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飯島愛さんと「プラトニック・セックス」 そして愛について

2008-12-27 21:35:54 | 時事問題
新聞やテレビ、週刊誌でも報じられている通り、飯島愛さんが36歳で天に召されました。

飯島愛さんの「愛」という名は本名ではなく源氏名だったそうですが、実際の子ども時代や青春時代は、「愛」とはほど遠かったのではないかと、その著書「プラトニック・セックス」からは読み取れます。

「プラトニック・セックス」は、中学時代から学校へほとんど行かず、万引き、カツアゲ、家出にシンナーを繰り返し、やがて、水商売へと向かった飯島愛さんの自伝。その衝撃的であまりにも赤裸々な内容から、さまざまな憶測や物議をかもし出しましたが、ベストセラーとなりました。

中学時代のエピソードとして書いてあったものにこんなものがあります。

両親に褒められたい一心で、嫌いな勉強に励んだ中学1年のときは、成績が学年で10番以内。しかし、苦手な数学で90点を取って喜び勇んで、答案用紙を母親に見せても「4問も間違えているじゃない。どうしてできなかったの」と。14歳で家出してから23歳まで一度も両親とは会わなかったそうです。

「愛」と呼ばれるようになったのは16歳だったということです。16歳で水商売でを始めた飯島さんは、そこから(俗な言葉になりますが)どんどん堕ちていきます。愛ではなく、お金と男性、そして孤独に囲まれた日々が綴られてあり、涙が出ます。

あくまでも、一般論ですが、幼い頃、ちゃんと愛されていない人は、愛されることに貪欲になると言われます。

好きな男性と身体を重ね、そして帰ってしまった後は、寂しさで狂いそうになってしまう。寂しさを埋めたくて、どうでもいい男性と遊ぶ。それを繰り返し、どうしようもなく心の中の空白が広がっていく。それを埋めたくて、また誰かと肌を合わせる。優しい気持ちになって、人を好きになっても、裏切られて、傷ついてしまう・・・。

そう飯島さんは著書の中で、語っています。

私はこの本を読んで「機能不全の家庭に育った女性」がたどる、もっとも不幸な道だと思いました。

「愛する」ということは、人間にとってとても大切なこと。
子ども時代の愛情とは惜しみなく、何の代償も求められず、注がれてるべきもの。
正しい愛し方も愛され方も学ぶことなく大人になった飯島さんは、テレビで元気に活躍されていた頃も、なんとなく無理をしているんじゃないかな、と思えました。
「とても人に気を遣う」「細やかな気配りをする」方だとお聴きして、さらにその思いは強まりました。

さて、私は専門家ではありませんが、長期の対人関係の外傷を背負った方は、慢性的な安全の感覚、信用、自尊心などの損失が起こるという説があります。
しばしば外傷にさらされた子供は、発達の混乱、素行問題、愛着関係の問題に苦しむことが多いとされます。

繰り返しますが、私は飯島愛さんを知りませんし、専門家ではありません。飯島さんの死は子ども時代の経験と結びつけることが強引であることも承知しています。今私が感じていることは、まったく的外れかもしれません。

ただ、いま、思うことは、ひとりの母親として、「子ども時代は二度と戻らない」
という強烈な思いと、いまこの瞬間も愛情を与えられずに育っている子どもたちがいるという事実。

そして、飯島さんが、人に対して優しかった、友達を大切にした、ご両親とも再び交流があった、という話を聴いて、何よりも飯島さんが「愛すること」の大切さを理解していたように思えてなりません。

どうぞ安らかに眠ってください。

プラトニック・セックス
飯島 愛
小学館

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