↑ 伊豆シャボテン動物公園のYoutubeナマ配信、ハロウィン配信だが途中で電源が切れて配信中断に^_^;;;
ハロウィンですねー、って事は10月ももう終わりじゃんかー!早いなあ。
全然知らんかったが、アメリカの農家のおばあちゃんで70歳くらいから本格的に絵を描いて101歳で亡くなるまで沢山のこんな感じの素朴な牧歌的?な絵を描き残したそうな。
ハロウィンですねー、って事は10月ももう終わりじゃんかー!早いなあ。
で、サウナでテレビ何気に見てたら藤井久子さんが出ててビックリ!
自販機の下を四つん這いで覗きこんでる怪しい人役!
じゃなくて、コケの前振りなんですがね。
都会の身近にもコケがあり、知れば知るほど面白い、って感じの番組。
藤井久子さんは私がコケに転ぶきっかけになった本の作者さんなのだ。
言ってみれば、心のコケ師匠!(爆)
もう一人の心の師匠は田中美穂さん
サウナ入りながらなんでところどころだが、都会の道路とかでギンゴケ、ハマキゴケ、ジャゴケとか。あとホンモンジコケを探しに行かれた模様。
で、今日は静岡市美術館に、グランマ・モーゼフ展見に行きました。
全然知らんかったが、アメリカの農家のおばあちゃんで70歳くらいから本格的に絵を描いて101歳で亡くなるまで沢山のこんな感じの素朴な牧歌的?な絵を描き残したそうな。
プロって言えばプロなんだけど、私的な印象では限りなく成功したアマチュア、って感じだなあ。
別にそれが悪いとかアマチュアだからプロに劣るとかそういう事ではなく。
私が油彩でプロか上手いアマチュアかを見分ける?ポイントの一つは、間近で部分を見るのと離れて全体を見比べる事。
間近だと絵の具を乗せた塊に見えたのが離れてみると、実はそれは空や雲、山肌や雪道の一部である、って全く印象が変わる。
上手いけどアマチュア、の場合はそれほど近く遠くで差がない。
このモーゼスさんの場合は明らかに後者。
建物のパーツも歪みがあるし、遠景な人物あるいは中景でも人物はレゴっぽい描き方。
広い範囲の風景でもあまり遠近感がない。
重ね重ね書くが、だからダメって話ではなく彼女の画風がそうであり、それが彼女の味であることは疑いもない。
彼女が何故絵を描き始めたかと言うと、歳を経て刺繍作るのが大変になったが、絵ならいける、って事で始めたらしい。
って聞くと、なるほど遠近感や人物描写とか色の使い方とか納得です。
この方の絵は、絵そのものではなく絵を描いた彼女とそして時代背景で絵単体以上の価値?が生じてるんじゃないかな?
例えば芸能人が描いた絵とか、失敗したが美人すぎる風呂背景画家とか、ああ言う路線的なこと。
時代背景的に第二次大戦前後で人々の心が荒み、子供の頃親しんだ昔ながらの素朴な世界への回帰となった、絵だけでなく『おばあちゃん』の存在。
また、第二次大戦後のアメリカは急速に女性の社会進出が進んだ時代。
男性からみるとモーゼスおばあちゃんみたいに昔ながらの家と家族を守る母的役割の、失われつつある母あるいはおばあちゃん理想像となり、反対に女性からみると、アート・芸術家として女性でありながら自立して評価されている、また高齢女性で男性に対するセックスアピールとは無縁の存在であっても自分の実績で評価される存在である彼女は女性キャリア的な一つの理想像であったんではないだろうかね?
絵的な感じだと日本だと山下清、ジョージアのピロスマニ、みたいな印象だが、彼らよりも絵に対する熱意とかは多分低めだったんじゃないかな?
もちろん絵は大切で大好きだけど、一番大事なのは家族と自分と家族の生活。
絵は人生の中で重要なパーツではあるが、それが最優先、全てではない、ってあたりが違うかな?男女差あるんかもしれないけど。
多分、普段気づかないだけで自分の身の回りに結構こういうグランマいるんじゃないかなー?と思いました。
有名無名に関わらず。
彼女の絵をみた人が、彼女の絵から自分の理想の老後の一パターンを夢想出来るとこが彼女の絵の力なんではないか?と思いました。
グランマ・モーゼスさんって、作品は全然知らないけど、絵的には、七間町通りにあった映画館の壁の絵に似ている感じかな?
人間は人形のように描かれているのに、木とか建物は繊細でリアルですね。
癒される絵画だと感じました。
そう言われたら似てるかもなあ。
モーゼスさんの絵はリアルというより、絵手紙的雰囲気な油彩ですね。
癒されるは癒されるかもしれません。
私的にはそんなに趣味ではない作風ですが、まあ私的だからねー。絵というよりもグラフィックデザイン的印象かな?
今回はもっと拮抗すると思ったんだけど。
変わらないか…
塩谷氏は比例で復活してました、ちえっ!(笑)