まこちゃん日記2

まこちゃんのピンポン日記です。

2月28日 いよいよ解除が始まるが、大丈夫なのか。

2021-02-28 11:25:21 | 日記

 

     『 富士と菜の花 』 吾妻山公園

       河津 米子さん 撮影

 

いよいよ今日で一部宣言の解除の日だ。本当に大丈夫なのかという不安がある。

骨のある医師達は反対を唱えているけれど、菅政権は強行した。

オリンピックへの思惑か、各産業業界からの圧力か、政治判断なのか、極めて曖昧

で不安が残る。

1週間後の関東でも解除されそうな空気だが、同じ事だろう。

「遊びに出やすくなるから、飲み会も会食も出来る、友達と遊べるから、学校へ行けるから」

歓迎だという特に若い人の声が多いが,それを聞くととても不安になってくる。

どうやって止められるだろか。

いい加減自粛に疲れ、困窮し、疲弊しきった国民への思いやりとも思えない。

 

昨日の続きのようになってしまうが、このコロナで厳しい時に、世の中ではそれに関係

したり或いはしないことでもいろいろな事が起こっている。

様々な問題が次々と発生している。昨日今日当たりだけでも、思いつくまま列挙しても

切りがない位だ。

* ワクチンは一体何時になるのか。其れも絶対数が足りなくて醜い奪い合いになるのではないか。

* 緊急事態宣言が解除されると、国民のタガが一挙にゆるむのではないか。

* オリンピックは半年後だというのに果たして出来るのか。

* 外国選手は来るだろうか(北京冬季五輪があるから中国は来るだろうけど)

* 聖火リレーはどうなるのか

* 高級役人の接待収賄問題

* 内閣広報官の7万円の会食。農水省でも発覚。どうしてこうも多いのか。

* 彼等彼女らの国会での質問への答弁は、政治家のそれと同じで恥知らずだ。

* 首相の長男等は贈賄罪には何故問われないのか。

等々と切りがない。

これに自然災害や人的災害が加わるのだから、なんとよくもまぁ、疑問や不信や

心配や怒りの種が出てくるものだ。

考えると腹ただしいことが多いが、何も出来ない国民が、慣れっこにもなって、

何もしないでいたら、日本の社会はどんどん低レベルの、どうしようもない灰色の

社会になってしまいそうだ。

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2月27日 コロナの唯一の功徳!

2021-02-27 22:13:22 | 日記

 

   『 まぁちゃんのお友達 』 まぁちゃんのテニスブログより

        森川 雅昭さん 撮影

 

高級役人や内閣の要人の収賄そして隠蔽、ワクチン国内での争奪戦の懸念、

株の急落や高騰、地震の余震、山火事、リコール不正問題、池田市市長の

奇怪な行動、島根県知事の主張、聖火リレーはどうするの、オリンピックは

やれるのか等々昨日今日だけでも、いやはや賑やかなことだ。

いつもこの位の騒動は起きているのに、これまでは気が付かずに過ごしていた

のかも知れない。

それがコロナのお陰で時間だけはたっぷりで、隅々まで目が届いてしまうのだろう。

傍目八目、大工の八ちゃんとか長屋のご隠居か、にわか国民総評論家か、総クレーマー

になったか、とにかく外野席の観客よろしくヤジや憤懣や怒り、時には喜びや歓声を

あげたりで忙しい。

これ程、毎日々々TVを見ることもなかったし、新聞も隅までじっくり見ることも

少なかったのが、今や暇に任せて丹念に見たり読んだり聞いたりが出来る。

そうなると皆が嫌でも自然に社会の構造や政治や経済についての理解を深めて、

より関心を持つようになる。するといろいろな事に気が付いてくる。

今まであまり見えなかった良いことも悪いことも見えてくる。そして皆が声を上げる。

これは現在を生きる人間としても国民の一員としても、国を良くするためにとても

必要で素晴らしいことである。

これはコロナのたった一つだけの我々への功徳ではないだろうか。

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2月26日 果たして緊急宣言はどうなるのか!

2021-02-26 10:29:29 | 日記

 

       『 富士山遠望 』

        河津 米子さん 撮影

 

緊急事態宣言も7日の期限が近づいて、神奈川県はどうなるのだろうか。

経済のこと、生活の事を思うと解除。抑制の利かぬ人出、感染者数、

ワクチンの遅れを考えると、此処は寒い時期のもう1ヶ月位は強く

自粛するべきだろう。

オリンピックをやるとするならば、これは絶対必要な最低条件の一つの

様な気がする。

 

経済を優先させた(確かに目標レベルの数値をクリアーしているが)大阪等は

いかにも関西圏の商業都市の面目躍如だが、果たして大丈夫だろうかと危惧

している。

 

全国的に押さえ込まなければ、人の動きは止められないのだから、よしんば

1,2カ所が良くなっても、必ず又他所に全国に波及して蔓延してしまうという

事を繰り返すのではないだろうか。

 

我々から見ると、老人は重症化するというし、経済的にも年金生活者は何とか

ジッと耐えてさえいればという感覚だが、もう少し若い壮年中年層や若者達に

とってはそうもいかないのだろう。

 

心身へのダメージか、経済不況か、社会不安か、いろいろなことを考えると

継続か解除かという二者択一といってもなかなか悩ましく難しいことだ。

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2月25日 人間は皆、本当は善人なのだ!

2021-02-25 11:07:52 | 日記

 

      『 絵に書いたお雛様 』 淡彩画

              岡崎 昇さん 画

   青鳩メンバーの同氏の描く淡彩画は、あくまでも淡く

   それはそれはきれいで、心を癒してくれます。

   きっとこのコロナ自粛で描きためたことでしょう。

   いつか又見せて貰いたいものです。私の美術館のブログ

   の方で紹介できればいいのですが…

 

最近では人間とは、その本性とは、善なのか悪なのかと思い悩まされる出来事が多い。

これは何も最近のことではなく、昔から善も悪も人間の営みには必ずつきまとっている

事なのだろうけど。

 

このところ相次ぐ政治家の失言、言動そして高級官僚の心がマヒしているかのような

顛末(彼等は事務次官や局長などという役人の最高峰で、凡人にはとても行き着くもの

ではない夢のような立場だ)で、本来なら頭は切れ、人格円満にして高潔という超エリート

の人材である筈であり、又それを求められるべき地位だが、これが何ともはや地に落ちた

ものだ。

 

頭が良くて成績優秀で育ち、社会に出てエリートコースを歩んだ人間は、人格や人間性の

高潔、豊かな感受性とは相容れるものではなく、両立はしないものものなのだろうか。

(多分にこれは偏見と凡人のヒガミかも知れないが)

 

もし昔々に、君の人生でエリートか凡人かのどちらを選択するか(この際能力の有無は

別として)と問われたら、超エリートコースも魅力がありそうだが、何やらとても疲れ

そうだ。温かな気持ちとそこそこの正義感とを持って過ごせるなら、多分超凡人コースを

選ぶだろう(どうも最近は愚痴と負け惜しみが多くなったかも)と思ったりしている。

 

国会でぬけぬけと嘘の答弁をし、バレると動じることもなく記憶がないと言える鉄面皮の心が

超エリートたる由縁なのかも或いは資格なのかも知れないし、そして極めて嫌な醜い長所でも

あるのだろう。

そんな姿を見ていると、私のチョイスもあながち負け惜しみだけとは言えないだろうという

気がしてくる。

 

そんな彼等のために弁解してあげるとすれば、人間の本質は性善のものなのだが、哀れにも

地位のため、金のため、面子やプライドを守り維持するために、ああなってしまったもの

であり、本当の心の中では、己を恥じて泣いているのだろうと思う。そう思いたいのである。

 

どんな人も善い資質を持って生まれてくるが、第一は環境や生活が、もって生まれた素材や

才能などが、その人を歪めているだけなのだという性善説を、飽きもせず、裏切られ続け

ながらも、信じ続けているのである。

 

 

 

 

 

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2月24日 「程々の人生が良し!」

2021-02-24 09:38:07 | 日記

 

       「 湘南平の早咲き桜 」

         河津 米子さん 撮影

 

前回の日記に書いた「優秀でとても生真面目なタイプの人が、コロナに精神的に

負けている」という話を聞くと可哀想だと思う。

幸か不幸か、優秀でも生真面目でもない私は大丈夫かとは思うけれど、最近の私は

体の不調や何もする意欲を失いつつあるという点ではやはり影響を受けているようで

、他人事ではない。

いずれにしても程々の考えで、完璧主義よりもいい加減とか中途半端、そして几帳面

より思うがまま、といった方がこの厳しく住み辛い世の中では良さそうだ。

何事にも「程々人生」というのが、楽しく生きる人生の知恵かも知れない。

 

こんな生き方は几帳面や完璧主義の方とか、執着性,固執性、不安症のタイプの人に

とっては、我慢のならぬ、許せない生き方かも知れない。

しかし、誰しも人間はこの両面を持ち合わせているもので、それを上手く折り合い付けて

生きているのが現実だろう。

 

コロナの自粛が始まって、手をよく洗え、消毒せよと言われる様になって、思い出すのは

中学校時代、隣のクラスにいた女の子で、親は大学教授で本人は可愛いく勉強がとんでもなく

出来る子のことである。

彼女はあんな子供の頃から、アルコールの消毒綿を持ち歩いていて、電車の吊革もドアのノブ

もそれで消毒してから掴んでいたことである。随分神経質だ、心配性だ潔癖性なのだと、驚き

と同時に、そうしなければならない性質性格も大変だろうなぁと思ったものだ。

ああいうタイプの人は、大人になってどんな生活をしているのだろう、特にこんな環境の

今日では、と想像することがある。

「程々お婆さん」となって楽しくやっていればいいのだが……。

 

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