こんばんニャ。
なんか鬱。テンションが上がりません。思いと裏腹に出掛けることもできず、スキャニングしてもキズとホコリだらけで格闘、ブログを打ってもデタラメな変換ばかりされて気分が乗らない。世間は湿気が取れてきたというのに心の中がジメジメして仕方が無い。
今日は何処にも出掛けない予定だったのが・・・どっか旅に出ちゃおうか・・・。
ま、取り敢えずネタは毎日アップしているので、どんどんこなして行きましょか。
今日は583系「はつかり」の総集編で文字マーク時代の写真を全部アップいたしましょう。
若い人の記憶では、「はつかり」は盛岡から青森・函館へのアクセス特急のイメージが強い方も多いでしょうが、40代のオジサンからすれば、紛れも無く上野から北海道へのアクセス特急というイメージが強いのです。
小学生のうちから電車の「はつかり」を見てきたオジサンからすると、583系という特急形車両は鉄道への憧れの象徴であったに違いありません。少なくとも、身の回りで583系がキライという人は今まで遇ったことがありません。
485系運用もあった「はつかり」ですが、写真を撮るとすればやはり583系ということになりましょう。当時高価な写真でしたが、583系の写真だけは勿体無がらずに撮った記憶があります。
昭和51年 上野駅にて
まあ、最初の頃はこんな写真が多いです。周りの余計な風景、人や状況を入れない写真が多いです。今でもこういう写真を撮る人が多いみたいですが、時代を残すためにはもっと広く撮っておいた方が良いですね。
昭和51年 上野駅にて
これは上野駅19番線に停車中の「はつかり」のようですね。455系急行、485系ボンネット車、115系が連なって映って見えます。東北新幹線開業前、飛行機にも打ち勝っていた頃の上野駅全盛期とも言える頃でしょうか。
リコーオートハーフでの撮影、例によって指が入ってしまったためにボツになっていた写真です。
昭和52年 東北本線 西川口~蕨間にて
この頃では珍しく撮った、583系「はつかり」の走行写真。確率的には悪かったですし、夕方の下り5号は冬場では撮影が難しかったかもしれません。何よりASA400なんてカラーネガでは無かった頃だと思います。
昭和51年 東北本線 西川口~蕨間にて(再掲)
昭和52年 東北本線 西川口~蕨間にて
昭和52年 上野駅にて
今までことある毎にご紹介させていただきましたが、最終増備車として九州特急用に配備された車両が、1編成だけ青森にやってきました。暖地域配置を考慮して開放式のタイフォンを装備していましたが、青森への異動に際してこれをそのまま使用していたんです。
寒冷地用のシャッター付きタイフォンのみの東北地域では、極めて異端な存在であり、特に執着して追い続けました。
ただ、当時は運用など知りませんから、いつ来るか判りませんでしたし、編成替えにより2両の異端車が別の編成に連結されたりしたため、神出鬼没な車両でした。
この「はつかり」は列車数では一番多かったものの、出逢った回数は比較的少なかったかもしれません。あっ!と思ったときにカメラを持っているとは限りませんしね。
583系「はつかり」の写真は、イラストマーク化後のものもありますので、いずれまた総集編を組みたいと思います。
鉄道ブログランキング
なんか鬱。テンションが上がりません。思いと裏腹に出掛けることもできず、スキャニングしてもキズとホコリだらけで格闘、ブログを打ってもデタラメな変換ばかりされて気分が乗らない。世間は湿気が取れてきたというのに心の中がジメジメして仕方が無い。
今日は何処にも出掛けない予定だったのが・・・どっか旅に出ちゃおうか・・・。
ま、取り敢えずネタは毎日アップしているので、どんどんこなして行きましょか。
今日は583系「はつかり」の総集編で文字マーク時代の写真を全部アップいたしましょう。
若い人の記憶では、「はつかり」は盛岡から青森・函館へのアクセス特急のイメージが強い方も多いでしょうが、40代のオジサンからすれば、紛れも無く上野から北海道へのアクセス特急というイメージが強いのです。
小学生のうちから電車の「はつかり」を見てきたオジサンからすると、583系という特急形車両は鉄道への憧れの象徴であったに違いありません。少なくとも、身の回りで583系がキライという人は今まで遇ったことがありません。
485系運用もあった「はつかり」ですが、写真を撮るとすればやはり583系ということになりましょう。当時高価な写真でしたが、583系の写真だけは勿体無がらずに撮った記憶があります。
昭和51年 上野駅にて
まあ、最初の頃はこんな写真が多いです。周りの余計な風景、人や状況を入れない写真が多いです。今でもこういう写真を撮る人が多いみたいですが、時代を残すためにはもっと広く撮っておいた方が良いですね。
昭和51年 上野駅にて
これは上野駅19番線に停車中の「はつかり」のようですね。455系急行、485系ボンネット車、115系が連なって映って見えます。東北新幹線開業前、飛行機にも打ち勝っていた頃の上野駅全盛期とも言える頃でしょうか。
リコーオートハーフでの撮影、例によって指が入ってしまったためにボツになっていた写真です。
昭和52年 東北本線 西川口~蕨間にて
この頃では珍しく撮った、583系「はつかり」の走行写真。確率的には悪かったですし、夕方の下り5号は冬場では撮影が難しかったかもしれません。何よりASA400なんてカラーネガでは無かった頃だと思います。
昭和51年 東北本線 西川口~蕨間にて(再掲)
昭和52年 東北本線 西川口~蕨間にて
昭和52年 上野駅にて
今までことある毎にご紹介させていただきましたが、最終増備車として九州特急用に配備された車両が、1編成だけ青森にやってきました。暖地域配置を考慮して開放式のタイフォンを装備していましたが、青森への異動に際してこれをそのまま使用していたんです。
寒冷地用のシャッター付きタイフォンのみの東北地域では、極めて異端な存在であり、特に執着して追い続けました。
ただ、当時は運用など知りませんから、いつ来るか判りませんでしたし、編成替えにより2両の異端車が別の編成に連結されたりしたため、神出鬼没な車両でした。
この「はつかり」は列車数では一番多かったものの、出逢った回数は比較的少なかったかもしれません。あっ!と思ったときにカメラを持っているとは限りませんしね。
583系「はつかり」の写真は、イラストマーク化後のものもありますので、いずれまた総集編を組みたいと思います。
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このスリットタイフォンの車両は出てきませんでした。存在してた期間も短かったのでしょうかね。
583系の最終増備車は、昭和50年3月に南福岡区から青森運転所に移動になったようです。いつ頃シャッター式に変わったのかは定かではありませんが、昭和52年の初頭くらいにはなくなっていたのではないかと思われますので、せいぜい2年くらいじゃなかったかと思います。
ある日、この車両がシャッター式に改造されていたのを知ったとき、非常にガッカリした記憶があります。
というか国鉄型の車両は規格化されていたんでぶっ飛んだデザインが無いせいかも知れませんね。
581.583も寝台電車としての落ち着いたいいデザインだと思います。スリットタイフォン自体は子供の頃見慣れてたので違和感は無かったですが、さすがに東北方面ではおやっ?でした。
今日お休みだったんですかぁ?いいなー。
今日もお仕事ですか。
休めりゃ良いってもんじゃないのが良く判りました。普段如何にやる気が無いか自分に露呈してしまって腹が立っているところです。
それは置いといて、583系、デザインが秀逸と思いきや、貫通型のデザインは規格ですからね。じゃ、485系や183系0番代を青に塗ったらというと、かなり気色悪いイメージですね。
車体断面とかヘッドマークの窓の形状とか、ブルーの塗装とか、トータルデザインが優れているということでしょうか。理屈じゃない部分もあるでしょうが・・・。
関西ではありふれたスリット型ですが、東北では違和感ありますよね。でも、そこに大阪に行った時の想い出をダブらせていたかもしれません。
自分のページの更新は間に合いそうもないので、各地ポチ巡り中です。
今、秋アキと仙センの583が残っていますが、これほど勇壮な姿に見えないのはやはり短編成のせいでしょうか?
オハ!遅い時間までお疲れ様でした。
いま残っている583系は、スカート周りの機器がグレーだったり、ヘッドマーク表示器のHゴムが無かったりするので、オリジナルと比較してそもそも顔に違和感があるのですよ。短いのはその次のような気がします。
初めて北海道に行く時に、はつかり3号で青森まで行ったのですが、食堂車でスープを飲んだ事もありました。
なのに乗って行く車両を撮っていないんですから。
ボンネットでなく、貫通型の車両ながら、この塗装の色合いもあって、好きな形式の車両です。
やはり当時のオリジナルの姿に勝るものはないですね。
ダブルポチ!なり。
ぽちども!
初っ端から「はつかり」とはリッチですね。私は「津軽」で始発から終点まで乗り潰しました。疲れたですよ。さらに北海道に渡ってから夜行「すずらん」でしたからね。若い時は当たり前でしたけど。
私は583系の「はつかり」というのはアクセス特急になってから1度乗っただけなんです。考えて見たら、東北系では「ゆうづる」以外は何らかの形で乗っていますね。山陽も合わせて夜行の方が多いかな?
自分の乗った列車というのは、荷物を持っていたり、乗り継ぎの心配をしたりしているので、意外と撮っていないことが多いかもしれません。初めから撮る気でいないと、良いポジションにも着けませんし、仕方ないと思いますよ。