『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

伊勢貞景(いせさだかげ)

2015-12-15 21:26:41 | 信長公記の蔵:人物篇
伊勢貞景(いせさだかげ)

〔現代かなづかい〕いせさだかげ


 ※下線部は信長公記以外の記事によります。


兵庫頭。伊勢守貞興の兄。のち貞為。

父貞良戦死のとき幼少のため家臣に養育され、

若狭国小浜城に退居した。成長して織田信長に

仕えたが、病身のため辞する。


1581年1月安土での馬場入りに馬に乗り参加。

1581年2月京都での馬揃えに、公家衆として

    参加。

のち羽柴秀吉に仕えるがこれも辞する。

1609年5月死去。



↓ランキングに参加中。クリック応援よろしくお願いします!
にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ
にほんブログ村
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 戦国データ篇VOL.5 近江・美... | トップ | 悪源太(あくげんた) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

信長公記の蔵:人物篇」カテゴリの最新記事