『水練』とは読んで字の如く「水泳の練習」です。
信長公記では首巻第七「上総介信長殿行儀の事」に
「三月から九月までは川に入り、水練の御達者なり」
とあります。
源平盛衰記では宇治川をわたるときの指示について、
以下のような詳細な記述があります。非常に臨場感
あふれる指示が下されています。
1)巻十五 謀反を起こした高倉宮を平家が討伐に
向かった戦い
《この場面では足利又太郎忠綱が渡河戦の指示を
出します》
・強い馬を上流に立たせ弱い馬を下流に並べる
・馬の足が底についているうちは手綱を操作して
歩ませる
・馬が足をバタつかせたら手綱をゆるめて泳がせる
・前よりに重心をかけるよう
・水を越したら馬の尻尾の付け根のほうに下がって
おりる
・水の中では足に力を込め馬に軽く身をあずける
・手綱はしっかりにぎりかといって引き絞らない
・敵をしっかり注視する
・仰のきすぎて甲の内側を射させないよう
・うつむきすぎて甲の天辺を射させないよう
・鎧の袖を真向にあてて防御する
・水の中では身繕いしない
・自分の馬が弱いからと言って人の馬をたよって
二人とも押し流されることのないよう
・敵が弓矢を射て来ても返し矢をしようとして弓
を引き押し流されて笑われることのないよう
・弓の本はずのほうを軽く引いて射掛けるよう
・全員が心を合わせて『えい』と声を出して
わたるよう
・水を真直ぐにわたろうとして失敗するな
・流れに従い『流れ渡り』で渡るよう
2)巻三十五 源範頼・義経が木曽義仲を討伐に
向かった戦い
《まずは畠山庄司次郎重忠が指示を出します》
・馬の足が立つうちは手綱をしっかり握る
・馬の足がはずんだら手綱をゆるめて泳がせる
・馬が水に没したら草頭(尻尾の付け根)に乗り
下がり鞍から尻を外して水を通す
・強い馬を上流に歩ませ厳しい流れを防がせる
・弱い馬を下流に歩ませ流れのゆるくなったところ
を渡る
・川の中では弓を引かない
・射向けの袖を真向にかざし常に鎧突きをする
・互いの弓をつかみ合い前の馬の草頭に後ろの馬の
頭をのせ息をつがせる
・息が弾むと馬も弱るのですきま無く並んでいき
馬にも人にも力添えをする
・真直ぐに川をわたろうとして誤つことのないよう
・流れに任せて川を渡るよう
《同じ場面で源義経も指示を出します》
・馬筏を組み強い馬を上流に歩ませ厳しい流れを
防がせる
・弱い馬を下流に歩ませ流れのゆるくなったところ
を渡る
・馬の足が届かなくなったら手綱をくれて泳がせる
・馬が足をばたつかせたら弓手(左手)の手綱を
ゆるめ妻手(右手)の手綱を少し引く
・四つんばいの形に乗り馬を楽に泳がせる
・手綱を強く引き馬に引きずられて誤つことの
無いよう
・尾の方が沈めば前輪(鞍の前のほう)にすがる
・馬に石突き(石を強く踏むこと)させて足を
いためさせないこと
・常に鐙で馬の胴をはさみつける
・敵が射てきても射返すな
・敵に合わせて弓を引き錣を射られることの
無いよう
・伏せすぎて天辺を射られるな
・射向けの袖(鎧の左の袖)を真向にかざし物具に
隙間を作るな
・下流に流された武者がいれば弓の弭を差し出し
取り付かせて泳がせよ
・川を真直ぐに渡ろうとして誤ちすな
・馬の頭は水面に出させ童すがり(子供のような
だっこ)に馬の首にすがり弓の本弭をかけながら
『えい』と声をだして馬に力を添えよ
なかでも畠山庄司次郎重忠はこの戦いで、「川に
流された武者二人を助けた上に、傷ついた愛馬
『鬼栗毛』を背中にからって川を渡りきった」と
されています。なんともすさまじい怪力!
信長公記では、首巻第二十七「蛇がへの事」
(※「蛇」は原文は「虫」へんに「也」)で
信長の水練の腕が自らの命を救ったエピソードと
して記載されています。おそらく平安期から信長
公記が成立した江戸初期まで、「渡河戦を制する
者が天下を制する」という考え方が読者にとって
常識であったのではないかと思います。

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信長公記では首巻第七「上総介信長殿行儀の事」に
「三月から九月までは川に入り、水練の御達者なり」
とあります。
源平盛衰記では宇治川をわたるときの指示について、
以下のような詳細な記述があります。非常に臨場感
あふれる指示が下されています。
1)巻十五 謀反を起こした高倉宮を平家が討伐に
向かった戦い
《この場面では足利又太郎忠綱が渡河戦の指示を
出します》
・強い馬を上流に立たせ弱い馬を下流に並べる
・馬の足が底についているうちは手綱を操作して
歩ませる
・馬が足をバタつかせたら手綱をゆるめて泳がせる
・前よりに重心をかけるよう
・水を越したら馬の尻尾の付け根のほうに下がって
おりる
・水の中では足に力を込め馬に軽く身をあずける
・手綱はしっかりにぎりかといって引き絞らない
・敵をしっかり注視する
・仰のきすぎて甲の内側を射させないよう
・うつむきすぎて甲の天辺を射させないよう
・鎧の袖を真向にあてて防御する
・水の中では身繕いしない
・自分の馬が弱いからと言って人の馬をたよって
二人とも押し流されることのないよう
・敵が弓矢を射て来ても返し矢をしようとして弓
を引き押し流されて笑われることのないよう
・弓の本はずのほうを軽く引いて射掛けるよう
・全員が心を合わせて『えい』と声を出して
わたるよう
・水を真直ぐにわたろうとして失敗するな
・流れに従い『流れ渡り』で渡るよう
2)巻三十五 源範頼・義経が木曽義仲を討伐に
向かった戦い
《まずは畠山庄司次郎重忠が指示を出します》
・馬の足が立つうちは手綱をしっかり握る
・馬の足がはずんだら手綱をゆるめて泳がせる
・馬が水に没したら草頭(尻尾の付け根)に乗り
下がり鞍から尻を外して水を通す
・強い馬を上流に歩ませ厳しい流れを防がせる
・弱い馬を下流に歩ませ流れのゆるくなったところ
を渡る
・川の中では弓を引かない
・射向けの袖を真向にかざし常に鎧突きをする
・互いの弓をつかみ合い前の馬の草頭に後ろの馬の
頭をのせ息をつがせる
・息が弾むと馬も弱るのですきま無く並んでいき
馬にも人にも力添えをする
・真直ぐに川をわたろうとして誤つことのないよう
・流れに任せて川を渡るよう
《同じ場面で源義経も指示を出します》
・馬筏を組み強い馬を上流に歩ませ厳しい流れを
防がせる
・弱い馬を下流に歩ませ流れのゆるくなったところ
を渡る
・馬の足が届かなくなったら手綱をくれて泳がせる
・馬が足をばたつかせたら弓手(左手)の手綱を
ゆるめ妻手(右手)の手綱を少し引く
・四つんばいの形に乗り馬を楽に泳がせる
・手綱を強く引き馬に引きずられて誤つことの
無いよう
・尾の方が沈めば前輪(鞍の前のほう)にすがる
・馬に石突き(石を強く踏むこと)させて足を
いためさせないこと
・常に鐙で馬の胴をはさみつける
・敵が射てきても射返すな
・敵に合わせて弓を引き錣を射られることの
無いよう
・伏せすぎて天辺を射られるな
・射向けの袖(鎧の左の袖)を真向にかざし物具に
隙間を作るな
・下流に流された武者がいれば弓の弭を差し出し
取り付かせて泳がせよ
・川を真直ぐに渡ろうとして誤ちすな
・馬の頭は水面に出させ童すがり(子供のような
だっこ)に馬の首にすがり弓の本弭をかけながら
『えい』と声をだして馬に力を添えよ
なかでも畠山庄司次郎重忠はこの戦いで、「川に
流された武者二人を助けた上に、傷ついた愛馬
『鬼栗毛』を背中にからって川を渡りきった」と
されています。なんともすさまじい怪力!
信長公記では、首巻第二十七「蛇がへの事」
(※「蛇」は原文は「虫」へんに「也」)で
信長の水練の腕が自らの命を救ったエピソードと
して記載されています。おそらく平安期から信長
公記が成立した江戸初期まで、「渡河戦を制する
者が天下を制する」という考え方が読者にとって
常識であったのではないかと思います。

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