marigold songの地下水路

marigold songの数少ないライブのお知らせを目的として、ちょっとやってみましたが。

きょうの反省

2010-03-03 23:20:02 | Weblog
これまでも嫌と言う程、反省してきた。

直そうと思っているのはほんとうである。

「思った事をそのまま口に出すのは大人として恥ずかしいだろう。」

今までも、何度も直そうと真剣に思った。ほんとうです。信じてください。


声が大きいし、顔のパーツがひとつひとつ過剰に大きいためなのか、

例えばドアに指をはさんで「いたい!」って独り言をいっても結果として皆に聞こえ、

「構ってほしいのか。だいじょうぶ?って、しんぱいされたいのか?」と、なってしまう。

わざと大きい声を出した訳ではないのに。。。

声がちいさかったり、顔がちいさかったり、 そういうひとはいいよなあ。ほんとうは図太い癖に、繊細な人と思ってもらえるものなあ。

わたくしなんかさ、声がおおきくなっちゃうのと(工場で育ったからなの!!)顔のパーツがいちいち大きいのとで、(生まれつきなの!!)がさつなひとと判定される。

まあ、いいよ。まあいい。

ほんとにがさつだからな。

きょうなんか、ぜったい言っちゃあいけない場面で、

「。。。けんべんみたい。。。」て、言っちゃったものな。弁解の余地なし。


直感で、じぶんはほかのひとより物事を「うわあ恥ずかしい」と思う率は高いと思っているのだが、

逆に (細野晴臣が、『逆に』を、逆に 気に入って多用するということを知った。細野が『逆に』をつかうと、話し相手は 逆に 吃驚するのだそうだ。 細野なのに、なんで? って。
それが面白くて 逆に細野は 逆に いっぱい逆に 多用しているらしい。 逆にパラドックス
なので、わたくしは逆に感心した。 なので。  『なので!!』、わたくしだってこれからは
『イイかんじ』を、右肩上がりに発音することにも意欲的に取り組んでいきたい。

なにが逆なのかわからなくなってしまったが、


多分恥ずかしさの焦点がズレているために、生きにくくなっているのだろう。。。


なにを書いているのかわからなくなってきました。たぶん必死にきょうの釈明をしているつもりなのでしょう。

あとねえ、

「marigold song」なんちて、カフェとかハウスとかでライブ(ここは是非右肩あがりの発音で。)
などやっているのも、

これでも、かんがえかんがえ、なんとか「恥ずかしさの境界線」を、こう、なんとか、縫うように、

かんがえかんがえ、やっているワケよ。マリーは。


あれれ、なにを書こうとしていたっけか。

そうそう、「思ったことをそのまま口にだしてはいけない」という、本日、本気で反省した事柄を
日記に記録してよりよい人間になっていこうと思ったのだったな。


ほうら、思ったことをそのまま電波にのせてしまうから、また意味のわからないことになるのだ。

もう、わたくしは、口にチャックだ。



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