こんばんわ。
九州から帰ってきて画像の加工やそのご紹介準備などに追われ、やっと編集手順やエントリの計画がまとまった頃、1枚の写真を久し振りに眺めてみました。
もう4年くらいになりますか、フィルムからのスキャンを大量に行っていたときから準備はされていたのですが、どこで撮った何者かの考証が進まず、今まで放置されていた写真があります。
今から35年前、初めて九州に上陸したときに撮った写真です。
東京発のブルトレに乗れる絶好の機会。しかし、私としては身近なところでのブルトレよりも、関西発のブルトレへの憧れが強く、新幹線で新大阪から乗り継ぎ、寝台特急「彗星」でのトライを選択しました。ただし、何号だったかまでは覚えていません。
昭和54年3月23日
関門用のEF81304号機です。画像は大きくなるようにしてあります。
この時はキャノンFTbと、当時の担任がかしてくれたキャノンEFの2台を持って行き、FTbにはカラーネガ、EFにはリバーサルを入れていました。
こちらはポジですので、EFで撮影したものです。
先頭部のホームが狭く、駅の様子が全然写っていません。
スキャンしたときは良く見ていなかったのですが、次位に、マニ36かマニ60が連結されています。
記憶では、自分が乗った「彗星」を撮影したような記憶があります。これ以外に関門のカマを撮影していないのでそう思い込んでいました。ここで初めて違うことに気がつきます。
とすると、これは当時まだ残っていた「雲仙・西海」や「阿蘇・くにさき」の可能性が高くなってきます。
しかし、この写真を見ても、下関か、門司か、或いは小倉かの記憶がまったくありません。
高架駅であることの印象だけが判る状態。
そして、もう1枚の写真があります。画角がちょっと違い、標準レンズで余計に入り切っていません。FTbで撮ったネガ写真です。
こちらの写真ではその状況が掴めることがないと思い込んでいたのですが、上の写真と違い、決定的な部分に気がつきました。外のビルに「DAIMARU」のロゴが確認できたのです。上の写真は柱に隠れてしまっていたのですね。
そこで大丸の歴史等から分かったのが、関門で停車する可能性のある駅で大丸が存在するのは下関駅のみであるということ。これだけでも非常にスッキリしました。つい先日までは、ドコの駅かすら判らなかった訳ですから。
そうすると、下関駅に停車する「彗星」を撮影可能な時間帯で割り出すことが出来そうです。当時の時刻表がちょうどありました。
自分が乗った客車の「彗星」は1号と5号。1号は下関駅が通過扱いとなっており、さらに夜中と推測できます。とすれば、「彗星5号」と特定できそうです。
しかし、「彗星5号」と同時刻に下関に居る急行列車がありません。
するとコイツは一体何者?荷物列車を連結する以上、臨時列車の可能性は考えられません。
時刻表を辿っていくと、山陽本線の最後のページに荷物列車が掲載されているところに目が行きました。
ここに居ました。
「彗星5号」より数分早く下関に到着し、追い抜かれる急行荷物列車が存在したのです。
こうして33年振りに全貌を把握することが出来ました。
昭和54年3月23日 下関駅にて EF81304牽引 31レ 急行荷物列車
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九州から帰ってきて画像の加工やそのご紹介準備などに追われ、やっと編集手順やエントリの計画がまとまった頃、1枚の写真を久し振りに眺めてみました。
もう4年くらいになりますか、フィルムからのスキャンを大量に行っていたときから準備はされていたのですが、どこで撮った何者かの考証が進まず、今まで放置されていた写真があります。
今から35年前、初めて九州に上陸したときに撮った写真です。
東京発のブルトレに乗れる絶好の機会。しかし、私としては身近なところでのブルトレよりも、関西発のブルトレへの憧れが強く、新幹線で新大阪から乗り継ぎ、寝台特急「彗星」でのトライを選択しました。ただし、何号だったかまでは覚えていません。
昭和54年3月23日
関門用のEF81304号機です。画像は大きくなるようにしてあります。
この時はキャノンFTbと、当時の担任がかしてくれたキャノンEFの2台を持って行き、FTbにはカラーネガ、EFにはリバーサルを入れていました。
こちらはポジですので、EFで撮影したものです。
先頭部のホームが狭く、駅の様子が全然写っていません。
スキャンしたときは良く見ていなかったのですが、次位に、マニ36かマニ60が連結されています。
記憶では、自分が乗った「彗星」を撮影したような記憶があります。これ以外に関門のカマを撮影していないのでそう思い込んでいました。ここで初めて違うことに気がつきます。
とすると、これは当時まだ残っていた「雲仙・西海」や「阿蘇・くにさき」の可能性が高くなってきます。
しかし、この写真を見ても、下関か、門司か、或いは小倉かの記憶がまったくありません。
高架駅であることの印象だけが判る状態。
そして、もう1枚の写真があります。画角がちょっと違い、標準レンズで余計に入り切っていません。FTbで撮ったネガ写真です。
こちらの写真ではその状況が掴めることがないと思い込んでいたのですが、上の写真と違い、決定的な部分に気がつきました。外のビルに「DAIMARU」のロゴが確認できたのです。上の写真は柱に隠れてしまっていたのですね。
そこで大丸の歴史等から分かったのが、関門で停車する可能性のある駅で大丸が存在するのは下関駅のみであるということ。これだけでも非常にスッキリしました。つい先日までは、ドコの駅かすら判らなかった訳ですから。
そうすると、下関駅に停車する「彗星」を撮影可能な時間帯で割り出すことが出来そうです。当時の時刻表がちょうどありました。
自分が乗った客車の「彗星」は1号と5号。1号は下関駅が通過扱いとなっており、さらに夜中と推測できます。とすれば、「彗星5号」と特定できそうです。
しかし、「彗星5号」と同時刻に下関に居る急行列車がありません。
するとコイツは一体何者?荷物列車を連結する以上、臨時列車の可能性は考えられません。
時刻表を辿っていくと、山陽本線の最後のページに荷物列車が掲載されているところに目が行きました。
ここに居ました。
「彗星5号」より数分早く下関に到着し、追い抜かれる急行荷物列車が存在したのです。
こうして33年振りに全貌を把握することが出来ました。
昭和54年3月23日 下関駅にて EF81304牽引 31レ 急行荷物列車
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