を中心とした「四若神輿会(しわかしんよかい)」の方々。
神輿を担ぐために取り付けられた長い柱を「長柄(ながえ)」というのですが、
新調したばかりの四若さんの長柄はとんでもなく長い!!
大宮通から三条へ入るのにちょっと時間がかかりました。
いったん仕切りなおして・・・
「ホイットーホイットー」の掛け声で御供社へと向かいます。
そして最後は。
スサノオノミコト・クシイナダヒメノミコトのお子さんであるヤハシラノミコガミを乗せた、
西御座が御池通から大宮を南下して三条へやってきました。
担ぐのは、錦市場の若衆を中心とした「錦神輿会(にしきしんよかい)」です。
こうして三基の神輿が御供社へ参じ、氏子区域をそれぞれのコースを進んで、
八坂神社へと還ります。
(あ、てらまちマスターが写ってる…写真左下の帽子の人)
神輿が全て行ってしまうと、商店街はたちまち静けさを取り戻します。
本来、神様が氏子区域にお渡りすることが御霊会の形。
「祗園祭=山鉾巡行」のイメージが強いですが、この神輿渡御こそ祗園祭の姿。
7月の終わりに、本当の祗園祭が輪郭を示します。
っということで、今年もてらまちさんのご好意で「みこし弁当」を分けていただきました!
(去年も…★)
「みこし弁当」とは、神輿を担ぐ與丁(よちょう)さんのための夕食です。
竹の皮に包まれた白飯に梅干、たくあん、そして黒胡麻。
このお弁当には無病息災と安産の霊験があるそうです。
作るのは、中御座を担ぐ「三若神輿会」の男衆の方たち。
ご飯にお漬けもんの香りと色が移って美味しいのだ~^^
私もこれで活力がつきました!!
還幸祭の詳しくは、去年の記事をぜひ見てみてくださいね。【過去記事(1)と(2)】
トップ写真の金具が何なのか、お分かりいただけると思います。
神輿が八坂神社に還るまでに、私もこのお弁当を食べて。
再び夜の八坂神社へと向かいました。
花傘巡行で始まった7月24日は、まだまだ終わりません。
<!-- kannkousai -->
【動画のみどころ】
神輿差上げのとき、担ぎ手以外の人が担ぎ手の腰を支えてサポートしていました。
「ホイットーホイットー」の時の足の運び。
現場の熱狂感!!
後の祭り、花傘巡行が快晴の空の下、巡行しました。
私はこの花傘娘のひとり。
朝も早くから集合して着付けていただきました。
出発前に、本殿へ拝礼。
八坂神社から四条通を河原町まで、そこから御池通まで北上。
アーケード街の寺町商店街を四条通まで南下。
四条寺町の御旅所でくじ改め。
ここでも拝礼を行いました。
途中水分補給もしながら、ゆっくりゆったりの巡行。
すごく楽しかったです。
後ろの子ども神輿の子たちの威勢が良くて、たくさん元気をもらいました!
可愛かったぁ!
そして神社に戻り、再び参拝。
これで巡行は終わりです。
写真は、mi-tun姉が撮ってくれました。
朝早くから暑い中、ありがとう!
凄く楽しい思い出が出来ました。
来年もまた参加できたらいいなぁ。
では、神輿の「おかえり」を見に出かけてまいります。
眠い。。。
巡行の終わり・・・そして。
最後にお報せがございます^^
新町御池に、南観音山の姿が見えると。
私はにわかに胸が高鳴ります。
そして、ちょろちょろと着いてゆく。
百足屋町に帰ってきた南観音山は、多くの拍手に出迎えられました。
お囃子がいっそう早くなり、笛の音がひときわ高く空に響くと・・・
2008年の、南観音山の巡行が終わりました。
拍手の波の後は、その場にいる全員での三本締め!
私も南観音山と一緒に、巡行の最後を祝福してきました。。。
<!-- おかえり -->
みんながニコニコ・・・にこにこ・・・Ready Go!
山に着けられた柳の葉の争奪戦の始まりです!!!
阿鼻叫喚。
地獄絵図。
まるで蜘蛛の糸の世界がそこに広がります(笑)
巡行を終えた柳の葉には厄払いのご利益があるとされ、
それが音頭取や車方の手から授与されることでよりいっそうの価値があると。
だからみなさん必死です。
もちろんmaikyも必死です。
命からがら、無事に柳の葉をいただいてまいりました。
あぁー死ぬかと思いました。
去年は北観音山でそれと知らずに巻き込まれましたが(笑)
今年は念願の南観音山の柳です!
というわけで、玄関はこんな感じになりました。
南観音山づくしです。
粽に取り付けたのは、松建ての時にいただいてきたもの。
真松(トップ写真)の枝と、山建ての縄の切れ端。
いただいたというか、拾った…(笑)
どうぞ1年間、健康に過ごせますように。
ということで、灼熱の山鉾巡行は無事に終わりました。
私は6時間立ち尽くしでへろへろになって帰宅・・・バタッ・・・。
起きたら23時。
神幸祭、見に行けませんでした。
あぁーー!!!
その神幸祭とは、何ぞや?…これは去年の記事に任せるとします。
私が寝ている間に、八坂神社から四条寺町の御旅所に渡御した三基の神輿。
ここに17日から7日間、無言でお参りすると願いが叶うとされる「無言参り」。
私が「祗園祭はまだ続いている」といったのはこのことです。
15日の夜に、八坂の神様の御魂はこの三基の神輿に移されました。
つまり、今はここが八坂神社。
7月1日から続けている私の八坂神社参詣も、この7日間は御旅所への参詣になります。
参詣中はもとより、家に帰るまで誰とも話してはいけないというのはかなりプレッシャー。
だけど何とか続けてまいりました。
この神輿も明日の深夜には八坂神社に還り、御魂も社殿へとお戻りになります。
そう、明日は7月24日。
花傘巡行が雅やかに街を練ります。
昭和41年までは、17日(前祭)と24日(後祭)の2回に分けて行われていた山鉾巡行。
ですが間が空くことで、24日の巡行への注目度は極端に下がっていたとのこと。
「今さら、後の祭りを見たってしゃーない」
ここから、時期遅れで無駄という意味の「後の祭り」の言葉が生まれたということです。
そこで昭和41年から、山鉾巡行は17日に統一。
後祭を行っていた24日に、山鉾巡行の古い形を再現した花傘巡行が始まりました。
およそ千人に及ぶ巡行となります。
実はワタクシ・・・。
花傘巡行に、参加させていただくことになりました。
ついに、祗園祭に参加です!
千人のうちの一人が私です・・・。
若干緊張してまいりました。
明日は早朝から八坂神社に集合。
眠れるかなぁ(笑)
いや、起きられるかなぁ(深刻)
明日もとびっきりの晴天のようですが、しっかりお勤めを果たしたいと思います!
そして夕方にはいつもの姿に戻って、還幸祭をばっちり追いかけます!!
あっちぃ7月は、まだまだ終わらないのだ!
行って来ます!!
頑張ります!!!
動く美術館
巡行は御池新町で最後の辻回しを行い、南下、それぞれの町内へと帰ります。
新町通は幅が狭い上に電柱が乱立、道には観衆、両サイドに建物が迫る難所。
ここで活躍されるのが、鉾の進行方向を修正する屋根方さん。
新町姉小路の西角に建つこの建物は、新町通にせり出すように建っています。
おまけにここで新町通が若干東寄りに曲がっているので超難関!
今年は割りとスムーズにすり抜けていましたが、去年は引っかかってました。
それがよく分かる動画を去年撮っていたので、参考までに載せますね。
<!-- やね -->
こんなスリルを味わえるのも、新町通ならではの醍醐味なのです。
そして、目の前に迫り来る大きな鉾の迫力!
「動く美術館」と称される山鉾巡行を間近で堪能できる、新町通。
山鉾の全体像などはネット上にもたーくさん上っておりますので。
私はその美術品に、おニューの望遠レンズで接近してみましたヨ。
蟷螂山
tourou-yama
「かまきり山」とも称される、とってもユニークな山です。
車輪と連動して、首や手鎌、羽が動くので子供たちにも大人気!
「洛中洛外図屏風」にもその姿が確認できる、応仁の乱以前からの古い山です。
あらよっ。
…とまぁ、これは愛嬌のために鎌を振り上げているわけではなく^^;
車に轢かれそうになっている蟷螂が、怒って鎌を振り上げて威嚇している様子を、
「これが人間ならば、必ず天下に並びなき勇者になったであろう」という説話から。
確かに、道端を歩いているとたまに地面でめっちゃ威嚇してるカマキリ居ますよね。
そーかー、あれは小さな小さな勇者であったかー。
このカマキリが動く様子は、あとで動画でお楽しみくださいね~。(↓)
伯牙山
hakuga-yama
中国・楚の国の琴弾き名人の伯牙をご神体にいただく山です。
琴を聴く名人であった友の死去を悲しみ、自ら弦を絶ち二度と琴を弾かなかった。
この悲しそうな表情は、置かれた琴を凝視する伯牙の悲哀を表しています。
伯牙像は何と高さ196.5cm! 1790年作という200年もの時を生きていました。
「凄い」と思うのは、これが神社仏閣の所有ではなく、町内の宝物ということ。
この身近さに、京都の底力を感じます。
郭巨山
kakkyo-yama
家が貧しく、子を養おうとすると母が養えない。
子は再び得ることが出来るが、母は得ることが出来ない。
…と、郭巨は子どもを棄てる決心をして山中に入りました。
すると土の中に釜があり、開けてみたら黄金がいっぱい入っていた。
という説話に基づいた山です。
郭巨像は伯牙像とほぼ同じ頃、1789年作。
衣装は昭和56年に新調したっちゅーので、私と同じ年だわね^^
この像も表情が良くて・・・ぐっと近寄って見るのがいいですね。
横に子どもさんの像がいはるんですが、写せませんでした~。
岩戸山
iwato-yama
走る姿勢で屋根上に乗る、イザナギノミコト像の表情にビックリしました!
巨大な目は黄金、大きな獅子鼻、むき出しの金歯、顔は紫黒のギョッとする容貌。
こちらも1791年作と箱書きにある古いご神体です。
山鉾の屋根には通常屋根方さんしか居ませんが、岩戸山はそこにご神体。
同じように見える山鉾だけど、もうこれで岩戸山はカンペキですね♪
ざばーん!!
来ました! 出陣の船鉾!!
船の舳先には、水難を避けるとされる想像上の瑞鳥、「鷁(げき)」がとまります。
この鷁(げき)のカッコ良さにファン多し。(注:maiky含む)
高さ1.3m、両翼長2.7mもの巨大な木彫り総金箔の鷁(げき)は250年前の作だそうで。
あー圧倒される。
そこな少年、波の具合は良好かな?
橋弁慶山
hashi-benkei-yama
多くの山鉾が中国の史話を基にしている中、日本の謡曲「橋弁慶」に取材した山です。
これはもー、日本人なら馴染みやすいですよね。
そのまんま、五条大橋の上で対決する牛若丸と弁慶の戦いの様子です。
橋弁慶山は、まだ巡行が17日と24日に分けて行われていたとき、
「くじ取らず」の山として24日の後祭りで先頭を行っていた古い歴史を持つ山です。
歴史に名高い美少年とされる牛若丸のご神体。
頭部に残る墨書きには・・・
「永禄六年(1563)六月吉日 七条大仏師 康運之作造」
と・・・あるそうで!!!
ひゃぁ~っ
maiky、息切れがしてまいりました。
黒主山
kuronushi-yama
そんな時は、大友黒主(おおとものくろぬし)翁と桜でも眺めて一息つきまひょ
翁の装束にも桜の柄。
鮮やかな桜はそのひとつひとつが、来年の粽に添えて授与されます。
去年、祗園祭デビューした私はまずこちらの粽をいただきました。
風流のある美しい山で、とても好きです。
オリジナルのグッズがとても人気なんですってー。
八幡山
hachiman-yama
さて問題。
「八幡宮」の扁額字の中に、鳩は何羽隠れているでしょうか!
この鳥居に何気なく飾られている可愛らしい鳩ぽっぽ。
なにげに、伝・左甚五郎の作。
ひ、左甚五郎といえば日光東照宮の眠り猫とか、知恩院の鶯張りの廊下とか!
めっちゃ有名な江戸時代の彫刻家さんです。
すごいわー。
では、問題の答え。
それは・・・あなたのその100万ボルトの瞳の中に・・・
鯉山
koi-yama
左甚五郎つながりで、この鯉も彼の作品とされています。
「登竜門」の説話から鯉をテーマにした山。
なんとヒレは取り外し可能だそうです。
会所飾りの時の鯉をクローズアップ!
あのヒレが外れるんですね。
さて、鯉山でビックリするのは山の後ろにかけられる「見送り」です。
同じく、会所飾り時の写真。
この見送りについては鯉山のHPに驚かされるので覗いてみてください。
(鯉山公式HP)
浄妙山
joumyou-yama
また、かっこいい山が来ました!
平家物語の宇治川の合戦をテーマにした山です。
三井寺の僧・筒井浄妙。
宇治橋の上で、平知盛(たいらの・とももり)を一人で食い止めつつ先陣を切る姿。
身にまとった鎧の胴丸は、何と重要文化財。
鎧は楠正成の所有という伝承を持つそうですが、実際は室町後半の品だそうです。
びっくりしたのが、臑当て(すねあて)。
土佐坊昌俊(とさのぼう・しょうしゅん)の所有という伝承があるそうで!?
ととと、土佐坊昌俊といえば、義経の住まう堀川殿に夜襲した坊さんじゃないか!
平安時代の人です。
「伝承」とのことだけど、もし本当ならおったまげるわー。
そして躍動感溢れるこちらは、一来法師(いちらいほうし)像。
浄妙の頭に手を乗せ、鮮やかに飛び越えて先陣を果たした一瞬を表したもの。
浄妙像と同じ木の枝部分を使っているそうです。
左手の手のひらに20cmほどの突起があって、それを浄妙の頭部に差し込むんだとか。
肩に乗っている四角いのは座布団のようなものだそうです。
むむむー面白い!
来年は反対側からその表情にもっと迫るぞ!!
山鉾は全部で32基あります。
さすがに全部は紹介しきれませんので、今年はこんなところで。
では、お待たせしました。巡行の動画です。
見どころは、蟷螂山のカマキリが動くところ。
放下鉾の稚児人形、三光丸の稚児舞。
そしてきしむ鉾の唸り声。
(今年の放下鉾、すごい音してたなぁ…)
<!-- 巡行 -->
山鉾巡行シリーズ、次回で最終回です。
明後日には、後の祭りの花傘巡行!!!
その前に、ちょっとしたお報せがあるので明日書きまーす。
皆さん、今日もご覧頂き、ありがとうございます!