会津の大内宿にいってきました。
江戸時代に関東と会津を結ぶ下野街道の
交通の要衝だった大内宿は、宿場として、
また荷駄運送の駅所として賑わっていたそう。
いまは観光客で賑わっています。
会津藩主の参勤交代の際もこの街道を通ったり
由緒正しい場所のよう。
やがて、明治になり、日光街道
( いまの国道118と121号)が
大川沿いに開通すると、人、物の流れが新しい道路に移り、
大内宿は時代に取り残されていきました。
(´・ω・`)
しかし、大内宿は時代の波に取り残されたことによって、
奇跡的に茅葺きの家並みを残すことに。
昭和56年4月、重要伝統的建造物群保存地区に選定。
そして地元のみなさんの必死の努力により、
江戸時代の家並みや郷愁を望む、会津の名所となりました。
さて、大内宿と言えば「高遠そば」。
長ネギを箸がわりに用い、薬味をかねてご提供する。
我が家はこれを食べずに、
普通の十割蕎麦を食べました。(^^ゞ
「ネギを箸かわりに使う」
ことについての疑問は次回に持ち越されることに。
さて、大内宿は、以前も今も、
人を呼ぶ取り組みを熱心に行い、それが比較的成功
(それでも苦しいと思いますが)している場所です。
それでも年間100万人の観光客が集まる大内宿の
「生き残りをかけた、一生懸命さ」が、
強く心に残りました。
大内宿では、年配のおじさま方が炎天下で駐車場整理、
「来てくれて有り難うございます」
「良かったらまた来てください」
「楽しませていただき、こちらこそ有り難うございます。
応援しています」
と思いながら、過ごしました。
一方で、あちこちでこんな言葉もみかけ・・。
ここもまた被災地であるということを
強く感じました。
行きも帰りも蕎麦の花が綺麗でした。
〒969-5207
福島県南会津郡下郷町大字大内字山本43
0241-68-2932
江戸時代に関東と会津を結ぶ下野街道の
交通の要衝だった大内宿は、宿場として、
また荷駄運送の駅所として賑わっていたそう。
いまは観光客で賑わっています。
会津藩主の参勤交代の際もこの街道を通ったり
由緒正しい場所のよう。
やがて、明治になり、日光街道
( いまの国道118と121号)が
大川沿いに開通すると、人、物の流れが新しい道路に移り、
大内宿は時代に取り残されていきました。
(´・ω・`)
しかし、大内宿は時代の波に取り残されたことによって、
奇跡的に茅葺きの家並みを残すことに。
昭和56年4月、重要伝統的建造物群保存地区に選定。
そして地元のみなさんの必死の努力により、
江戸時代の家並みや郷愁を望む、会津の名所となりました。
さて、大内宿と言えば「高遠そば」。
長ネギを箸がわりに用い、薬味をかねてご提供する。
我が家はこれを食べずに、
普通の十割蕎麦を食べました。(^^ゞ
「ネギを箸かわりに使う」
ことについての疑問は次回に持ち越されることに。
さて、大内宿は、以前も今も、
人を呼ぶ取り組みを熱心に行い、それが比較的成功
(それでも苦しいと思いますが)している場所です。
それでも年間100万人の観光客が集まる大内宿の
「生き残りをかけた、一生懸命さ」が、
強く心に残りました。
大内宿では、年配のおじさま方が炎天下で駐車場整理、
「来てくれて有り難うございます」
「良かったらまた来てください」
「楽しませていただき、こちらこそ有り難うございます。
応援しています」
と思いながら、過ごしました。
一方で、あちこちでこんな言葉もみかけ・・。
ここもまた被災地であるということを
強く感じました。
行きも帰りも蕎麦の花が綺麗でした。
〒969-5207
福島県南会津郡下郷町大字大内字山本43
0241-68-2932