『 朝やけの富士とお月様 』
河津 米子さん 撮影
延長された自粛に入って数日が経った。
昨日は公民館へ2月分の予約の取り消し手続き行って来た。
さすがに館も閑散として予定表を見ても利用者はごく少数だった。
各サークルが自ら自粛しているわけで、大したものだと思ったし
感心もした。
これなら館も臨時休館にした方が良さそうなのにと思ったが、
職員とか第三セクターとして働いている館員などの問題があるのだろうか。
こうして、昨年の自粛時のような強制的な禁止ではないのに、
これだけ利用が控えられているのは、日本人の美徳か良識なのか、
常識ある文化人の故なのかと感心する。
一方で、何と神経質な心配性で、人の目や周りの様子を気にする人種であり、
お上の指示には盲目的に従う人が多いという国民性なのかとも思ったりする。
さて、この一ヶ月間を如何に過ごすかが問題かも知れない。
既に大分精神的には嫌気と疲れが出てきているはずだから。
何もせず、ただぼうっとして居てもいつの間にか時間は経ってくれる。
しかしこの1ヶ月の時間は、足腰を中心にして肉体の衰えとそれに伴い
無気力と何もしたくない虚脱感と、何事にも対する関心とか興味や意欲を
薄れさせる虚無感とを我々に残していく。
これはコロナの「置きみやげ」と言っても良いかも知れない。
その困った置きみやげを如何に受け取らないかと言うことが求められる。
それには過ごし方が大事なのだろう。
もはやもうその気力が無いほどダメージを受けていて、それを打破する、
追い払うなんて努力や工夫をするなんて元気も気持ちもないと言うなら、
今更もう何をかいわんや!である。
でも何とか自力で立ち直りたい、再起したいものであり、そうなれることを
祈らずには居られない気持ちである