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ケニチのブログ

ケニチが日々のことを綴っています

森達也「U」

2021-05-21 | 政治・社会
 先日買った本を読み終えた.森達也・著『U 相模原に現れた世界の憂鬱な断面』.

 2016年,相模原の障害者施設で起こった殺人事件をめぐって,被告とその裁判の関係者,精神科医,メディアなどに取材し,彼の犯行動機を社会がどう受け止めたのかを,改めて考察するエッセイ集.そのなかで,法廷が事件の真相や背景を明らかにしないまま,死刑を宣告するための単なるセレモニーに成り下がっている現状と,被告がいかに異常な思想の持ち主であるかという点に,報道が過熱したことを批判する.終始インタビュアーとして振る舞うが,そのわりに饒舌な森のおもな問題提起は,この事件の本質を障害者への差別だと,私たちは勝手に決め付けてしまったのではないか,さらに,犯人が強く持っていたとされる,「生産性」が人間の値打ちであるという感覚を,誰もが真っ向から否定できるのかという,現代社会があいまいにし続けてきた,その急所とも言うべきデリケートな領域を突くもの.


森達也: U 相模原に現れた世界の憂鬱な断面
講談社,2020,
ISBN978-4-06-520824-3

小出裕章&小林泰彦「放射能はどこまで安全か?」

2021-03-22 | 政治・社会
 先日買った本を読んだ.小出裕章&小林泰彦・著『ケンカ白熱教室!放射能はどこまで安全か?』.

 福島の原発事故による集中的な汚染を受けた柏市で行なわれた,二氏を招いての講演会の内容を記録したもの.時間(字数)の制限からか,どちらの解説も駆け足で,具体的なところまで深められておらず,とりわけ後者は,現実に進行する被ばく状況に言及しないまま,科学倫理や研究史一般に逃げ込んだ場違いなもの.被災者や他の学者への見下した言い方と,「動物実験なら何度でも行なえる」などの生命軽視の態度も,終始不快である.また,会場の市民との意見交換の場でも,小林が小出の揚げ足を取ることに夢中で,何ら意味のある議論になっていないのは残念.


小出裕章×小林泰彦 ケンカ白熱教室!放射能はどこまで安全か?
幻冬舎,2013,
ISBN978-4-344-02419-9

伊高浩昭「チェ・ゲバラ」

2021-01-15 | 政治・社会
 先日買った本を読み終えた.伊高浩昭・著『チェ・ゲバラ』.

 ゲバラの行軍日記,側近たちの証言や,当時のキューバ内外の報道など,厖大な資料を引きながら,民族解放軍による「ラテンアメリカ革命」への歩みと挫折の経緯を追っていく.その記述は,各戦闘と通信の内容から,隊員たちの体調,何でもない会話や食事のことまで,驚くほどの詳細に亘っており,読み手はまるで彼らとともにゲリラ活動を体験するかのようである.とりわけ,ボリビアの山あいに孤立し,政府軍およびそれを操る米国首脳・CIAによる徹底的な反撃と偽装工作に,あえなく斃れていく一行の最期には,思わずため息が出る.また,現地の平凡な農民たちが,革命思想に終始何らの関心を示さず,権力側への密告さえ行なったことも,看過しがたい歴史の悲しさだ.


伊高浩昭: チェ・ゲバラ 旅、キューバ革命、ボリビア
中央公論新社,2015,
ISBN978-4-12-102330-8

池谷孝司「死刑でいいです」

2020-12-29 | 政治・社会
 先日買った本を読み終えた.池谷孝司・編著『死刑でいいです』.

 2005年の大阪・姉妹刺殺事件の被告・遺族・弁護士・医師ら関係者に取材し,なぜ悲劇は起こったのか,一連の経過を詳細に検証するもの.その数年前に母親を殺して服役した被告が,出所後に起こした再犯事件であったことと,彼が抱えているとされた発達障害との関連の,2つを大きなテーマにして,この国の司法や被害・加害両サイドへのサポート制度のあり方を問い直していく.犯行そのものの描写も生々しく,被害者らの凄惨な最期に胸が痛むとともに,以降も一貫して無反省であった被告をそのまま縊り殺すことで,いったい何が解決したというのか,改めて刑罰の意義に対する疑問を強くせざるをえない.惜しむべきは,いきなり取材の苦労話から始まり,全編の節々でも著者の自己陶酔的な文体が,少々鼻につくこと.


池谷孝司 編著: 死刑でいいです 孤立が生んだ二つの殺人
新潮社,2013,
ISBN978-4-10-138711-6

山本太郎「感染症と文明」

2020-11-26 | 政治・社会
 先日買った本を読み終えた.山本太郎・著『感染症と文明』.

 古くから,人類とそのペット,他の野生動物をくり返し襲ってきた感染症が,どのような経緯で隆盛し衰退したか,環境や生態系の変化に適応してきたかを,詳細に検討する.両者の関係は,互いの共生のために均衡状態に向かうことや,また,ある感染症に去られた集団は,別の脅威に対して脆弱になることなど,本文はごく当たり前の内容に終始し,いくらか肩透かしを受ける.いっぽう,社会全体が持つ「集団免疫」は,それだけで軍事的な防衛力にすらなりうるとの指摘は,一種の文明シミュレーションとして面白いし,終章でやや駆け足に述べられる,新しい感染症に対する過剰な予防は,獲得されるべき均衡をかき乱し,より長期的かつ予測不能な,泥沼の駆引きへと導く可能性については,いよいよ現代人が直面する頭の痛い課題だ.


山本太郎: 感染症と文明 ――共生への道
岩波書店,2011,
ISBN 978-4-00-431314-4