まこちゃん日記2

まこちゃんのピンポン日記です。

12月26日 さぁ、あと5日だ!

2021-12-26 12:09:43 | 日記

     「 年の瀬でも、今日も富士は美しかった 」

        河津 米子さん 撮影

今年ももうすぐ終わりだ。不安と不便の1年間だった。

国としては勿論、国民の1人1人が今年は生きていて良かった、でも果たして

来年はどんな年になるのかなという不安を抱えたまま来年を迎えることになりそうだ。

 

私は考えていた諸々の片付けがまだ何も出来ないでいる。

それでも今年の絵の教室もピンポンも無事終えることが出来たし、新しい日記帳も手帳も

準備し、このブログも予定以上に書けたし(実は友人知人方から送られた素晴らしい写真

に書く気を誘発された結果だったのだが)、これは己に課していた以上の成果だった。

 

よほどの暇人と笑われそうだけれど、24日で書き納めにした筈がこれも番外編として

今度こそ今年の最後のつもりで書いている。

年内の病院行きも2日前に全て済ませた。年賀状も何とか大半を書き終えた。

最大の難関である、身の回りの片付け、余計な物のつまり断捨離だけは残っている。

懐かしい物を捨てきれないタイプなので、早くどの辺か適当なところで、「まぁいいか、

又にするか!」という得意の諦めと妥協とで断念して、せめて気分だけでも軽くなって、

スッキリして新年を迎えたいものだ。

 

来年は、老化やそれによる衰えはやむを得ぬとしても、日常生活での節制、健康の管理等に、

今度こそ目を向けてもう少しだけでも良いから、元気に生活したいものだ。

来年は私の寅年でもあることだし、そんな年にしたい、社会も安全で明るい世の中であって

欲しい。

 

皆さんの健康で、明るい来年の生活をお祈り致します。

良いお正月を! お餅を食べ過ぎないでね。では又来年まで!

 

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12月24日 ピンポン日記も今年の書き納め!

2021-12-24 10:22:56 | 日記

 

         『 我が家にもサンタが来るかなぁ! 』

 

青鳩のピンポンの今年も一昨日の22日で終了した。

ピンポンをした日は必ずこの日記を書くと己に課したこの十数年だが、

今年のその自分への公約は先日で無事果たせた。

しかも興に乗れば(と言うより実際はコロナのお陰で時間だけは売る

ほどあったからだが)その間にも2日おき位に書いてしまった。

有難いことに、ブログを飾る写真を送って応援してくれる方々がいるので、

それをブログに載せたいという気持ちに駆られて書き続けられた様なもの

だった。

 

このブログ日記を見た方から、文章は長くてどうもだが、写真は毎回素晴らしくて

楽しみだったと言う声が結構寄せられて、がっくりしたり、そして嬉しかった。

本当に写真は評判が良かった様だ。

 

書くことに困ったり、私の癖で長くなってしまったり、同じ事になったりで、まことに

お恥ずかしい事が多いが、勝手なことや思い込みとか手前みそばかりなどは日記である

ことと年齢に免じて許されたい。

 

時間潰しやボケ防止のために、それと己に課した事を実行するというせめて人間らしい事

の1つ位は(1日5000歩を幾ら己に課しても実行出来ないので)しなければと言う思いで、

書き続けられたようだ。

 

懲りずに来年も又書き続けようと思っている。

18年位も続けられたことは、どんな事でも(会社勤めと結婚生活を除いては)私の人生には

ほとんどなかったから、生きている証とするためにも、ピンポンをやっている間は止められない

思いである。

 

皆さんに感謝を込めて! それでは又来春まで。どうぞお元気で良い年をお迎え下さい。 

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12月22日 ピンポン打ち納めの日!

2021-12-22 19:59:35 | 日記

 

          「 紅白のマンリョウ 」

        遠藤さんが丹精して紅白の実が、

        来年は何か良いことがある兆しか!

                                            遠藤 崇昭さん 撮影

     

とうとう今年最後のピンポンの日が来た。例年より一寸早いのだが、予約とりの関係で

今日が打ち納めの日になってしまった。

寒い夕方からだったが、それでも10人のお顔が見えた。女性陣は忙しかったと見えて

お休みが多かったが、簗瀬さんが顔を見せてくれたので今年の打ち納めを飾って呉れた。

お元気そうでラリーの腕も衰えていないのが嬉しい。

 

今年も皆さんよく参加されて、何もトラブルもなく全員無事で続けられたのはまことに

めでたし、めでたしだった。

 

毎回、何の企画も策も変化も面白いこともなく、ただ自由にマイペースでやっているだけ

なのだが、逆にそれが良かったのかも知れない。

 

世話役としては、無策であまりにも無能だったようで、いささか忸怩たる思いもあるが全て

コロナの所為で仕方がなかったのだと慰めている。

新年会とか忘年会を開く位しか能がないけれど、それすら今年はやれずに残念だった。

 

感染者数は、理由がはっきりしないものの確かに激減し、国や県ごとの規制も解かれ、

公民館も制限がほぼ緩和された。そんな事から食事会やら新年会を久し振りにやろうかと

本気で思った時があった。

しかしよくよく冷静に考えると、各地の人出、飲み会、集会などの所為か各地で小さな

クラスターが発生している。対応策も相変わらず心許ない。今が大事な時であると思い

断念した。

 

そこへ先日来のオミクロンとやらの新型の出現、止めようがなくなったGO・TO政策、

3回目のワクチンの調達遅れ、飲み屋の賑わい等を考えると、我々のように「上品で常識

があってすこぶる良識的で善良なる市民」ばかり?のグループでは、残念ながらやはり

今年は止めようと決断した(実際は何と言っても感染しやすい皆の年齢を考慮してのことだが)。

 楽しみは先にとっておこう。

 

みなさんお疲れさまでした。年末年始もコロナには気を付けて!

喪が明けて落ち着かれたら児玉さんも、そして簗瀬さんは又元気を出してやる気が湧いたら来春には

時々でも良いからぜひご一緒したいものです。では皆さん良いお年を!

 

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12月20日 世間は狭いもの!

2021-12-20 18:45:50 | 日記

12月20日 世間は狭いもの!

      「 秦野カントリーからの富士山 」

        須田さんのホームコースで

         須田 孝雄さん 撮影

 

このところ一寸したことで、世間は案外狭いものとか小さいものと思う事がある。

先日のアメリカの大竜巻で、その被害範囲はゆうに日本全土が入ってしまう広さ

だと地図で比較して報道された。今更ながらアメリカは広い、中国や旧ソ連なども

如何に大きいかを思い知らされた。

そんな国では、昔は同じ町に住んでいた人が偶然、同じ職場や又は所は変わっても

同じ町に住んでいて遭遇したなんて事などは、きっとその大きさからいうとあまり

ない事なのだろう。

 

先日、この日記で、私は東京の目黒区平町と言うところで生まれ30才まで過ごした

と書いた。それを見たのだろう青鳩仲間の須田さんが、ご自分は若い頃4年間も隣の

自由が丘の支店に勤務したことがあり、あの辺の町にはとても詳しいし懐かしいとの

話があった。ひょっとするとニヤミスならぬ、町中で袖が摺りあっていたかもしれない。

同じ東横線の車両に乗り合わせていたこともあったのに違いない。

 

又ある日、同じ青鳩メンバーの山本さんと話していたら、小学校は大岡山、中学は目黒8中

ですってね、奇遇ですね、私は近くの鷹番小学校で、中学は目黒10中(11中だったかも?)

だったと言って居られた。学区が違うとはいえ共に近くなので少年時代は同じ世界だったのかと、

とても親近感を覚えたものだ。

 

そうかと思うと、元メンバーだった真弓さんとは20年も前、深夜の東海道線下りの車中で、

彼は麻雀の帰り私は一杯やっての帰りで、実に40年ぶりの再会をした。

彼とは高校時代の同級生で、何時もクラスで1,2番を争った仲だが(もちろん誰も信用しない

でしょうけど)、実に久し振りの遭遇があったのです。

電車のボックス席で向かい合っていたのだが一寸分からなかったといいます。

互いに高校時代、爪を噛む癖があり、本を読んでいる私の指先を見て間違い無しと彼は確信した

そうだ。互いに知らずに同じ茅ヶ崎に何年も住んでいたのだから、偶然の妙と言うものだったのだろう。

 

アメリカ辺りでも何十年後に、各地で「貴方もそうですか、私もあの竜巻のあった町の出身ですよ!」

なんて言う出会いが、幾ら広い国と言ってもたまにはあるのだろうか。

考えてみると、こうした出会いは単なる力学的というか物理的というのか、そんな偶然でしか

ないのだが、何か温かい懐かしさや親近感を覚えるところが面白いものだ。

だから故郷というものに言うに言われぬ温かさがあるのでしょうね。

 

 

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12月18日 ピンポンでも4000歩も稼げる!

2021-12-18 09:29:21 | 日記

 

     「 みなとみらい(横浜)」

         高橋 嘉子さん 撮影

 

今年もいよいよ10日ばかりになり、ピンポンもあと1回になってしまった。

まさにコロナに明けコロナに暮れたと言うのが実感だ。

そんな中でも週に1回2時間だけども、この1年間をやり続けられたのは

何としても良かったと言うしかないだろう。

 

私は1月末に高熱を出して心配したがコロナではなかった。診て貰えるまで

が大変だったから、あんなのを繰り返したくないものだ。

医療体制の完備を心から期待する。

様々な病を抱えている私が(高脂血症、高血糖、高血圧、糖尿性腎炎、狭心症等々

と恥ずかしい位だが)体調は決して良くないものの、倒れもせずにこの1年間を

やり通せそう(もう1回あるので)なのが、何より嬉しかった事である。

 

「自分だけは大丈夫」と思う心理を充分に利用して生きているような気がする。

ふっと何かの拍子に明日はどうなるか、この体調では大丈夫かと不安になることが

あるけれど、コロナになどは罹らない、倒れることもない、交通事故にも合わず、

そこそこ元気できっと明日も生きているだろうと言う、根拠も何もない思い込みで

やっと生きている様だ。

 

腰痛もあって毎朝やっと階段を下りてきて午前中はよぼよぼ前屈みで歩いている有様だ。

特にそれの強い日はとてもピンポンなどは無理だろうが、ところが私は大丈夫なのである。

今までの所では、そんな日とピンポンの日が毎回うまく外れているのである。

そのお陰で休むこともなく、腰痛を抱えながらも続けてやって来ることが出来た。

 

何と運が良いというか、間が良いと言うのか、私はピンポンをするように守られている

ような気がする位だ。こんなのも「自分は大丈夫」というおまじないの効果であろうか。

 

ピンポンに行った日の腕時計の歩数計は4000歩を指している。

いつもの生活では毎日1000歩前後なのだから、それでも知らず知らずに足を動かして

いるのだろう。ちゃんとやっている人やフットワークを使っている人は、きっとピンポン

だけで10000歩前後は行くのだろう。

お医者様の命令の5000歩がどうしても守れない私にとっては、それでも有難いことなのである。

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