今回はいつもにも増してまとまりの無い話になりそうなんですが、
近年の日本人(日本人だけじゃないかも)に国家の意識が薄れている要因として
昔(いつ頃かな?)よりも「"個人の成功"が取り沙汰される事が多い」
ということがあると思います。
その背景として、
「個人間の競争社会が進んだ」ことと
「情報伝達手段が劇的に発展した」
ことのように思います。
「個人間の競争社会が進んだ」というのはやっぱり資本主義が進んだ事が大きいのかな。国内で普通に生きていても、目の前の生活としてお金の稼ぎ合いであり、より多くお金を手に入れたら生活が裕福になる。同じ日本人の間でそういう競争を強いられる。
「情報伝達手段が劇的に発展した」というのはやっぱりテレビだと思います。
テレビによって大小様々な情報が相当な広範囲に伝達される。その上「個人間の競争社会が進んだ」社会になっていくと、"個人の成功"に価値や魅力が生まれるため、その情報をより多く発信していく。それを見て育った広範囲の視聴者はやはり「個人の成功が人生の目的」という価値観や精神を育んでいき(TVの所有数からするに、その価値観の波及効果は凄まじく、あっという間にそれは広まる。)、さらに個人間の競争社会にのめり込む。そういった人たちの仕事によって作られたり生み出された物は"個人の成功"を背景としており、その価値観にさらに現実味を加えていく。
そういったスパイラルで、あっという間に日本人の中から全体主義的な国家の意識は失われていったのではないかなあ、という感じがします。
かく言う自分だって、やっぱりそういった背景で育っていったので、やはり心の中では"個人の成功"というものにどうしても重きを置いてしまっているのが分かります。
これはでも、おそらく日本だけではないでしょうね。どこの国でもある程度そいう個人の価値観は進んでいってると思います。上の2つの要素はどこの国にもあるでしょうから。とりわけ日本は戦後の高度成長が著しかったから、急速にその価値観が進んだ感は否めない気がします。
かといって今更競争社会を止めろとか、テレビを廃止しろとか、そんな事はできるはずもありません。
だからといってもう諦めろ、という話ではつれないし、現実それではマズいことでしょう。
じゃあどうすれば、、という話ですが、大枠を言うと簡単で、その「マズい」という気持ちから来る価値観を明確にしてより多く広く伝達していけば良いということだと思います。
要は今後より多くの人がどっかで行き詰まり「このままではマズいな」と思う時がくるはず、その時の「マズいな」を(「何がマズくて何が必要か」を)、またはそれを背景にした情報を、どんどん伝達していく事なんだろうと思います。その効果はすぐに出るというわけにはいかないでしょうけど(やはり現状の社会構造があるので)、そうやって多くの人が育てば、今後その人達が新たな価値観に基づいた仕事によってマズくない物に塗り替えてくれると思います。
なのでこれまでの価値観によって作られた目の前の生活に屈したり甘んじたりこれが現実と思い込んで変えられないと諦めてしまうのではなく(変えられないというのも「目の前ですぐに変えたい」という今の価値観に基づいている事が大きい)、「変わった価値観の結果は、必ず時間差で出てくる」と言うことを肝に銘じて、諦めずにまずは情報を伝達していく事なんだと思います。
今はまだテレビは個人主義にかなり重きを置いた情報しか流しませんが、諦めなければそれも徐々に変わってくるでしょう。テレビが変われば峠を越えたような、かなりのターニングポイントかもしれません。(それほどテレビは情報統制に長けたツールなんでしょうね。諸刃の剣かもしれませんけど。。)
現状に飲み込まれて諦める事もなく、
細かくて小難しい技術論を決め込んだりする前に、いやそれも必要ですけどそれよりも大きな重要度で(それに飲み込まれ捻じ曲げられることがないような優先度で)、「そもそも」の価値観というものを「このままでいいのか」と考え直す事を、というかまあ言ってしまえば「国家の意識」というものを、最初は言葉だけでもいつまでも挫けずにより多く広く取り沙汰していく事がとにかく今必要な事なのかもしれないですね。
近年の日本人(日本人だけじゃないかも)に国家の意識が薄れている要因として
昔(いつ頃かな?)よりも「"個人の成功"が取り沙汰される事が多い」
ということがあると思います。
その背景として、
「個人間の競争社会が進んだ」ことと
「情報伝達手段が劇的に発展した」
ことのように思います。
「個人間の競争社会が進んだ」というのはやっぱり資本主義が進んだ事が大きいのかな。国内で普通に生きていても、目の前の生活としてお金の稼ぎ合いであり、より多くお金を手に入れたら生活が裕福になる。同じ日本人の間でそういう競争を強いられる。
「情報伝達手段が劇的に発展した」というのはやっぱりテレビだと思います。
テレビによって大小様々な情報が相当な広範囲に伝達される。その上「個人間の競争社会が進んだ」社会になっていくと、"個人の成功"に価値や魅力が生まれるため、その情報をより多く発信していく。それを見て育った広範囲の視聴者はやはり「個人の成功が人生の目的」という価値観や精神を育んでいき(TVの所有数からするに、その価値観の波及効果は凄まじく、あっという間にそれは広まる。)、さらに個人間の競争社会にのめり込む。そういった人たちの仕事によって作られたり生み出された物は"個人の成功"を背景としており、その価値観にさらに現実味を加えていく。
そういったスパイラルで、あっという間に日本人の中から全体主義的な国家の意識は失われていったのではないかなあ、という感じがします。
かく言う自分だって、やっぱりそういった背景で育っていったので、やはり心の中では"個人の成功"というものにどうしても重きを置いてしまっているのが分かります。
これはでも、おそらく日本だけではないでしょうね。どこの国でもある程度そいう個人の価値観は進んでいってると思います。上の2つの要素はどこの国にもあるでしょうから。とりわけ日本は戦後の高度成長が著しかったから、急速にその価値観が進んだ感は否めない気がします。
かといって今更競争社会を止めろとか、テレビを廃止しろとか、そんな事はできるはずもありません。
だからといってもう諦めろ、という話ではつれないし、現実それではマズいことでしょう。
じゃあどうすれば、、という話ですが、大枠を言うと簡単で、その「マズい」という気持ちから来る価値観を明確にしてより多く広く伝達していけば良いということだと思います。
要は今後より多くの人がどっかで行き詰まり「このままではマズいな」と思う時がくるはず、その時の「マズいな」を(「何がマズくて何が必要か」を)、またはそれを背景にした情報を、どんどん伝達していく事なんだろうと思います。その効果はすぐに出るというわけにはいかないでしょうけど(やはり現状の社会構造があるので)、そうやって多くの人が育てば、今後その人達が新たな価値観に基づいた仕事によってマズくない物に塗り替えてくれると思います。
なのでこれまでの価値観によって作られた目の前の生活に屈したり甘んじたりこれが現実と思い込んで変えられないと諦めてしまうのではなく(変えられないというのも「目の前ですぐに変えたい」という今の価値観に基づいている事が大きい)、「変わった価値観の結果は、必ず時間差で出てくる」と言うことを肝に銘じて、諦めずにまずは情報を伝達していく事なんだと思います。
今はまだテレビは個人主義にかなり重きを置いた情報しか流しませんが、諦めなければそれも徐々に変わってくるでしょう。テレビが変われば峠を越えたような、かなりのターニングポイントかもしれません。(それほどテレビは情報統制に長けたツールなんでしょうね。諸刃の剣かもしれませんけど。。)
現状に飲み込まれて諦める事もなく、
細かくて小難しい技術論を決め込んだりする前に、いやそれも必要ですけどそれよりも大きな重要度で(それに飲み込まれ捻じ曲げられることがないような優先度で)、「そもそも」の価値観というものを「このままでいいのか」と考え直す事を、というかまあ言ってしまえば「国家の意識」というものを、最初は言葉だけでもいつまでも挫けずにより多く広く取り沙汰していく事がとにかく今必要な事なのかもしれないですね。