こんばんわ。
今日は何と4ヶ月ぶりのEF58シリーズです。
結構頻繁にEF58の写真をご紹介してまいりましたが、今年1月にHさんからフィルムスキャナをいただいて以降、フィルムスキャンをするに連れEF58写真がバンバン出てきてしまい、収拾が付かなくなって先送りとなっておりました。
一通りスキャンも収束し、今日は資料を調べる時間も出来たので久々のアップとなります。
で、今日のネタは鋳鉄製先台車を装備して一際目立った存在であった5号機です。
昭和54年8月頃 品川客車区構内にて
初めて逢った5号機。この頃は鋳鉄製先台車とかいった興味は無かったように思います。ただ単に1ケタのEF58に逢えただけで嬉しかったことを憶えています。
電柱の支線が非常に邪魔な構図ですが、特徴のある先台車がくっきりと写っており、今となっては良かったと思います。
昭和56年8月21日 東海道本線 函南~三島間にて
こちらは5号機の牽引する荷物列車です。日本を一周した「駅(station)号」が運転されたとき、待機中に来た荷物列車を偶然撮影していたものです。
東北本線では最若番でも50番代以降くらいでしたから、1ケタというだけでバンザイな状況だったのです。ただ残念なことに、半逆光だったため特徴のある先台車があまりよく写っていなかったですね。
昭和58年6月29日 浜松工場留置線にて
そして、3回目として最後に逢ったのが浜松工場で解体待ちをする5号機でした。
折りしも飯田線の80系や戦前型旧国の大部分が廃車となるため浜松工場に送られた情報を聞き、飯田線撮影の帰り道に同工場の留置線に寄った際、偶然にも留置されている同機を見付けました。
同留置線には80系やクモニ83100、合の子流電のクモハ53007など多数の飯田線引退車が留置される中、このEF58の姿を見つけた時にも時代が大きく変わっていることを痛感しました。ちなみに、一緒に手を繋いでいるのは1号機です。
5号機についてはあまり詳しいスペックが判りませんが、昭和22年7月17日に日立で落成、沼津区に配置となっています。その後の経過は不明ですが、私の知る限りは浜松区の配置が続いていたようで、昭和59年1月6日廃車となっています。休車になってからはかなり長い期間に亘って留置されていたようですね。
外観から推測すると正面窓のHゴム化、エアフィルタのヨロイ戸化が施工されており、耐寒装備はありません。車体更新後はSG(蒸気暖房発生装置)を搭載、パンタグラフのPS14と鋳鉄製先台車については生涯原形のままであったようです。
鋳鉄製先台車は、この5号機の他に28・29・30・45号機に施行されており、いずれも日立製です。28~30号機は昭和53年~54年にかけて廃車されており、45号機だけは東海道荷物列車のEF62への橋渡し役として下関区に転属、5号機よりも遅くまで活躍していましたが、昭和56年に廃車となった他のEF58の先台車と交換されてしまったため、5号機が最後まで残った鋳鉄製先台車装備車となっていました。
今日は何と4ヶ月ぶりのEF58シリーズです。
結構頻繁にEF58の写真をご紹介してまいりましたが、今年1月にHさんからフィルムスキャナをいただいて以降、フィルムスキャンをするに連れEF58写真がバンバン出てきてしまい、収拾が付かなくなって先送りとなっておりました。
一通りスキャンも収束し、今日は資料を調べる時間も出来たので久々のアップとなります。
で、今日のネタは鋳鉄製先台車を装備して一際目立った存在であった5号機です。
昭和54年8月頃 品川客車区構内にて
初めて逢った5号機。この頃は鋳鉄製先台車とかいった興味は無かったように思います。ただ単に1ケタのEF58に逢えただけで嬉しかったことを憶えています。
電柱の支線が非常に邪魔な構図ですが、特徴のある先台車がくっきりと写っており、今となっては良かったと思います。
昭和56年8月21日 東海道本線 函南~三島間にて
こちらは5号機の牽引する荷物列車です。日本を一周した「駅(station)号」が運転されたとき、待機中に来た荷物列車を偶然撮影していたものです。
東北本線では最若番でも50番代以降くらいでしたから、1ケタというだけでバンザイな状況だったのです。ただ残念なことに、半逆光だったため特徴のある先台車があまりよく写っていなかったですね。
昭和58年6月29日 浜松工場留置線にて
そして、3回目として最後に逢ったのが浜松工場で解体待ちをする5号機でした。
折りしも飯田線の80系や戦前型旧国の大部分が廃車となるため浜松工場に送られた情報を聞き、飯田線撮影の帰り道に同工場の留置線に寄った際、偶然にも留置されている同機を見付けました。
同留置線には80系やクモニ83100、合の子流電のクモハ53007など多数の飯田線引退車が留置される中、このEF58の姿を見つけた時にも時代が大きく変わっていることを痛感しました。ちなみに、一緒に手を繋いでいるのは1号機です。
5号機についてはあまり詳しいスペックが判りませんが、昭和22年7月17日に日立で落成、沼津区に配置となっています。その後の経過は不明ですが、私の知る限りは浜松区の配置が続いていたようで、昭和59年1月6日廃車となっています。休車になってからはかなり長い期間に亘って留置されていたようですね。
外観から推測すると正面窓のHゴム化、エアフィルタのヨロイ戸化が施工されており、耐寒装備はありません。車体更新後はSG(蒸気暖房発生装置)を搭載、パンタグラフのPS14と鋳鉄製先台車については生涯原形のままであったようです。
鋳鉄製先台車は、この5号機の他に28・29・30・45号機に施行されており、いずれも日立製です。28~30号機は昭和53年~54年にかけて廃車されており、45号機だけは東海道荷物列車のEF62への橋渡し役として下関区に転属、5号機よりも遅くまで活躍していましたが、昭和56年に廃車となった他のEF58の先台車と交換されてしまったため、5号機が最後まで残った鋳鉄製先台車装備車となっていました。
週末恒例の朝ぽちです
今日はお出掛けではなかったのですね。
今日はシービーさんと大宮に行ってきました。後ほどアップいたします。
EF58も北関東在住の身からすれば憧れでした。できれば40番くらいまでコンプリートしたかったです。
朝ポチありがとうございます。
若番は品川などで荷物列車で撮ったくらいで、一桁は1.3?.4号機くらいだと思います。
やはり電気暖房になっている58の方が多く撮ってるのは、居住地の関係でしょうね。
7号機は確か大窓のまま鉄人になっていたような気がしますね。しかもクロスパンタで。1桁の偶数番号というのが写真でもあまり見たことが無いような気がします。実物はもちろん逢っていません。
10号機って、東京じゃなくて宇都宮に居たんですか?友人から貰った写真に153号機と並んで写っている写真があったのですが、逆に153号機が東京に居た時代かと思っていました。
私は1ケタと言えば1・3・5だけでした。2桁も20番代なんて1枚も持っていません。良く分らないですが、品川にもあまり来ていなかったのではないでしょうか。
写真は圧倒的に宇都宮と高二でしたね。稀に長岡二。当時は東海道スジが羨ましかったですけど、いざ撮りに行ってみると3桁が多かったようです(悲)。
あとゴハチの7番、これがツララ切り原形大窓汽笛カバー、PS22Bつき、8番が原形小窓の鉄人 PS22Bつきのようです。どちらも広島配置ですが。
いつも重箱の隅をつつくみたいな子細なことで申し訳ありません。今更ながらゴハチは奥が深いです。汗
7号機は原形ヒサシですか?かなり前(と言っても20年位)RF誌で見た記憶があるのですが、曖昧ですね。8号機は全く見た記憶がありません。
10号機も何で宇都宮にいたんでしょう。EF57の廃車で穴が開いた分のピンチヒッターだったのでしょうか?
153号機も昭和50年代くらいに宇都宮に来たのではないかと思います。昔は移動毎にSG→EGの改造を行っていたようですから、宇都宮に来た時点で改造したのでしょうね。こちらも詳細な資料が無いのが残念です。
私の好きだったEF58のページを見つけて、夢中になって拝見させていただきました!
EF58終焉期、私はまだ中学生で、あちらこちらの駅や機関区で写真を撮ったのが懐かしいです。
5号機も私が追いかけはじめた58年春に休車になったようで、大阪から西浜松の機関区までわざわざ撮りに行きました。
大量の80系や旧型国電が留置されている片隅に1号機と5号機が手をつないで眠っていましたね…もう25年前ですね(^^;)
他のページにも私の撮れなかった高二や東京、広島の憧れの58の写真がいっぱいで、とても嬉しくなりました。
いまでもゴハチの姿はどこかで見れるのでしょうか?
何十年ぶりかに会いたくなりました…。
かなりあちこちのページを見ていただいているようですね。私もホームページのように過去ログを資料として活用できるようなブログを目指して始めましたので、一番理想的に活用していただいて大変嬉しいです(喜)。
やはり浜松に行かれたのですか?この写真は正にその時のシーンですね。同じ時期にひょっとしてニアミスしていたりしてね。私は2人で行ったんですが、他にも数名の方が写真を撮っていらっしゃいました。
現役のEF58は、西日本の150号機だけになってしまったのではないでしょうかね?さすがに西日本の動きまでは付いていけないので、どこでどうしているのか。
毎年5月の下旬に開催される「おおみや鉄道ふれあいフェア」では、青大将塗装の93号機に逢うことができます。でも、遠いですね。