告知の日からのガン日記(上咽頭がんー丸山ワクチン日記)

08年7月の告知。5年生存率60%の標準治療を断わる。丸山ワクチンを決断。団塊世代、男性。試行錯誤の過程をリアルタイムで

ガンを克服した人々の手記

2010年08月19日 | Weblog
昭和51年発行の丸山千里著「丸山ワクチン」には、患者からの手記が多く載せられている。手記はほとんどが本名で紹介されているとある。まさによみがえる生命。


舌ガン・後藤茂氏(63歳・医師・東京都板橋区赤塚)
「先生、こんどは私が患者です」そう言って、板橋区の医師会会長の後藤茂博士は弱々しい笑みを浮かべた。後藤博士は丸山ワクチンに関心を寄せ、42年頃から自分の患者にワクチンを使っていた。今度は自分の番だという。「どうなさったんです」「これですよ」口を開くとブツブツが出来ている。それは放射線治療をこころみてできたものだという。ガンに気づいたのは47年10月。舌の入れ歯にあたった部分がざらざらと荒れており、少ししょっぱい味がする。48年2月生検、扁平上皮ガン。頸のリンパ腺にも転移、その後2ヶ月間入院し、外側からベータートロン照射と舌に直接放射線照射をおこなった。口に潰瘍ができてものを食べれなくなった。「まだつづける必要がある」というのを振り切って退院。丸山医師のもとを訪れた。

48年12月、別の場所に新しいガンが発生した。翌49年2月には、それが2箇所になった。次第に大きくなった。5月9日から、ワクチン注射をAB方式からBB方式に変えてみた。10本ほど打った後「どうもきのうと形が変わっている感じがする。小さくなったようです」報告を受けた。

徐々に小さくなって、半年後にガンは完全に死滅してしまった。12月5日、ガン死になった部分がポコッととれ、これが今も瘢痕を残している。良い医者になるためには、その病気をいちど患ってみること。とんだ回り道であったが、すばらしい経験となった。(要約)