以来足掛け10年、50回以上 に渡って開催されてきた「甲野善紀音楽家講座」には毎回多くの有名・無名音楽家 やアーティストが訪れ、武術的身体運用や考え方を、それぞれの楽器演奏に取り入れている。
ピアノ、フルート、ギター、声楽......あらゆる音楽・楽器演奏は生身の人間の「身体」によって行われる。音楽家講座を訪れる音楽家たちは、武術にどのような可能性を見たのか? それは楽器演奏、音楽、アートにどのような影響を与えうるのか?
武術研究者の甲野善紀氏、音楽家講座を主催し、武術的身体運用を積極的に演奏に取り入れてきた白川真理氏、そして2人の実践をテーマに、ヒトの感覚・運動制御の情報処理メカニズム研究を行う脳研究者・阪口豊氏の3者が「音」と「身体」にまつわる、人間の可能性に迫る。
■会場:鶴見区民文化センター 「サルビアホール」 3F・音楽ホール(横浜市鶴見区鶴見中央 1-31-2 シークレイン内)■アクセス:JR 京浜東北線 ・ 鶴見線 「鶴見」駅東口徒歩2分 京急本線「京急鶴見」駅西口徒歩 2 分
また、 メールにてもお申込みいただけます。ad@yakan-hiko.com 宛てに「3月13日奏でる身体2申し込み」と表題にご記入の上、「お名前、 参加人数、 メールマガジン購読の有無をメールにてお送りください。 折り返し、ご案内メールをお送りします。(主催 夜間飛行)
「何見てるんだよ、お前。ぶっ殺すぞ!」311直後、早朝の被災地。遺体の搬送をしていた時、コンビニから盗みをする集団と目があった。彼・彼女たちは生きるのに必死だったのだろう。当時は地元の警察も被災し、機能不全に陥っていた。(私も含めて)人間は弱い。状況次第で何でも出来てしまう生き物
じう(3)文章を書くということは、私にとって仕事の一部である。そして、文章を書く度に思うのは、そのことによって自分が「成長する」ということ。あるテーマについて自分の考えをまとめ、それを人に伝わるように表現するプロセスで、自分の中での気づきや学び、そして有機的な組織化がある。
じう(4)文章を書くということは、自分に負荷をかけることでもある。そして、負荷がかかるからこそ、苦みの中の甘さのようなものがある。課す条件が厳しいほど、くぐり抜けた時の喜びも大きい。つまり、文章を書くということは、一つの思考体操であり、舞踏であり、自己鍛錬である。
じう(5)文章を自己鍛錬のプロセスだと考えた場合、いわゆる「コピペ」をしてしまうと、その前提条件が失われることになってしまう。「コピペ」はラクで、その場をくぐり抜けることはできるかもしれないが、自分が成長するという、最も深い喜びを手放すことになる。損をするのは自分だ。
じう(7)英文で自分の考えを表現するというのも、固有の自己鍛錬の場で、それは苦しいかもしれないが、それによって成長する喜ぶには変えられない。安易にコピペをしてしまうと、他人を騙すことはできても、自分は騙せない。何よりも、自分自身が成長する喜びを手放してしまうことが、人生の損失だ。
じう(9)以上の随想は、当然、最近伝えられているある事象に触発された書いたものである。世論は、それが詐欺のようなものだとか、学位取消だとかうるさいが、私には、せっかく自分が成長する試練だったのに、楽をしてその苦みの中の喜びを得る機会を失った残念さが真っ先に連想されたのだった。