こんばんわ。
昨日はメチャクチャ低調なアクセスで、やること成すことみんなダメ。
テンション限りなく0に近し。
なので今日は1枚だけ。
昭和57年1月4日 国鉄 只見線
ずっとキハ58のサボを撮っていたと思ったのですが、良く考えたら、キハ58系のサボは向かって左側ドアの右上についています。
これはどう見ても車体センターの下部。急行塗装でこの位置と考えれは・・・そう、キハ55系ですね。そう言えば、キハ55に乗ったかもしれません。
東北線の撮影から上越線の撮影に抜ける際、無謀にも真冬の磐西~只見線を使って異動しました。
もうこの頃から温暖化の影響があったのでしょうか、只見線は何の支障もなく走っていました。昔は急行列車を計画運休するほどの豪雪地帯だったんですがね。
こういうサボの写真は、アップで撮ってしまうと車両の状況を隠してしまいがちですね。
センターについているサボだったら、少し引いて形式と一緒に撮っておきたいもんですが・・・もう、こんな車両も無くなってしまいましたね。
昨日はメチャクチャ低調なアクセスで、やること成すことみんなダメ。
テンション限りなく0に近し。
なので今日は1枚だけ。
昭和57年1月4日 国鉄 只見線
ずっとキハ58のサボを撮っていたと思ったのですが、良く考えたら、キハ58系のサボは向かって左側ドアの右上についています。
これはどう見ても車体センターの下部。急行塗装でこの位置と考えれは・・・そう、キハ55系ですね。そう言えば、キハ55に乗ったかもしれません。
東北線の撮影から上越線の撮影に抜ける際、無謀にも真冬の磐西~只見線を使って異動しました。
もうこの頃から温暖化の影響があったのでしょうか、只見線は何の支障もなく走っていました。昔は急行列車を計画運休するほどの豪雪地帯だったんですがね。
こういうサボの写真は、アップで撮ってしまうと車両の状況を隠してしまいがちですね。
センターについているサボだったら、少し引いて形式と一緒に撮っておきたいもんですが・・・もう、こんな車両も無くなってしまいましたね。
山岳路線なのでキハ26では無さそうですね。
昔、千葉に居たキハ26-400番台はクロスシートでしたから、それ狙いで乗ってたのを思い出しました。
私も乗ったとはいえ、殆どが夜間ですので、沿線は真っ暗で全く景色は見えませんでした。寝るだけしかなかったので、同線の良さが分かっていません。
紅葉や冬のラッセル車など見所はあると思いますが、やはり東京からだと不便な場所ですね。
キハ55(26)は地方に行ったときに何回か乗ったことがありますが、格下げ車はありません。見たこともあるのですが、首都圏色という理由で写真すら撮っていませんでした。偶然写っていたのはありましたが、非常に残念です。
これだけで見せられてサボ位置の説明がないとキハ55か58かわからないです。
只見線以外でキハ58でもこの位置にサボが付いたものもあったようですから。
JR化した後かも知れませんが。
只見線は列車回数も少ないしドライブがてらというわけに行かないので行ってません。
有りったけのキハ58の写真を見てみましたが、窓下にサボ受けがある車両は秋田の1枚だけでした。おそらくJR化された後、急行列車の運用が激減した辺りでキハ40系との併結普通列車運用が多くなった関係でしょうね。サボにも運用ダイヤがあって、急行用は引っ掛けがないためにキハ40系と共通ダイヤが組めなくなってしまうことから、合理性を考えてサボ受けを追加施工したものと考えられます。国鉄時代の磐越西線写真を見る限りは、このような施工車は見受けられませんでした。
何しろ本数が少ないですから、おいそれと行けないです。
こういった横サボも優等列車のものは撮ってましたが、普通列車となると撮ってるのが数少ないです。
当時でも直通は急行含めて3往復くらいしかなく、冬季には只見だかで運用が断裂され、接続を取らないという無責任なダイヤになっていたと思います。現場でも責任をとることが出来ないくらい、過酷で劣悪な路線だったということなんでしょうね。JRになってからは、あまりそのような話は聴いたことがないと思うので、温暖化の影響が大きいのでしょうね。
完乗だけの目的でしか行き難いような、そんな不便な場所だと思います。