『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

信長から細川藤孝への手紙:29織田信長自筆感状(長岡忠興あて) 天正五年十月二日

2020-06-09 00:00:00 | 信長から細川藤孝への手紙(永青文庫所蔵)
【注意事項】

1)本記事は、吉川弘文館刊「永青文庫叢書

細川家文書中世編」を参照しています。

2)現代語訳は純野の“意訳”ですので、訳

し間違いがあるかもしれません。

3)カッコ内は、現代語に直した場合意味が

通じない可能性のある部分に純野が追記した

文言です。

4)現代の歴史書物と異なる表記がある場合

はなるべく原文のままとしました。


29織田信長自筆感状(長岡忠興あて) 天正

五年十月二日

<本文>

 (松永一味の籠もる片岡城の)陣から(貴殿ら

に殊勝な軍働きがあった旨)折紙が届き拝見さ

せていただいた。いや増しの軍働きとのことで

ある。油断なく(下臣に)馳走(褒美)されるよう

願う。かしく。

天正五年十月二日 

 長岡与一郎(忠興)殿

  ※天正五年=1577年


**純野のつぶやき**

天正五年(1577年)の十月二日付けで信長公が

長岡与一郎忠興に送った自筆感状です。長岡与

一郎忠興は永禄六年(1563年)生まれですので、

この年数えで15歳ですから、軍に同行させた父

藤孝も主君の信長公もヒヤヒヤものだったでしょ

う。十月一日に、長岡藤孝・惟任光秀・筒井順慶・

山城衆らが、松永一味の森秀光・えびな勝正の楯籠

る片岡城を攻略し「藤孝が同行させた子息長岡忠

興・昌興兄弟の活躍が信長公に伝わり信長から感

状を下された」と史実にありますので、この感状は

それを指すものと思われます。
 
 ただ、この戦いで惟任光秀も活躍したらしいの

ですが、信長公の自筆感状がでていたかどうか・・

以上



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