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ケニチのブログ

ケニチが日々のことを綴っています

添田孝史「東電原発事故 10年で明らかになったこと」

2022-05-07 | 政治・社会
 先日買った本を読み終えた.添田孝史・著『東電原発事故 10年で明らかになったこと』.

 2011年福島第一原発で何が起きたのか,改めて検討するとともに,その後の調査や訴訟のなかで明らかになってきた事故要因を,この国の原子力産業の歴史とともに詳述する.地震と津波に対する発電所の脆弱性はもちろん,東京電力のずさんな管理,また,彼らがその是正よりも,採算や政府の求めを優先し続けてきたことが,最新の情報を含む各資料によって暴かれていく.さらに,業界に取り巻く多くの学者たちが,「科学」の名のもと,その推進をたえず後押ししてきたことは,現代社会が抱える人道上の問題として,とりわけ看過しがたい.


添田孝史: 東電原発事故 10年で明らかになったこと
平凡社,2021,
ISBN978-4-582-85966-9

増田寛也「地方消滅」

2022-04-28 | 政治・社会
 先日買った本を読み終えた.増田寛也・編著『地方消滅』.

 大企業や人口が東京に一極集中する,わが国の都市構造のアンバランスと,それに起因する暗い将来を改めて検討・シミュレートし,是正に向けた政策のあり方を提案する.この問題には早くから向き合ってきた,ヨーロッパの国々の現況はもちろん,日本の各地方で行なわれる,産業・雇用の充実に向けた独自の取組みを多数紹介し,これらにさまざまなヒントを見つけていく.全体としてはありふれた内容も多いが,集約的かつ平易なレポートとして十分に成立しており,後編の対談集も,くつろいだ雰囲気のなかに,執筆者たちの本音がより強く表れている点で,興味を引く.


増田寛也 編著: 地方消滅 東京一極集中が招く人口急減
中央公論新社,2014,
ISBN978-4-12-192282-0

岩田正美&大沢真知子「なぜ女性は仕事を辞めるのか」

2022-04-27 | 政治・社会
 先日買った本を読み終えた.岩田正美&大沢真知子・編著『なぜ女性は仕事を辞めるのか』.

 雇用をめぐってこの国の女性らが,継続したキャリアや待遇の改善,昇進などのアドバンテージを得にくい状況にあることを,種々の集計データから明らかにする.とりわけ,結婚と出産による離職率は依然として高く,この国に根強く残る固定的なジェンダー観と,育児・福祉の制度上の未熟さが改めて顕にされていく.残念なのは,章ごとに執筆者が異なることが災いし,彼女らのあいだで内容が重複するなど,一冊全体の脈絡に乏しいところ.また,最新のアンケート結果や大学生らの意見を盛り込むなどして,次の世代への眼差しをも忘れないいっぽうで,解決へ向けた政策への提案はほとんどなく,実例としてのヨーロッパ諸国の取組みを挙げることさえしないのは,この大きな社会問題を扱うレポートとして,致命的な弱点であると感じる.


岩田正美 / 大沢真知子 編著,日本女子大学現代女性キャリア研究所 編: なぜ女性は仕事を辞めるのか 5155人の軌跡から読み解く
青弓社,2015,
ISBN978-4-7872-3390-5

マスク着用に見る思いやりハラスメント

2022-04-08 | 政治・社会
 新型ウイルス「COVID-19」の世界的な蔓延も,すでに2年以上に及ぶこのごろである.その弱毒化と,医療現場の安定により,(先進諸国に限っては)少しずつ収束の兆しも見られてきたものの,混乱する社会のもと,日常生活における感染対策や,ワクチン接種,PCR検査などをめぐって,さまざまな誤解とハラスメントが横行したことに,胸が痛むばかりだ.なかでも,僕が未だに違和感を持たずにいられないのが,公共の場でのマスク着用の大流行である.

 さいわい,日本国内での一連の感染対策に,法的な強制力を持つものはなく,表向きには各個人の裁量に委ねられている.だが,仮にも人命に係ることであるので,それらはやはり過剰かつヒステリックな導入になってしまった.マスク着用はその代表的な現象の一つであるが,いま一度確認しておきたいのが,次のいくつかの事実と経緯だ.まず,当初WHOが強調したように,「マスク着用が感染を防ぐという科学的根拠はない」ということ.ただし,これは単に検証が困難という意味であり,実際には「発話や咳・くしゃみの際の唾液飛散をいくらか弱めうる」とのシミュレーション結果から,念のため,一般に着用が推奨された(周知のように,ヨーロッパなどの国々では,一時期これが条例によって強制された).本来,全員が守ることを目指しているのではなく,着用率が十分に上がれば,「全体数」として感染者を減らす効果があるだろう(個々の感染を防ぐと言っているのではない),との大数則的な予測にすぎない.こうした国や自治体の求めに応えた,あらゆる公共施設・商店・劇場が,「来場者に,その安全と安心のために着用を呼びかけた」ことで,またたく間にこれが普及した.なかには,マスクを着けないと入場を断るケースもある(そうして追い出された利用者は,今後二度と帰ってこないと,追い出した側は覚悟してほしいと思う).

 問題は,「お前マスクしろ」との指図が,99%以上は,その必要のない非感染者に対して行なわれていることの,効率と倫理の両面での不適切さである.第一,資源を大量に消費する行為であることも見逃せない.ちょっと冷静になってみれば分かるように,そんなことを他人に強制する権限など,だれにもないのである.また,僕がもう一つ怖いと思うのは,このような非常の際に,大勢の人が一斉に行動するとき(その内容がたとえ正しいとしても),それがそのまま「そうでない人たち」を圧倒してしまう点である.たとえば,僕はもともと,花粉症と喘息の持ち主だが,よほど症状の重いときを除いて,マスクを着けることを避けてきた.何か原体験があったのか,よく思い出せないのだが,自分が顔を隠して人前に出ることや,また,顔を隠した他人に接して来られることへの,生理的な嫌悪がその理由である.大げさにいえば,顔を知られてはまずい悪事に関与するような,漠然とした後ろめたさと不安に囚われるのである.もちろん,顔に布をまとうのが単に鬱陶しいということもある.とはいえまあ,僕のそれはまったく取るに足らないのであるが,世の中には,もっと深刻な理由でマスクを着けられない人々が,少なからず存在することが想像される.知覚過敏や,自律神経,呼吸器系の障害はもちろん,つねに口話を読む必要のある聾者などである.今や,これらの人たちを公共の場で見かけることがないのは,彼らは無理して着けているか,もしくはそこへ出かけてくるのをあきらめているかの,どちらかに違いないのである.僕にしてみれば,そのような空間で,マスクを着けて過ごすこと自体が,少数者への迫害そのものである.さらに,自分はその少数者になりたくないから,ただ周囲へのカムフラージュとして,何となく着用している層も少なくないという,半ば転倒した状態が到来していると感じるのだ.

 僕の目下の意見は次のとおり.

(1) マスク着用を含む感染対策は,必要最低限にとどめるべきである(そのマスクにしてみたって,よほど必要と思われる場面での着用のみでよい).
(2) それらのうち,何を実行し,実行しないかは,各個人が判断し,その選択を互いに尊重すべきである.
(3) 人命を守り,他人を思いやることは僕も正しいと思うが,それを誰かに強要してはいけない.

 そもそも,今回のウイルス騒ぎは,それに社会全体としてどう対処していくか,制度と暮らしのどちらのサイドからも,十分な議論のないまま,トップダウンもしくは大多数の主導によって,強引に突き進んできてしまっている.ウイルスの脅威が去ってからも,僕たちの生活は続くのであり,それを長い目で見通したうえで,健全で豊かな世の中のあり方を,一人一人がたえず考えて行かなくてはいけないはずなのだ.


外部リンク:
NYで「マスク着用義務」が解除。それでもマスクをする理由は? - Forbes JAPAN (2022.3.30)
https://forbesjapan.com/articles/detail/46658

田上孝一「はじめての動物倫理学」

2021-10-09 | 政治・社会
 先日買った本を読み終えた.田上孝一・著『はじめての動物倫理学』.

 ペットから畜産動物,野生動物に至るまで,人類による動物たちへの抑圧と搾取の実態を告発し,徹底したアニマルライツの立場から,解放の必要性を論じる.その記述は整然かつ論理的で,倫理学や社会主義の各研究にも参照する力作であるが,著者はこれだけ調べました,知っていますという,単なる「ひけらかし」の域を出ておらず残念.とりわけ,現状の改善に向けて,読み手に考えさせ,より広い議論へ導いたり,具体的な方法を提案したりしないのには,なんとも肩透かしを食うようである.


田上孝一: はじめての動物倫理学
集英社,2021,
ISBN 978-4-08-721160-3