マル鉄回顧録

鉄道写真・鉄道模型を始め、バスやトラックなど、乗り物中心のブログです。昔の写真はマル鉄鉄道写真館で再編集しています。

はとバス見学ツアー!

2008-06-02 21:48:39 | バスの写真館
昨日の日曜日は、女房の母親の誕生会ということで、九段下にある某ホテルへブッフェバイキングに行ってきました。
寝不足で遅朝の食事を摂ってしまったため、まあ食べ放題と言いつつもあまり食べれなかったカナ。それでも勿体無いのでそれなりにデザートも含めてツマんではきたのですが、いやいや気持ち悪くなることったら最悪。

食事の後、女房は子供の服を買うので大丸に寄って行きたいということで、東京駅で別れて私は東京駅界隈のバスの写真でも撮って帰ろうということになりました。何のことは無い、胃袋の消化を助けるために歩こうということです。

で、高速バスや都営の路線バスなどを眺めていたのですがパッとしないため、「そうだ!はとバスって撮ったことなかったかな?」と思い、ぐるっと駅を回って丸の内のはとバスのりばへ行ってみました。

2階建てバスが目標だったのですが、最初に逢ったのはこんなのでした。





2階建ては良かったのですが、何ですかね・・・。まぁ、パスして後悔するのもイヤなので撮りはしましたが、なんか恥ずかしかったです。
しかし、客乗ってねぇ~。








キティちゃんバスを撮って間もなく、普通の2階建てバスが来ました。
新宿ではエアロキングしか見たことが無かったのですが、ナンバーからしてえらい古いバスだなぁ~と。心の中ではニンマリでした。何せ古いもの好きですから。
ところで、これらの車種は一体・・・金太郎さん、ご存知ですか?

結局あまり本数が無くてこれだけしか撮りませんでした。もっと色々撮りたかったのですが、時間が悪かったですね。やはり午前中の早いうちの方が良いようです。

このド派手なカラーリングはあまり好きではないのですが、東京或いは日本を代表するバス会社ですからね。また何かのついでに撮りに来る事としましょう。

JRバスなども撮りましたので、また近いうちにアップいたします。


え?はとバスに乗ったんじゃないのって?・・・「はとバス」を見学したツアーですから・・・
コメント (2)
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485系「ひばり」:総集編(その1)クハ ボンネット型

2008-06-02 00:47:39 | 特急型電車(交直流・交流)
こんばんわ。カテゴリの変更後、早速485系シリーズです。

今日は、東北新幹線開業前、在来線では日本一の定期本数が設定されていた東北特急「ひばり」をアップいたします。
フィルムスキャンは特定のものを除いてほぼ終了しておりますが、特急「ひばり」の写真は、過去にプリントからスキャニングしたものを含めて60枚以上になりました。とても1度にアップできる訳はありませんので、形態や年代など、説明のしやすいところで区切りながらアップして行こうと思います。

(その1)では、クハ481の0番代及び100番代のボンネット型のうち、昭和51年頃~54年頃に撮影したものをご紹介いたします。
私事、昭和51年~昭和54年3月までは中学生の時代ということで、ハッキリ言ってマトモな写真はございません。我慢して見てください。
今後、昭和57年まで続くわけですが、車両は変わっていなくても、写真の構図や撮り方、捉え方などが変わっているのが判ると思います。その辺りも今後のアップごとに見比べていただいても面白いかもしれません。



昭和51年頃 東北本線 赤羽駅にて

まだまだ地上駅だった赤羽駅です。新幹線工事すら全く手を付けていない頃。



昭和51年頃 東北本線 大宮駅にて

この頃の大宮駅は、空が非常に広かったですね。今この辺りは柵ができて喫煙所になっている場所だと思います。
高崎線ホームの8番線を通過していますので、東大宮操への回送列車でしょうかね。



昭和51年頃 東北本線 大宮駅にて

こちらは大宮駅の上り4番線ですね。雨が降っているようですが、バラストや通路がぬれている様子をメッチャ正確に描写しています。フィルムスキャナ・・・恐るべし・・・。



昭和51年頃 東北本線 尾久駅にて

これはEF57の牽引する福島行125列車を待っていたときに撮ったヤツですな。
夕陽を浴びて良い感じに写っていますが、この後来たEF575は真っ暗けでした。



昭和52年頃 東北本線 西川口~蕨間にて

昭和52年頃は近場でこんな写真ばかり撮っていたようですな。他の列車もみんな同じような構図でした。宇都宮とか両毛線に行かない時は、ここばかりだったみたいです。



昭和53年3月頃 東北本線 西川口~蕨間にて(再掲)

少し知恵が出てきたんですかね。上から撮るようになったりして。この頃は既に身長が170cmを超えていましたから、柵の上から撮れるようになったんでしょう。



昭和54年頃 東北本線 西川口~蕨間にて(再掲)

こちらは蕨駅直近の跨線橋の上からですね。右側には蕨駅から続く「住友セメント」の引込み線があります。今はマンションが建ち、線路際には開発で供出された道路が貫通しています。



昭和54年頃 東北本線 西川口~蕨間にて

流し撮りじゃ!こんなこと始めたのは間違いなく高校生になってから。それもおそらく至近距離から300mmの望遠でブチ抜いています。
自分で現像できるようになって、モノクロも使うようになって、フィルムの消化に余裕が出来てきたのでしょう。この頃だとAE-1を使っていたと思います。


どうです?見られたモンじゃないでしょ。良いカメラ使えなかった頃ですからね。場所選びの知恵も無く、機材の充実も無く、中学生なら当たり前な結果も知れません。
今は良いですよね。小学生でもフルオートの1眼レフが手に入って、シャッター押せば大体はちゃんと写りますから。高校になってAE-1を手にするまで「オート」なんていうのは夢の世界でしたね。オートフォーカス?それは未来のカメラでしょうか?

今晩はこんなところで。今後は気分次第で続きをアップしようと思います。あと7・8回は「ひばり」をやらないと終わらないかもしれませんから、飽きが来ないように検討しながらぼちぼちと行きます。
コメント (8)
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