『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

信長の『三間間中柄の槍』と『国道の幅』

2013-04-28 18:06:01 | 純野のつぶやき、あるいは趣味と妄想
戦国時代には、織田信長が『三間間中柄の槍』(6.3m)

を開発しましたが、たまたま近代・現代の国道の道幅を

調べていたら、明治時代の「一等国道」は道幅七間

(12.6m)だったそうです!!


つまりは信長の槍を横に2本(七間=3.5間×2)並べた長さ!

なにかの偶然でしょうか?それとも明治時代の役人は戦国

時代の歴史を知っていて採用したのでしょうか?

WIKI 国道

にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ
にほんブログ村
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 江戸から尾張へ!岩倉千本桜... | トップ | 哀れみ転じて胸を焼く »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

純野のつぶやき、あるいは趣味と妄想」カテゴリの最新記事