あややのやすらぎ 『蛇螺蛇螺日記』

平成の歌姫、松浦亜弥さんについて文字通り蛇螺蛇螺(だらだら)と綴る日記帳です。

Gyao観ました

2006年11月28日 | 松浦亜弥
遅ればせながら、Gyao "MUSIC and PEOPLE" 第一回
亜弥さん出演の回を観ました。

語ってますね。非常に面白(interesting)かった。。

明日発売のアルバム「Naked Songs」の収録風景。
ついにバンドセッションでのアルバムなんですね。
ANNも聴けないし、全然知らなかった。。洋楽のカヴァーが
あること位かな…各サイトさんを巡って予備知識として持って
いたのは。。

「桃色片想い」が一発録りだった、というのも
なるほどさすが。これだけライブでも歌い続けてきた歌ならば
当然自分の中でもこの歌について確立されたものがあるだろう。
しかもバンドセッションなら、その時の最高の表現が出来ている、
と思うならばそれでOK。…それが「アーティスト」。

「アーティスト」
…前回放送の上海ライブでもしきりに使われていた言葉。。
私自身、自分のサイトの中でもずいぶん以前から
亜弥さんのことをそう表現してきました。
作詞作曲ひっくるめて全部をこなしてこそ歌手世界での
「アーティスト」、ではないと日記にも書いたことがありました。

「アーティスト」=「表現者」。

あの松任谷由美さんが亜弥さんへのアドバイスとして言ったと
言われる、

「人が創り、与えられた詩曲をこれだけちゃんと理解して
表現できる人っていない」

という言葉はこれと全く同じ意味だろうと私は思う。

歌詞世界を、自分なりの解釈を加えつつ「きちんと理解」し、
そして「表現」できる、というのは「アーティスト」として本質的に
求められるもの。それをちゃんと亜弥さんはずっと昔から
持っている。

「風信子」では『有難う』を真の意味で理解して歌っている。。
これが証拠。


ただ…今はまだある意味荒削り・手探りの状態。。

番組中披露された「I know」もせっかくセッションを組んでいるの
だからもっと遊んでもいい、と思った…もっと原曲から外れて
別アレンジしてしまってもいいと思うのに、やっぱりカラオケレベル。
魅力が少し欠けてしまう、と思ってしまうのはそこなんだろう。

でも亜弥さんは既にそのことに気付いている。

「ここをこう短くしてみたら」
「次はこんな感じで歌ってみよう」…

そんな風に今無我夢中で「自分自身」「歌手としての可能性
の道」を探し続けている亜弥さんをこれからも応援し続けたい。

その行く末に、今のように使い捨てみたいに浮き出ては
消え去っていく、中途半端で薄っぺらい「いわゆる歌手」とは
全く一線を画し、聴く者全てに「癒し」と「優しさ」を与え続ける
本物の「歌手」として存在し続ける松浦亜弥が私には見える。


このサイトを立ち上げた当時は特に心の疲れがひどく、
人が嫌いで、荒みきった気持ちで過ごす日々だった。。
それでも亜弥さんの歌に癒され、自然にこぼれる涙で心洗われ、
元気をもらう毎日。。本当に助けてもらっていた…

今は仕事も内容が変わり、体の疲労はそれほど変わらないまでも、
心の疲れが随分と減り、"癒してもらう必要"そのものがなくなって
きたにもかかわらず…

やっぱりこの番組の最後に亜弥さんの歌う「ハピネス」には
涙が止まらなかった。。


亜弥さん。

あなたの歌、いえ存在そのものにちゃんとオーラがあるのですよ。
ステージから遠く離れた座席でも、くらくらするくらい強いオーラが。
心の琴線にやさしく触れ、心をきれいに洗い流すやさしいオーラが…
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする