Masaca's Blog 2

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佐世保の事件5

2005-05-31 18:16:42 | Weblog
あの事件から早1年が経つんだそうです。

自分的には、何かある毎に例の事件とこの事件を思い出しつつ、すぐに思考のメインから消し去ろうとしてきました。それによって、自分の中に占めるあの事件の割合を故意に狭めていたように思います。

5月14日には恒例の墓参も無事に済ませ、いつもの如く酒を酌み交わしてきました。

# 今年はいつもと違って4合瓶ではなく一升瓶だったので、
# いっぱい飲ませてしまいました(笑)。

毎年、こうして少しずつ昇華しているんだろうと、無理に自覚しています。

佐世保の事件の被害者のお父さんの手記(1・2)が掲載されています。さすがに報道人らしく、いろんな視点からこの事件を見つめていらっしゃいます。まさにこれまでの多くの遺族が言いたかったことを代弁しているかのようです。

私は遺族でもなく、被害者でもない。でも、友人をあの事件で亡くした。それによって、暗闇が私の中に生じてしまった。それを何もせずに放置していたら、よく似た暗闇が突然現れて自分の暗闇を自覚させた。自分に暗闇が未だに厳然と存在していることに愕然とし、それから逃れることも出来ず、ただ昇華していくのを待った。未だに昇華はしきっていない。仕事にいまいち完全に乗り切れないのをあの事件のせいにしてはいけないと思いつつ、どこかでいつも躓く自分を端から眺めている自分。

いつかまた、自分の暗闇を自覚させるような暗闇が自分の前に訪れることだろうと思いつつ、それを「いつ来るのか」と怯えていても何もならないことを自覚して、どうにかこうにかこれからを過ごしていくことになりそうです。

この一年の中には、あの事件ほど大きなものではないけれど、被害者ではなく加害者になってしまった友人も居ます。思えば、あの事件では、友人が加害者になり被害者になったので、余計につらかったのですが、また再び、友人が加害者になって、それを償うのに当人のそれまでの人生を破壊せざるを得なかったのを聞くに付け、被害者も加害者もその周囲には多くの人がいて、その全てがある意味被害者になりうるのだとこの歳になって実感しています。

私に出来るのは、私の周囲の人々を悲しみに暮れる被害者にしないように気をつけ、そしてがんばることだけです。がんばれるのかどうか未だに不安ですが、どうにかこうにかやっていきます。そうすることで、自分の中の暗闇も少しずつ狭まっていくことでしょう。


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