『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

伴正林(ともしゃうりん)

2018-06-14 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
伴正林(ともしゃうりん)

〔現代仮名遣い〕ともしょうりん


相撲取り。伴氏は近江甲賀郡の豪族で甲賀武士

の有力者。一族を「伴党」という。

1579年8月安土の相撲で優れた相撲を取り、信長

    からすぐに扶持人として召し出される。

    丁度折檻され籠に入れられていた鉄炮屋

    与四郎の私宅・資財・雑具、及び知行百

    石・のし付の太刀・脇差大小二つ・小袖・

    馬・皆具などを下される。

1580年5月安土の相撲でよい相撲を取り、米五十

    石を下される。1582年6月明智光秀が本

    能寺の信長を襲撃すると、厩から切って

    出て討ち死に。


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