2011年3月11日(午後2時46分)
日本で観測史上最大規模の地震が、東日本の太平洋岸を襲った
マグニチュード9.0の巨大地震が引きこした津波で
1万8000人以上が死亡または行方不明となり、壊滅的な被害を受けました
福島県大熊町と双葉町にまたがる東京電力福島第一原発にも
巨大な波が襲来。電源の喪失を招き、大災害を引き起こしました
東日本大震災と東京電力福島第一原発事故から10年
住宅の再建やまちづくりなど、目に見える形での復興は一定の進展があったものの
福島県を中心に全国で今も4万人以上が避難生活をしている
新型コロナで埋没しかねない10年目の節目
震災の被害を乗り越える区切りとは思えない人も多く
長期的な視点で暮らしを支えられるかが改めて問われています
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私は当時、帰宅困難者になりブログにupしていました
以下再掲載
平成23年3月11日(金)
朝から出先での仕事があり、午前中はバタバタ仕事をこなしていた。
窓のブラインドがカチャカチャ揺れたのに気がついた。
午後2時には帰社し、事務処理と本来の仕事をこなしていたところ、
ユ~ラユ~ラと横揺れから、誰かの「揺れている」の言葉と共に
生きた心地のしない異常な大揺れを体感しデスクの下にもぐり込んだ。
お隣さん(男性)は青ざめこんな揺れは初めてと、心臓パクパク状態みたいだった。
しばらくすると社内放送があり
「無事の確認ができたら、最寄りの避難場所に避難してください」のアナウンスが流れた。
外に出たが路上でも揺れる余震に気がつき、足を踏ん張った。
今度は自治体(文京区)のパトロール車のアナンスが聞こえ
「外には出ないで安全な場所を確保し避難してください」
どっちだ!どっちだ!と言いながら揺れのおさまるのを待った。
当然、通信機能(固定電話・携帯・FAX)も全くお手上げ、
当日のアポイントの話は完全不通となり気をもんだし。
また当日の他事業所連絡は「PCメール」「郵送」手段を使うことにした。
その際近くの郵便局まで歩いて行くと、
「帰宅難民」が早稲田通り・目白通りと行列でゾロゾロ歩いていた。
とうぜん交通機関はマヒしており、歩けるところまで歩く覚悟でいるのだと思う。
私は帰ることを諦め電車再開を待つことを選んでいた。
ネット情報から続々「東北沖地震」のニュースが分かった。
また公共施設の開放もネットでいち早く知りえた。
以後は下記につづく。
当日、有楽町線・半蔵門線・田〇〇市線が再開したニュースで深夜0時30分頃電車に乗る。
心配した最終電車の時間には関係なく動いた、、
上フォト↑ は地震の影響か階段から水漏れがしていた。
神田川に関係しているかもしれない。
深夜電車は各駅、時間調整しながらゆっくりゆっくり進む。
渋谷駅からは満員となり朝の通勤風景と同じだった。
深夜1時半ごろ無事に最寄り駅に着いた時はほっとした。
タクシーもなく、家まで歩くことを覚悟していたけれど、東急バス3台が待機していた。
深夜料金代無料です。本当にありがとうございました。
※会社を定時退社した人からの情報では、3時間、4時間かけて帰ったと聞きました。
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帰宅して初めてTVニュースをみました。
未曾有の大惨事「スーパー広域被害」が刻々と伝わり、
身震いをしながら見ています。
M9 国内観測史上最大の「東北地方太平洋沖地震」
今現在、死者・不明者2900人超
犠牲者の皆様のご冥福をお祈り致します。
また不明者の皆様が、一刻も早くご家族のもとに救助されることを。。。
避難されている皆様には十分な救援物質がお手元に届きますように。。
お見舞いとお祈りをいたしております。
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つづき②
まだ会社です。
PCで情報を得ながら待機しています。
電話・携帯・不通で家族と連絡はとれません。
社内では帰れない人の名簿作りが始まりました。
夕食はとりあえず営業時間を延長した従業員食堂ですませました。
各フロア合わせて100人近くはまだ残っていると思います。
仮眠部屋も用意されました。
歩いて帰れる人は早期退社しましたが、幹線道路は帰宅難民で大変な人並みです。
PM6に退社した人が、乗り換え先が全く不通とのことで
約3時間かけて、また会社に歩いて引き返してきました。
今、まもなく深夜0時です。長い1日です。
電車が動き出したので帰ろうか迷っています。
通常の最終電車過ぎだけど、電車は走ってくれるのかしら・・
今、また余震を感じた!
幸いプロパンが使えたので、なんとかなりましたが
10年前の出来事ですが、津波は映画のシーンのようで恐怖ですね。
その後、節電で仕事中以外は暗い部屋で過ごした記憶があります。
赤々と照らされた東京の夜景は、もう少し考えてほしいです。
いぜんヨーロッパから帰国したとき、日本のキラキラがとても眩しかった。
もう間に合わないが、温暖化につながる必要以上の電力は、いらないです。
原発反対!