NBA INS 'N' OUTS

かんたん解説 NBAなんでもとーく

Eddie Griffin

2007年08月23日 | 特集

2001年のドラフトは、不作の年と言われていた。
オーデンとデュラントがいた今年のドラフトや、ルブロンやウェイド、カーメロがいた2003年ドラフトが豊作年と呼ばれるのとは対照的に、本命不在の混戦模様のドラフトであった。
その中で早くからトップピック候補に挙げられていたのが、エディ・グリフィンだった。

当時まだ大学1年生だったグリフィンだが、毎月のように月間最優秀新人に選ばれるほど、その活躍度は頭抜けていた。
208cmの長身で、跳躍力にも優れ、リバウンドにブロックと完全に制空権を支配していた。
攻撃でもウィングプレイヤーのようにコートを走り、3ポイントまで決めるシュート力も兼ね備えていた。

しかもそれを涼しげに造作もなくこなすものだから、意地悪な評論家からは「一生懸命プレーしていない」「全力を出していない」といった批判すら出た。
しかしそのタレントレベルの高さは疑いようもなく、顔色を変えずにビッグプレーを繰り出すところから、ティム・ダンカンとも比較されていたほどだ。
「さすがにダンカンと比べるのは大げさだろう」と思われるかもしれない。
でも2人の1年生のシーズンのスタッツを比べてみると・・・・

●グリフィン(1年):17.8点/10.8リバウンド/4.4ブロック
●ダンカン(1年):9.8点/9.6リバウンド/3.8ブロック

遜色ないどころか、グリフィンの方がはるかに上回るスタッツを残しているのがわかる。
1年生にしてブロックは全米2位、リバウンドは全米5位という素晴らしい成績であった。
ダンカンは大学で4年間プレーしてからNBA入りしたが、グリフィンはわずか1年にして既にNBAレベルの成績を挙げていたのだ。
ドラフトNo.1候補に早くから名前を挙げられていたのも納得である。
1位指名に相応しかったかどうかは、前年の2000年ドラフトでトップピックとなったケニオン・マーティンと比べてみればわかる。

●グリフィン(1年):17.8点/10.8リバウンド/4.4ブロック
●マーティン(4年):18.9点/9.7リバウンド/3.4ブロック(1年生時は2.8点/3.4リバウンド/1.1ブロック)

やはり遜色ないどころか、マーティンの上をいっていると言ってもいい。
しかも4年生と1年生という大きな差があるのにもかかわらず、である。
だがドラフト本番では、グリフィンは1位指名どころか、7位まで順位が落ちた。
これは実力の問題ではなく、コート外でのトラブルが懸念されたためだった。
タレントレベルでは十分トップピックの素養を備えていたのだが、チームメイトとケンカするなど性格面の難が指摘され、上位のチームが指名を回避したのだった。

そんな中ロケッツは、リスクよりもタレントの高さを重視した。
7位指名権を持っていたネッツにトレード話を持ちかけ、13位のリチャード・ジェファーソン、18位のジェイソン・コリンズ、23位のブランドン・アームストロングと3人もの1巡目指名新人を差し出し、3対1の交換でグリフィンを手に入れた。
3対1という破格の交換条件を見ても、その期待の高さをうかがい知ることができるだろう。

ロケッツでスタートを切ったグリフィンのNBAキャリアは、順調に運んでいるように見えた。
ルーキーシーズンはベンチからの出場だったが、限られた出場時間の中で効果的な働きを見せ、平均8.8点、5.7リバウンド、1.8ブロックという成績を残した。
特にブロックは40分換算の数字だと4本近くになり、既にリーグトップクラスにあることを証明した。
3ポイントも成功率33%と、ビッグマンとして非凡なオールラウンド能力を示した。

そして2年目のシーズンには先発PFへと昇格し、当然さらなる成績アップが期待されたのだが、逆にスタッツは伸び悩み、1年目とほとんど変わらない数字に終わる。
これはコート上の問題ではなく、コート外の問題が影響を及ぼした結果であった。
アルコール絡みで何度も不祥事を起こし、ついには翌シーズンをコート上ではなく、アルコール依存症の施設で過ごすという状況に陥ってしまった。
新人契約の3年を待たずに、わずか2シーズンでロケッツを去るという事態になった。

その後一度ネッツと契約するものの、結局プレーすることはなく、04-05シーズンからはウルブズで再起を図ることになった。
ウルブズもグリフィンを更生させようと真剣に取り組んだ。
彼にポジティブな影響を与えようと、お手本として相応しい人物を近くに置くことにした。
そうして、グリフィンのロッカーの場所が、KGの隣りに配置された。
KGはグリフィンを弟のようにかわいがって面倒を見、グリフィンもKGをロールモデルとして慕った。

ウルブズでのグリフィンは、NBA入りして以来初めてバスケットだけに集中しているように見えた。
「このチームはベテランが助けてくれる」と、本人もウルブズの環境を心地良く感じ、生まれ変わったような雰囲気を醸し出していた。
得意のブロックショットも切れ味を取り戻し、05-06シーズンには20分足らずの出場時間で平均2.1本を記録した。
これは40分換算で約4.3本にもなる驚異的なスタッツだった。(この年のブロック王はマーカス・キャンビーの3.3本)

だがウルブズとの幸せな関係も終焉を迎えることになる。
アルコール問題に加えて、車での自損事故や、ドラッグ使用による出場停止処分など、不祥事が目立つようになり、06-07シーズンはたった13試合に出場しただけでチームを追われることとなった。
ただ不祥事は起こすものの、いわゆる性格的に“イヤな奴”ではなく、ロッカールームやチーム内では好かれていたという。
トラブルを克服できないだけで、決して悪い人間ではなかったのだ。

そしてこの夏、悲しいニュースが入ってきた。
ヒューストン郊外の踏み切りで貨物列車とSUV車が衝突し、ドライバーが死亡する事故が起こったのだが、その犠牲者の身元がグリフィンと断定されたという一報だった。
個人的な感想で申し訳ないが、僕は正直ものすごくショックを受けた。
トラブルがあったのは知っていたが、選手としてのグリフィンが好きだったからだ。

ペニー・ハーダウェイが復帰した時もそう思ったが、一度好きになった選手には、どんな形であれ頑張って欲しいというか、日の目を見て欲しいと思う。
だからグリフィンも、いつかまた更生して復活して欲しいと期待していた。
実際ウルブズをカットされてからも、来季ヨーロッパでプレーすることも視野に入れつつトレーニングをしていたらしい。
それなのにこんな悲劇に見舞われてしまうなんて・・・・

自殺なのか事故なのかといった憶測も飛んでいるようだが、正直どっちでもいい、というか興味が持てない。
いずれにしても、グリフィンを永遠に失ってしまったという事実には変わりないのだから。
どんな選手であれ、亡くなったという知らせを聞けば悲しいと思うが、彼はまだ25才だった。
しかもとんでもない才能を持っていたのに、そのポテンシャルを開花させることなく、NBAの世界どころか、この世からも去ってしまった。
多くの人にとっては、NBAから消えかかっていた単なるマイナー選手の話に過ぎないかもしれないが、自分にとっては忘れられない衝撃の出来事だった。

過去の出来事を持ち出して、故人を批判したいとは思わない。
彼には才能があった。
だがそれを生かす術を知らなかった。
ただそれだけだ。
決して悪い人間ではなかった。
単にうまく生きられなかっただけだ。
そして自滅してしまった。
それはただただ、残念としか言いようがない。

知らない方もいっぱいいるかもしれませんが、彼の一ファンとして、その功績と痕跡を残しておきたいと願い、書かせてもらいました。
少しでもその存在を、心の片隅にでも記憶してもらえたら嬉しいです。
























































































ありがとう、グリフィン。
キミを忘れない。


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34 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
エディー・グリフィン (Tetsu)
2007-08-23 14:39:38
今回初めて名前を知った選手だったのですが、様々な経緯があって、来季ヨーロッパでプレーすることも視野に入れつつトレーニングをしていたということを今回のmanuさんの記事で知って、こういう結果になって悲しく思います。

25歳と若かったグリフィンさん。才能が開花しつつある状況にもあったということで残念です。ご冥福をお祈りいたします。

manuさんの今年の3月7日のチャーリー・ビラヌエバ選手の記事を読んだ時も様々なことを考えさせられましたが、これからも様々な背景を持った選手に光を当てた記事を期待しております。
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Unknown (ken)
2007-08-23 14:53:47
はじめまして。ここのブログは最近知ったんですがすごくおもしろくて楽しく読ませていただいてます

僕がNBAを見るようになったのは00-01シーズンからで、グリフィンはウルブズにいた時に初めて知りました。身長が208もあるのになんてすばやく動くんだろうと思いとても印象に残った選手でしたが、なかなか伸び悩んでいて最近はどこにいったのかなと思っていた矢先の出来事でした・・・

大学時代にあれほどの成績を残して(大学時代のことは知らなかったのですが・・・)、NBAの中で脚光を浴びることなく他界されたのは本当に残念です


ですが、あと2カ月程で新シーズンも始まります!また楽しい日記を待っています


初めてのコメントなのに長くてすいませんでした
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Tetsuさんへ (manu)
2007-08-23 15:12:27
ありがとうございます。
なかなかキッカケがないとこういう話題も取り上げにくいのですが、スター選手にもマイナー選手にもそれぞれのドラマがあり、知る価値のない選手なんて一人もいません。
プレースタイルや成績に注目が集まるのは当然のことですが、一個人としてその選手の人間性に触れることで、新しい発見も見えてきます。
できるだけそういった見えない側面や意外な一面などを取り上げ、選手たちをより身近に感じていただけたらいいなと願っています。
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kenさんへ (manu)
2007-08-23 15:21:20
初めまして!
コメントありがとうございました。

グリフィンのスゴさに気付いていたなんて、目が肥えてますね。
僕も、このサイズでジャンプ力にシュート力を持ち、攻守に何でもこなせるオールマイティさに、PFの近未来像を見ていました。
普通、高さとスピードとシュート力がビッグマンに一度に揃うことなんてありえないですからね。

でも厳しい言い方をすれば、自分の個性を生かすも殺すも全て自分の意思次第だと思うんです。
才能があっても、それを達成したいと思う強い意思がなければ生かされません。
逆に、才能がなくとも、どうしてもこれを成し遂げたいという強い意思があれば、近づくことができると思います。
全ては自分の気持ち次第だということなんだと思います。

別にコメントは全然長くないですよ。
僕が一番長いんで(笑)
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Unknown (G-boy)
2007-08-23 16:56:51
はじめまして。kenさん同様、最近このサイトを知り、楽しく拝見させていただいております。

新しいもの好きの私も、毎年ルーキーに期待をもつのですが、2001年組のことを雑誌で読んだ時には確か、バティエとグリフィンがROY候補って書いてあった気がしてます。

2001年組はSクラスプレイヤーは少ないけど個人的に好きです。(生き残り多いですよね?。)
しかも、晩成型が多く(特にビッグマンは。前年のマイルズ3位指名で高卒ブームに火がついたからか?)カリー、チャンドラー、ザック、ジョップも去年あたりからいい仕事しだした印象があります。(クワミはまだか?!。)なので、グリフィン惜しいなぁ…。
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いちNBAファンとして (ハカセ)
2007-08-23 18:25:43
的確な分析
気持ちのこもった文章
すごく感動しました
いちNBAファンとして、このブログを誇りに思います
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manvさん (ken)
2007-08-23 18:35:59
確かにそうですね。かのジョーダンもノースカロライナ大に入った当時は全然期待されていない状況からそれをバネにして成長していきましたし、現役№1と称されるコービーも毎年進化していってますしね。

でも、すごい残念なのが僕らファンの大部分は数字や雑誌などでしか選手を知ることができないのでmanvさんみたいにいろいろ知っている方がブログを書いてくれるのはありがたいです!!


話は変わりますが、manvさんは応援しているチームや選手はいるんですか?(ラシードやマニュは分かったんですが・・・)ここの記事の内容はどこにもかたよってないので気になりました。もしよろしければ教えてください。

ちなみに僕は現役ではフィッシャー、プリンス引退した選手ではクリスティー、サボニスがすごい好きでした。
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G-boyさんへ (manu)
2007-08-23 19:22:19
初めまして。
コメントありがとうございます。

そうですね、2001年はなかなか渋い年でした。
バティエは優勝して評価を上げましたが、タレントレベルとしてはグリフィンやJ-リッチ、RJといった面々の方が有望視されていましたね。

アリーナスやトニー・パーカー、ジェラウォーなど、下位指名にいい選手が多いのも特徴的ですね。
高校生ブームもこの頃からおかしな流れになっていった気がしますね。
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ハカセさんへ (manu)
2007-08-23 19:25:40
最大の賛辞ですね。
ありがとうございます。

でも、それもこれもNBAという素晴らしい舞台があるからできることで、僕はただその素晴らしさを知ってもらいたいと思っているだけです。

これからもNBAを応援していきましょう!
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Unknown (bbb)
2007-08-23 20:13:13
僕もこの方をmanuさんの記事で初めて知りました。
記事を読んだあと、ジョシュ・スミスをブロックしようとしているシーンを見て涙が込み上げてきました。
(T T) 
マリック・シーリーの場合は飲酒でしたが事故で
なくなるのは辛いものです。
25歳でこの世を去った彼にご冥福をお祈り致します。
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