まこちゃん日記2

まこちゃんのピンポン日記です。

5月31日 念願のお墓参りが出来た!

2024-05-31 11:22:39 | 日記

 

     『 おたか地蔵 』

  私の祖母の名を「たか」と言う。父が母を偲び石の

  お地蔵様を彫った。それが同じ墓地の敷地に建って

  いる。それを「おたか地蔵」という。

 

会津旅行―2

さて初日は早速に念願の墓参りに。墓地は郡山駅から小1時間、猪苗代湖から

30分位の郡山市湖南町福良という所にある。

町外れの千手院伏龍寺という静かな山寺である。振り返ると町への眺望がきれいだ。

長い御無沙汰を詫び、共に70代で亡くなった両親にお陰様で私はこの年まで生きて

ますよと報告する。前回お参りしたのは何年前だったか思い出せない程に空いてしまった。

父の好物だったアンパンとお酒と花をお供えし、何年分もとばかりに線香の煙がもうもうと

立ち昇った。

 

本堂にもお参りさせて貰い住職不在でその御母堂に茶菓の接待を受けしばし談笑、写真など

見せて貰ったりしてから失礼した。

町というより村のままというように静かだ。人も通っていない。村の裏側にはバイパスが通った

そうだ。町が余計淋しくなってしまうのだろう。

子供の頃、ここに来ては川遊びに言った裏の大きな川は思っていたより随分細くて小さかった。

でもあの頃の面影は残っていた。人や建物や道路は変わるけれど、自然だけは残っているようだ。

その後、親戚でひと休みしてから若松方面に走り夕方には東山温泉に着いた。

 

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5月30日 会津旅行―1 会津はずっと良い天気だった!

2024-05-30 11:48:01 | 日記

        『 会津鶴ヶ城 』

 

墓参りをこの数年の間とても気にはしていたのだが実現の機会がなく、ましてや身体上のことでは

行ける自信もなく、果たせぬままに長い時が経ってしまった。

雅ちゃん由美ちゃん夫婦のお陰で決心がついたわけだ。その強い誘いと、車の運転、電車、旅館の

手配まで何もかもやって貰った。階段や坂道では手まで引いてもらった。

 

この会津行には幾つかのどうしても,したいことや行きたい所という希望があった。

もちろん両親の墓参り(もうだいぶ空いてしまった)を第一として、疎開して最初に住んだ家、

その近所にあったきれいな小川、幕府の天文台(いい遊び場だった)。ここの家は母と兄との3人で

天皇の終戦宣言のラジオを聞いたところである。

鶴ヶ城の天守閣から若松市内を俯瞰的に見てみたい、5年生までいた町の中心部にあった家を見たい。

市内の親戚を数軒訪ねたい、そして小学時代の友達も訪ねてみたい。東山温泉の湯に久し振りに入りたい

もの等々のことであった。こんな郷愁に駆られるのも、自分が今や完全に老境を迎えかなり老化も進んで

いるという事かもしれない。

 

天気にも恵まれ、疲れと足腰の痛みや不便を除けば、お陰で気持よく三日間でそのほぼ全てを果たせたのである。

心はホッコリとして、体はぐったりというのが今日あたりの心境である。

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5月28日 雨の日の5月最終の練習日

2024-05-28 18:28:40 | 日記

    『東山温泉の雨降りの滝』

      高橋 嘉子さん 撮影

 

今日は夜中からの雨と風で、ちょっと肌寒いようなそれでいて蒸暑い日だった。

先日来の疲れ切った体に鞭打って参加する。

11人だった。今日の私はとても皆さんのペースについてはいけない。

 

一昨夜に、これが最後だろうかと思い極めた両親の墓参りから帰ったのだ。

気持の上では、気にしていたことを一つ果たせたとホッとしたが、足腰への疲労や

痛み、全身の疲労感やだるさは、今朝などとてもピンポンという状態ではなかった。

しかし皆に渡したい土産〈小っちゃな絵蝋燭〉もあったし、顔も見たいしという

わけで頑張った。

 

東山温泉では旅館から写真の雨降り滝まで朝の散歩で何千歩も歩いてしまったし、

若松の鶴ヶ城では思い切って、階段を手摺を頼りに必死に天守閣迄昇ってしまった。

 

旅行なんて何年振りだろう、一寸思い出せない位である。

自分でもよくぞ無事に帰れたものだという感慨に浸っている。これも墓参りのお陰だろうか。

早くせめて何時ものあの元気のない自分でもいいから、ピンポンを楽しめる体に戻りたいものだ。

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5月23日 私にとっては大変な出来事、明日から旅行なのだ!

2024-05-23 11:38:59 | 日記

       『 ルピナスの花が咲いていた 』

          森川 由美子さん 撮影

元々私は心配症というやつなのか、外出とか旅行などは好きではなかった。

好きでないというより苦手というのかも知れない。

非日常的な時間や空間を過ごし、美しい景色や珍しい物を見る、新しい発見や体験など

素晴らしいことだとは思う。だからTVの旅番組なども好きである。

未知の景色、人々そして裏路地とか小径とかは特に興味津々だし、ロマンチックな想像と

夢が広がるものだ。

旅行だけが生き甲斐だという友人がいたが、分かるような気がするが同調は出来ない。

いざ自分が出掛けるとなると腰が引けてしまう。

 

素敵だなぁとは思うけれど、しかし自分が出掛けるとなるといつも躊躇、逡巡してしまう

のである。昔から慢性的に腹具合が弱いのと、乗り物酔いしやすい等があって、外出、旅行

に対しては、特に何日もという長いものには腰が引けてしまうのである。

 

それでも海外出張もこなしたし、国内は北から南まで各地に行った。プライベートの旅行も

新婚旅行をはじめそこそこは行った。私的旅行でもヨーロッパ各国や中国まで行ったのだから、

完全に旅行は駄目というのではなさそうだ。

しかし最近ではもう億劫で、余程のことでもなければブレーキがかかってしまう。

もう何処にも出掛けなくて良いと、その方が気が楽だと思っていた。

 

そんなある日、娘夫婦の雅ちゃん由美ちゃんから、車が新車になったのを機に、会津への墓参りに

連れていってあげると誘われた。それから私の迷い逡巡が始まった。

老化の所為か、持病の所為か、多くの薬の副作用の所為か、このところ特に体調すぐれず、だるい、

体がふらつく、気分がよくない、無気力、眠気、のぼせ感に悩まされている状態なのだ。

 

しかしもう最後だろうと思う両親の墓参りはしたいものだ、小学5年まで過ごした会津若松をもう一度

見てその空気を吸ってみたいという気持ちとのせめぎ合いが続いていた。

 

そして今にして思えば70代という若くして亡くなった両親に、私はここまで生きましたよという報告を

したいという気持ちが勝って、とうとう行く決心をするに至った。

 

24日の朝出発して、郡山からお墓のある千手院伏龍寺へ行って墓参。そこから東山温泉まで走って宿泊、

翌日は若松市内の数少ない親戚に(と言っても、もはや従兄妹もおらず、その子の時代で馴染みがないが)

顔を出して、鶴ヶ城とか武家屋敷、子供の頃遊んだ殿様の御薬園、白虎隊の墓、野口英世館等を回って、

疎開して最初に住んだ家の辺り、次に長く住んでいた家の周りの散策。そしてそのすぐ傍のホテルに泊まる。

きっと夢であの頃に戻れるに違いない。

 

翌日はゆっくり市内を回ってから帰路につく。といった行程である。

小学時代の「よう!元気!」と言って訪ねられるような親しかった友人方も、もういなくなってしまった。

どうか何事もなく無事に帰って、又ピンポンが出来ます様にと祈るばかりである。

 

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5月22日 昨日はピンポンの日だった。

2024-05-22 10:54:21 | 日記

 

   『なんじゃもんじゃの木か、見事に咲いていた』   

   ミーちゃん探しの途中で見かけたがきれいだった。

   こんな木の陰に身を潜めているのではとの期待も虚し。     

 

昨日は10人が参加。天気はまあまあで、私の様に休み休みでも、一寸動くと汗ばむ位だった。

最もピンポンのユニフオームの下はヒートの長袖、下にはズボン下をはいていたからかも。

長袖は私一人だった。

 

シングルスのあとダブルスでやり、組み合わせを夕べ作った表でやってみた。

3台を常時フルに使って10人のダブルスの組み合わせはなかなか大変だった。

9,10番の人はダブルが組めず一人でダブルス組と対戦という事になってしまう。

台をフルに使って、総当たりで、皆が同じ回数でとなるとなかなか難しいものだ。

14名の場合まであるし、最少では6~8人の時も想定されるのだから、いろいろなケースに

備えてより面白く出来る組み合わせ表を作りたいものだ。

 

今後は前日までのlineの連絡網を見ると、参加者人数が大体分かるのでそれに対応の表を

作ってみたい。何時もの台を2台にしてのダブルス戦だと、審判をしたり人に代わって

もらう事が出来たのだが、勿体ないから3台をフルに使ってと考えると、厳しくなってくる。

昨日は3回連続になって苦しくても休むわけもならず、体調がいつも以上に悪かった所為も

あるのだが、疲れ切ってしまった食欲もない位に。

 

そんなわけで、帰ってもダウンですぐ昼寝をしてしまい、ピンポンした日は必ずこのブログ日記を

付けるという、ルーズな自分への戒めのための己への決め事も破ってしまった。

夜も書く元気も出なかった。「明日でいいや」という得意な妥協心で寝てしまった。

そして今こうしてほろ苦い気持ちで書いているのです。

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