昔の書物には、その当時までによく読まれていた
書物の名文句を使って、読者にどの原典から引用
したかわかるようにしてあるものが多くあります。
《例:天道恐敷候なり》
たとえば信長公記に出てくる文言で
「天道恐敷候なり」
(天の決めた運命は恐れ多いものである)
がありますが、これは南北朝頃に成立したとされる
源平盛衰記では
「冥慮測り難し」
(冥界の思し召しは推測するのも恐れ多い)
とあります。さらにさかのぼると、中国漢の時代に
成立したとされる史記-伯夷列伝では、
「天道是か非か」
(天の決めることには情け容赦ないのだろうか?
推測するのも恐れ多い)
とあり、信長公記が成立した江戸時代前期に、少なく
とも武家の学問書として両書が読まれていたならば、
皆「はは~!」と気づく仕組みになっています。
信長公記の最後で織田信長が本能寺に明智光秀から
襲われるとき、「是非に及ばず」とつぶやきますが、
ふつうこれは「いたしかたない」と訳されています
が、上記の先例を考えるなら、
「天の決めた裁きならば論じるのも恐れ多い」
という訳になるかもしれません。

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したかわかるようにしてあるものが多くあります。
《例:天道恐敷候なり》
たとえば信長公記に出てくる文言で
「天道恐敷候なり」
(天の決めた運命は恐れ多いものである)
がありますが、これは南北朝頃に成立したとされる
源平盛衰記では
「冥慮測り難し」
(冥界の思し召しは推測するのも恐れ多い)
とあります。さらにさかのぼると、中国漢の時代に
成立したとされる史記-伯夷列伝では、
「天道是か非か」
(天の決めることには情け容赦ないのだろうか?
推測するのも恐れ多い)
とあり、信長公記が成立した江戸時代前期に、少なく
とも武家の学問書として両書が読まれていたならば、
皆「はは~!」と気づく仕組みになっています。
信長公記の最後で織田信長が本能寺に明智光秀から
襲われるとき、「是非に及ばず」とつぶやきますが、
ふつうこれは「いたしかたない」と訳されています
が、上記の先例を考えるなら、
「天の決めた裁きならば論じるのも恐れ多い」
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