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ジジイの身辺雑記。今日も生きてまっせ!

番外編05 1年経過後の検査入院-2

2007-04-10 16:41:57 | 虚々実々-心筋梗塞顛末記

2007/04/06-検査入院第二日目(その1)
爽やかでもないけれど、5時には目が醒めました。
6時まではじっと我慢、自宅と違うし個室でも無し、早朝からゴソゴソしてたら同室の方々にご迷惑。

暖房が良う効いててねぇ、毛布とタオルケットがセットされてたんですが、毛布だけでも暑いくらいでしたわ。
患者は通常寝間着一枚、場合によっては情け容赦なくスッポンポンに近い格好にされるからなぁ。
このくらい暖かくしてないとアカンんのでしょうが、無闇に鼻や喉が乾いてねぇ。
日常、ろくな暖房設備も無い古家に住んでると、暖かい乾燥した空気に慣れてないからかいな?

CCU循5A、塩分6g/日、米飯150gの朝食。
今朝から、チクピロン(Ticpilone100mmg)とバナン(Banan100mmg)が通常飲んでる朝夕の薬にプラスされました。
朝食のレギュラーメンバーは、おしたし、米飯150g、味噌汁、イカルガ低脂肪牛乳200mml。
それ+日替わりで小袋に入った海苔佃煮、鯛味噌、イリコ味噌などのうちの一つが付くんですわ。

今日はイリコ味噌、しかしこの味噌って街で売ってるんやろか?あんまり見かけたことがないねぇ。
それとこの味噌汁が、貨物船の船員モドキをしていた頃を思い出させる懐かしい味。
不味い味噌汁が毎度カシキ(炊=司厨士・コック)をつるし上げる格好のネタになってたんです。

味噌汁の前回の残りに継ぎ足しては暖め直して出しよるんですが、味噌はケチってるし、ダシが利いていない。
航海初日から生き残ってたらしい具が、正体不明の半ば溶ろけた姿で出てきたりすると、そら狂暴にもなりまっせ。
ここのは賄料を誤魔化す為、てな吝嗇(ケチ)なものではなく、健康の為の減塩やけれど不思議にそっくりな味。

朝食を済ませたら何もする事が無いんですなぁ、ただ漫然とお声が掛かるのを待っているだけ。
玄人には敵わぬまでも何でも自分でやりたい、あなた任せが苦手な私には、この待ちの体勢というのが辛いんですわ。
おお、そうやカミさんが来るのを待たずとも、地下の売店で「T字帯」ちゅうもんを買って来とこう。

2階のCCU病棟から階段を地下一階へ下りた直ぐ横に、ヤマザキ・ディリーストァーがあるんですわ。
さすがに院内売店で、売り場の一角に「浴衣」てな普通のコンビニでは置いてないものも並んでます。
ぶら下ってる袋を見ると、どうもT字帯というのは戦中派が越中フンドシと呼ぶものの事らしいねぇ。

「普通」と「大」の2種類があって値段は同じ260円。
他の物なら同じ値段なら大きい方が得やんか、と躊躇無く「大」にするんですがね。
しかし、相手がフンドシとなれば、何でもデカけりゃ良いというわけでもない。

レジのおばちゃんに「私ならどのサイズ?」ときいたら「普通で大丈夫」とのご宣託。
病室に帰って取り出して眺めたら、同じフンドシでもキリリとした六尺の締込みとは大違いですなぁ。
そういえば、桧垣、樽回船、北前船等の大船の船頭が、陸との行き来に使う天馬船を漕ぐ水主(カコ=水夫)は、緋縮緬の褌をしていたと聞いた事があるけれど、果たして締込みタイプやったのかこの越中タイプやったのか?

馴染みの妓から襦袢の片袖を貰ったのを、フンドシにするのが浪華の遊び人の勲章やった、という話も聞いたけれど、襦袢の袖では越中タイプしか出来へんやろなぁ。
博多山笠、小倉の祇園太鼓は締込みやけど、歌舞伎の白波五人男なんてぇのは越中やったような・・・。
ともかく試着してみたんですが、実に間抜けなもんで、これではとても臍下丹田に力は入らんよ。

いやいや、通天閣近くでホンの短期間習った抜刀術の先生も確かこんなんしてはったから、そんな事は無いんやろか。
戦国時代は甲冑下に、夏場など是の前垂れの長いのだけを着けてたそうやしね。
その前垂れの端にも紐がついてて、左図のように、その紐を首に結んで腹を覆ってたんやそうですなぁ。

越中フンドシの垂れを腹掛けのようにしたその姿は、勇ましいというには程遠く、どっちか言うとお茶目。
機能的かも知れんけれど、とても英雄豪傑に似つかわしい下着とは思えませんわ。
初めてそれを知った時には、信じられませんでしたねぇ、実は今でも少々疑うてますねん。

さて不肖私、生まれてこの方、フンドシと言えば晒木綿の六尺しか締めた事が無い。
オヤジの出所(デドコロ)、馬関から玄海灘を望む豊前小倉長浜は漁師町で、男の仕事着は晒木綿の六尺褌。
その尻の結び目を掴んで、伝馬船から海に放り込まれて、半ば溺れながら泳ぎを覚えたもんです。

最もその頃は六尺では長すぎるので、四尺ぐらいに切った晒木綿やったんやろうねぇ。
暗闇の中でも、六尺褌ならあっという間にキッチリ締めることが出来る自信がおます。
そんな事は何の役にも立たんのですが、子供の頃覚えた事というのは脳味噌に焼きついてるんでしょうなぁ。

さて、この間抜けな代物、持って帰っても普段にはよう使わん、次回の入院まではお蔵入りですねぇ。
しかし適当な所に入れておいて、うっかりハンカチと間違えて持って出たりしたらエエ恥さらしでっせ。
袋にはソフトな綿100%で優れた吸湿素材と書いてあるから、機能的には問題無いやろうけどね。
汗を拭こうと広げてみれば、ビロ~ンと紐が付いてたりしたら不細工やがな。

昼前に新たな入院患者が入室しはりましてね、「お世話になります、皆さんよろしく」とにこやかな愛想の良いご夫婦。
この方も何度もカテーテル検査治療を繰り返しているベテランやそうですわ。
どうやら、皆さん最初の治療から3ヶ月ないし半年後には再検査と治療を経験してはるようですねぇ。
してみると、1年間検査の必要が無かったという私は、順調な方なんかいな?

それはエエンですが、温度設定調節ダイヤルが窓際の中央柱についてましてね。
付き添いの奥さんがササッと部屋を見回して、空調の温度調整を見つけるが早いか思いっきり下げはりましてん。
私とお向かいの先輩は北西向きの窓際なんで、部屋の中でも少々寒い目の場所。

しばらくして先輩が「寒いなぁ」と上げると、件の奥さんが即再調整にササッと・・・。
先輩に付き添うてる奥さんが「患者さんは薄着やから、それでは皆さん寒いのとちゃいます?」というたんです。
ほんなら「すみませんねぇ、うちの主人、頭の手術してから、温度が高いと自分を抑えられんようになるんですよ。」

ご主人、治療を受けるのは6回目やそうで、それも心臓だけや無しに頭も足もやて・・・。
「自分を抑えられんようになる」て?おやおや、それは穏やかや無いねぇ。
お見受けした限り、よしんば凶暴になって暴れた所で、失礼やけど充分制圧できそうに見えるがなぁ。

今は亡き洞海湾の錬士八段に、竹の物差一本でボロボロにされて、見た目だけで判断できんのは承知してるけどね。
失礼ながらステッキ突いてヨレヨレと歩いてはるんやから、如何に豹変しようとも限度がおまっせ。
滅多やたらに御祝儀をばら撒いたり、我慢できずに江州音頭を唸るぐらいなら、危険は無いから辛抱するよ。

よもや、プカリと浮き上がったり、はたまた、何ぞオドロオドロシイ姿に変身したりてな事は無かろうなぁ?
一体どうなるのか興味深いから聞いてみたいけれど、知るのが怖いような気もするから止めましたわ。

術前6時間は絶食、お隣さんは3番目で10時半頃といわれていたので朝飯抜き。
ところが昼になってもお呼びは掛からず、朝に続いて昼も抜き、私は勿論昼は絶食。
お隣さんにやっとお迎えが来たのは13時近く「これやったら朝飯を食べてもよかったんやないか!」とボヤクボヤク。

この分なら私の順番が来るのは15時頃になるのやろなぁ、と覚悟をしていたら14時過ぎにお迎えが来た!
車椅子で行くのかと思えば、施術部位が脚になるかも知れんというのでストレッチャーで移動やて。
急ぎ浴衣に着替えて、T字帯をつけて、看護師のお姉さんが困ったように持ってた排尿補助具も自分で着けて準備完了。

商品名「Conveen」というらしいこの器具、何とDenmark製、デンマークといえばアンデルセンの人魚姫やレゴ。
U.S.A. Hormel SPAM の強敵 Denmark Pork TULIP、商売がらみでMarsk Line(現A.P. Moller-Marsk A/S)。
思い浮かぶのはこの辺りなんですが、こんな物まで日本に売り込んでるとは、侮りがたし!。

思っていたよりもあらゆる分野での国際化が進んでますねぇ、というほど大層なことでもないか。
国際化はエエとして、妙な物を取り付けられてうなだれているナニを見ると、心底情け無うなりますねぇ。
沈鬱という言葉は、こういう状態から来たんやろか・・・。

私もやけどストレッチャーが傍を通るとつい見てしまいますやんか、乗ってると結構目と目が合うんですわ。
仏頂面では愛想が無い、ニタニタ笑らわれても気味が悪いやろうしなぁ。
はて、ストレッチャーの上ではどんな顔をしてるとエエんでしょうねぇ?

その答えが見つからん内に心臓カテーテル室に到着、入り口で同室3例目のお兄さんが出てくるのに出会いましてね。
異常無し、検査だけで済んだそうで「それは目出度い。よかったね!」「貴方も頑張ってください」
何をどう頑張るのかは不明やけれど、この際細かいことは言わずに、とりあえず「ありがとう、頑張るわ。」

2007/04/10
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