まこちゃん日記2

まこちゃんのピンポン日記です。

9月30日 自分で自分に、おめでとう!

2022-09-30 10:20:51 | 日記

 

とうとうと言うか、どうにかやっとと言うか満84才に辿り着きました。

生まれたのは今日の朝なのか夜だったのか、母から聞いた筈だろうが記憶にない

のが残念です。私の周りには、体はしっかり頭もはっきりで活躍中の方が何人も

おられるから、私の84才なんてのは、珍しくも偉くも全く何ともないことだ。

 

しかし私自身の胸の内では、これは奇跡の様な気がしているのです。これも

うちの奥さんのお陰と口では言えぬが思って感謝している。

亡き父母や兄達も、あの子が80過ぎまで頑張っているとはと、きっとびっくり

しながら喜んで呉れていることだろう。

 

幼少の頃、疎開先の会津若松で重症の肺炎を、父の一番大事な1枚の絵と交換で米軍の

ペニシリンを手に入れ助けて貰ったこと、4年生の時には川遊びをしていて深みにはまった

ところを2才上の兄に救われたこと、体の弱い私を何時も励まし精神的にも支えになって

くれた母、そして親戚知人友人には本当にお世話になって生きてきたと言う気がする。

 

自分の人生は人への感謝することばかりである。周りの人にその感謝のお返しをしなければと

言う気持ちで生きているつもりだが、まだまだその何分の一もお返しは出来ていないだろう。

その意味ではもっと長生きしなければ恩返しが追い付かないが、それがなかなか大変なこと

だし心苦しい。

 

体の弱かった私が、とにかく今日の日を迎えられたのは感無量であり、深く両親、家族そして

周りの友人知人方に、この年になって改めて感謝するばかりである。

 

世間ではコロナで外出を控えている人が多くなり、それは急な認知症の発症をする人を増やして

いると問題視されている。

一生懸命に外出して、認知症にならぬように(感謝の気持ちを忘れてはいけないから)生きたい

ものだ。果たして来年の今日はどんな事を考え、何をしているだろうか。

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9月29日 国葬に昼寝タイムが潰された!

2022-09-29 16:40:18 | 日記

      「宇宙帰りの朝顔が未だ時々咲いている」

 

昨日の朝、目は覚めたのだがぐったりして起きられない。一瞬どうなったのかと思った。

今では午後の2時間の昼寝が私を支え、何とか動かしている様なのだが一昨日はそれが

出来なかったからかなと思った。

 

あの日はピンポンから帰って、シャワーを浴びて冷たい水(ビールでないのが残念だが)を

たっぷり呑んで、買って帰ったお寿司弁当を食べて、さぁ快く昼寝をするかとしたところで

TVの国葬の中継が始まった。

 

特に見る予定ではなかったが思わず見入ってしまい昼寝が出来なかった。

国葬とは滅多にあるものではないから、私もこれが2回目だが、ついつい引きつけられて昼寝は

犠牲になってしまったわけだ。

 

国葬反対が当日もすごかったが、民主社会ではどんな事でも全面的な賛成と言うことはないから、

やむを得ぬことと反対を否定はしないが、世界の注目の中で暴動や不祥事だけはないことを願い

ながら見ていた。

 

献花所へわざわざ3時間も並んでやって来て涙を流すおばさん、国葬反対のデモに参加して警官と

もみ合っている青年、まさに世論を分断した姿だが両者とも雰囲気に酔って涙が出たり、空気に

煽られて怒鳴るのだろう。

 

確かにああした式典を見ていると、あの昔、国会答弁でのヌケヌケと嘘の繰り返し、森友、桜の会

の事すら忘れそうになるのが恐ろしい。

 

菅氏の弔辞が素晴らしかったと評判だ。弔辞で会場から拍手が起きるのは珍しいことだそうだ。

同氏の過去の評価や汚点を晴らす一世一代の男の晴れ舞台だった。無能だが誠実を売り物に、

カムバックの芽も出たのではと思わす位だった。

 

何事もないことを願って様々なことを思いながら、とうとう昼寝もせずに終わりまで見てしまった。

 

 

 

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9月27日 病が洋服着てピンポンしている!

2022-09-27 16:45:05 | 日記

 

      「 お月様と江ノ島 」

        森川  由美子さん 撮影

 

今日は国葬だと言うに、私は黙祷もせずピンポンをしていた。

役所や学校、国民に半旗も黙祷も求め得ない奇妙な国葬になってしまった。

変な事件や外国からの賓客に対する不祥事がなくて良かった。

物事とはどんなことでも話の持って成り行きでは善にも悪にもなってしまうようだ。

悪が政治によって善になることだけは、勘弁して貰いたいものだ。

 

公民館は既に2年前の賑やかさを取り戻しているし、駅前辺りの飲食店も活気が戻ったそうだ。

日々発表される新感染者数は一進一退だったりするが、減少方向だというのは間違いないようだ。

しかし医療事情は相変わらずで、特に弱者や年輩者にとっては恐ろしい状況は続いているという。

新型が出てくるとか、既に出ていると言われている。

国は国葬に忙しいのか、統一教会問題のもみ消しに大わらわなのか、緩和方向への指示だけで未だ

はっきりした対策も施策も出ていない。何も策のないのが最良の策だとでも言っているようだ。

これが国民の不安を何時までも解消できない原因だろう。

 

従って、この状況下では人の生活スタイルは、皆それぞれという特異な社会現象が起きている。

その質的、形態の差は大きい。基礎疾患のある人、虚弱体質の人をはじめ、神経不安症、心配性や

強度の潔癖症(昔、中学の時に電車の吊革をアルコール綿で拭かないと掴めないという美人で勉強の

出来るマドンナが居たのを思い出す。あの子は今やどんなお婆さんになっていることだろう)などの

人にとっては、今はどんなに辛く不便な生活をしているのだろうと同情してしまう。

 

私はそんな人の心情が何となく分かるような気がする。

というのは、私は幼少の頃から一寸した事で風邪をひいて熱を出したりするので、寒い冬の外出とかを

控えたり、大事にというか用心深く育てられた。

少年時代は扁桃腺や腎臓を煩い、胃弱と便秘と下痢に悩まされ、加えて乗り物酔いが加わり通学もまま

ならなかった位だ。当然、心配性で神経質で暗い人間だったのではないだろうか。(自分じゃあまり

覚えてないし、分からないが)。長じては酒酔いが加わり、痔疾、前立腺等の手術、2型糖尿病そして

狭心症を起こし(ステント留置)、更に左目が黄班変性網膜症になりその視力をほとんど失った。

「よく片目でピンポン出来るね」と言われるが、類い希なる運動神経があったのか?無理して遣って

いるうちにかなり慣れてしまったのかだろう。案外ピンポンというのは勘に頼って遣っているものだと

実感している。

 

恥ずかしながら私はこのように上から下まで全身病気だらけで、まるで病気のデパートの如しなのです。

病が洋服を来て歩いたりピンポンしたりしているようなものです。

お陰で人の病や悩みには無関心では居られない傾向があります。心配したり同情したり心が騒ぐのです。

苦しみが理解できるのです。

 

こんな私が不思議なのですが、今の私はコロナとの共存生活が出来るように思います。

しかし生活面で不自由を強いられ、精神面でストレスを感じている人の気持ちも分かるような気がするし、

思いを馳せているのです。

 

もし少年時代だったら、私も今のこのコロナではきっと外へは出られなかったかも知れません。

そんな自分が今、こうしているのが不思議な感じがします。人と会ったり話したり笑ったりしている事が

です。

何故なのでしょうか。長い状況にさすがの神経が慣れたのか、心の抵抗力が付いたのか、社会的な冷静さ

と大人の感性や判断力が備わったのでしょうか。

それとも、ただ単に加齢による感受性とか神経の鈍化なのでしょうか。

 

今日もマスクのままで11人で、楽しく笑い話し、疲れたけれども。うっすらいい汗をかいた。

終わって外に出ると涼しい風が快かった。

 

 

 

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9月25日 健康で長生きの4ヶ条

2022-09-25 16:30:09 | 日記

      

      『 これぞ、ダイヤモンドだ!』

        

先日もTVで、神経内科医で老人病の第一人者がこんな話をしていた。

元気でボケずに長生きするには次の4項目が大切だと。それが次の事だ。

  • 1. 生活に変化を付ける。

  毎日着るものを替えるだけでも良い。

  • 2. 肉を食べろ!

  コレステロールを気にしなければならないのは欧米人で、日本人は老いたら肉を食え。

  • 3. 好きな人とだけ付き合え。

  もはや嫌な奴と付き合う必要がない境遇なのだから、一切付き合うな。

  • 4. 出来ることだけすれば良い。

  無理はしなくて良い、自分の出来ることだけをする意欲だけは失うな。

 

この4項目を実践すれば80,90までも楽しく生きられるという有難い

ご高説だった。

 

これを我が身に当てはめてみると、あまり良い成績ではなさそうだ。

  • (1)では下着は毎日取り替えているが、上に着るのは同じのを来ていることが多い。替わったこともなく生活の変化は何もない。出掛けない、何もしない、新しいことは一切ないといったすこぶる平坦、平凡な生活で、これでは不合格だ。でも考えようによっては平穏な幸せの一面ではないのか。でもそれはやっぱり負け惜しみなのかなぁ!
  • (2)お肉はまだまだ食べ足りてない。ソーメン、豆腐派の私は、これはどうも落第のようだ。
  • (3)好きな人とだけ付き合え、というのは合格だ。現役の頃には会社や取引先に嫌な奴がいたものだがそれも卒業。その後のサークルなどにも何とも嫌な合わない人が居たが、それもとうの昔に消えてもう好きな人ばかりだ。現在のピンポン仲間のあの人もこの人も、そして絵での数人のお仲間にしても好きな人ばかりという恵まれた環境である。これは完全に合格だろう。
  • (4)出来ることだけをすれば良い。という点では合格かも。しかしそれがあまりに少なすぎるのでは。ちゃんとするのは昼寝ばかり、出来そうな片付け事は沢山あるのだが面倒でやれていない。これでは不合格かも。

こんな私は、これからどうなるのだろうか。不合格なら追試はないのだろうか。

 

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9月23日 久し振りの外出で、展覧会に行く!

2022-09-23 09:53:11 | 日記

     「グレーのダイアモンド富士」

昨日は己に課している「出来だけ外出すること!」の実践じゃないけれど、面倒、億劫心も

あったが、無理を言って声を掛け好ましい人達と待ち合わせをするという機会を作って出掛

けることが出来た。でも駅の向こうの市立文化会館は遠かった。

しかし週に1度は必ず出掛けること、老いてからは好きな人とだけ付き合うこと、という老人

精神衛生上の2ヶ条の鉄則を守れたわけである。

 

今はまだコロナが治まらない状況だから、外出したり会食したりして、果たして大丈夫だろうか、

とんでもない非常識で能天気な行為なのではあるまいかなどと考えてしまう。

 

うちの奥さんなどが出品している第33回 鶴彩会水彩画展に行ったわけだ。やはり久し振りの

展覧会場の雰囲気は良いものだった。ご一緒したのは絵の仲間で私の好きな方ばかりだったが、

これも久し振りのことで嬉しかった。楽しかった。たまには人に会い、話をしたり、食事をしたりは

やはり良いものだ。

我々の生活には、たまにはこうした事は精神衛生上も必要な事なのだなとつくづく思った。

それにしても女性方は変わりもなくお元気だったが、男性陣はお互い耳だ脚だ内臓だと不自由に

なっていて、つくづく時の流れを知らされた。

 

さて、この頃何時も思うのだが、コロナの状況に対して、どうしても人の反応や受け取り方が実に様々

であるところが悩ましい。人によってのそれぞれの対応が,まことにいろいろなのである。

しかもどれが正しくどれが間違っているとは言うことは出来ないところが余計に難しいわけだ。

 

一般に若い人達は体力への自信か、仲間との遊びや旅行の欲望を抑えられないのだろうか、普通の生活に

戻っているようだ。それが徐々に青年壮年中高年の世代へと広がりつつあるのかも知れない。

そんな若い人達から年輩者が感染し、若者は軽くて直ぐ治り、年寄りは重症化したり亡くなったりする

から、やはり老若男女が皆で気を付けたいものだ。

 

さて次の外出は何時になるだろう。多分来週のピンポンになってしまうのだろうか。

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