『 ハマミーナからの富士山 』
高橋 嘉子さん 撮影
先日の日記に書いた通り、一部の人の強い反対で我々が皆で揃っての基本練習の真似事などは
始めることは出来なかったということがあった。
しかしこれは絶対必要なことだからと思い続けて、この事のあったお陰で思い切ってコーチを
呼ぶことには成功したわけだった。しばらく数年間だったが、コロナ前までは続いたのだ。
これは良かったと今でも思っている。
ここ迄来る過程で、私が一つ見逃していたと気付いたことがある。
それは卓球を我々年代では遊びでも何でもやったことのない人はまずいないという事実である。
昔は現在の様にサッカーだやれ何だとスポーツも娯楽もなかったから、卓球が一番手軽な遊び
だったと言う事実である。
従って我々には一度も遊びでも何でもピンポンをしたことがないという人はまず居ない位だった
のではないか、という事を忘れていたのである。
そしてもう一つは、ピンポンというものがスポーツには稀に見るほど極めて取っ付きやすく、
しかし実際にはやれば奥は深いのだけれど、最初から誰でも腕を振れば案外簡単に球を打つことが
出来る。そしてそれだけでもかなり面白いものであるという事だ。
これはスポーツの中でもピンポンの大きな特性の一つだろう。野球とかゴルフやテニスではとても
そうはいかない。
だから我々の中でも一度も、テニスなどとは違って卓球のラケットを握ったことがない人は居ないのでは
なかろうか。つまり皆が未経験者ではなかったのである。そのうえ勝手にやっていればそれなりに球には
当たるし適当に面白くなってくるという強みがあったわけだ。
それ故にこの儘でも、皆が飽きるまでは3時間は楽しく過ごせるだろうが、本当の進歩とか真の面白さや
醍醐味には届かないという事をつい忘れてしまっていた。
そんな意味では本当の白紙からのスタートではなかったので、皆で基本をやってみようとか、コーチを付け
ようというのは、面白さ自由さを阻害されるようで反発を食らったのだろう。
この辺でもう一遍、皆がこれ以上は上手にならないうちに、初心に戻っていろいろトライしてみるのも、
面白いのではないだろうか。
先生がいない現在、誰かが教えて誰かが習うという事でなく、皆でやさしい適切な練習法の一つ二つを作って、
それをめいめいが各自で或いは時には皆が一緒にやってみるのはどうだろうか。
我々の年齢でしかもここまで自己流が身について、かなり上達してしまった今となっては一寸難しいかも
しれない。あまり意味も効果もないかもしれない。
前回ハマミーナでの練習の後、皆で食事をした時に何となくそれとなく遠回しにこういう事をしてみるのは
どうだろうかと、匂わせてみたのだがほとんど興味無いのか反応がなかった。道は遠いようだ。
しかし幾つになっても、人生は挑戦だ! 向上心を忘れるな! 意欲をなくすな! 年は取っても人間と
しての美意識を捨てるな! プライドを無くすな!なんていう先人が教えている安っぽい古い人生訓に騙された
と思って、やってみようではありませんか。