素敵な私になるために

『生きているって素晴らしい!』そう感じられる喜びを。
毎日のワクワクを自分にも、あなたにも。

桜に花芽が

2016年01月14日 | 日記

2016年が明けてから2週間が経ちました。 お正月なんてず~と昔だったように思えます。

今年は暖冬と言われておりますが、東京にも初雪が降り、本格的な冬もやって来たようです。

 

新宿駅西口を夜遅く通ると、ある時間からホームレスの人々が寝床を作り始めます。

いる時間といない時間があるので、いったい何時なのかと思っていたら、昨夜判明。

彼らが何人か集まってきていて、陣取りをしている様子。

でも、まだ決して寝床を作りません。

全員座ることもなく、立っています。

そしてある人が腕時計を見ていました。

 

はは~ん、きっと寝床を作って良い時間が決められているのでしょうか、その時の時刻は10時半でした。

おそらく、それ以降三々五々と集まってくるのでしょう。

それにしても昨日はこの冬一番くらいの寒さ!

 

新宿駅は規定があるのか、彼らは段ボールで家を作りません。(作れないのか)

ただ、床にシートを敷いて横になるだけ。

寝袋に入っていればまだ良い方。

何もかけずに横になっている人も。(見ている方が寒くなってしまう)

 

その横を通り帰宅する私はいつも思います。

事情はあるでしょうが、なぜこの寒空、もっと環境の良いところで眠れないものなのか。

行政は何もできないのでしょうか。 

どこかにプレハブでも建てて、何か仕事を作り、人間らしく生活させてあげられないものなのでしょうか。

以前NYでハーレムを一掃した時のように。

 

ぜひ気持ちが暖かくなる話題が欲しいものですね。

外がモ~レツに寒いだけに。

 

みなさま、今日も一日、素敵な一日をお過ごしください。

 

 

 


黒豆に挑戦の結果

2016年01月02日 | 日記

大晦日にお節を作っている隣で、末娘が黒豆と田作りとお赤飯を作ってくれました。

黒豆を煮るのは生まれて初めての彼女。

私も得意ではありません。

外野(母や祖母)が、釘を入れなさい、水から出さないで・・・等々うるさくアドバイスする中で、のんきに構えて、作っておりました。

出来栄えは、ご覧のとおり。

皺なく、艶あり、なんとちょうど良い甘さで、完璧。

あ~、母は完全に負けました!

 

お嬢さん、来年も頼むよ~、美味しかったからね。


2016年もよろしくお願い致します

2016年01月02日 | 日記

凛と凍てつく空気の中、2016年2日目の朝日は7時前に昇り始めました。

太陽が昇ると、真っ白な富士山がピンクに染まります。

残念ながら本日は雲があって綺麗な日の出を拝むことはできませんでした。

富士山はその存在をアピールするかのように、堂々と優雅に鎮座しています。

 

2016年も明けました。

今年は私の干支、申です。

よくもまあ、60年も生かされてきたものだと、ひとえに感謝のみです。

 

朝目覚めると、あ~今日も生きている!

息をしている!

手足が動いている!

暖かい寝床がある!(出たくない)

贅沢でなくても食べるものがある!(十分肥えている)

寒さ暑さを凌げる家がある!(ありがたや~)

家族がみんな健康で寄り添っている!(だから自由に働ける)

周りに友人がいて、何らかの仕事がある!(ありがたい)

まだまだ感謝すべきことは沢山あるけれど、人様にも沢山ご迷惑もお掛けしておりますが、

こうして2016年も始まりました。

 

どんな年になるのか、どんな年にしたいのか。

まずは、生かされている間は健康でいたい! ただ、それだけです。

 

やりたい事をやりたい時にやりたい人と出来る、そんな豊かな人生も、健康という基礎があってこそ出来るものだと。

残りの人生はあとどのくらい生かされるのか分かりませんが、少しでも人の為に役立つ人生でありたいと。

そのためには、まず元気でいることだと。

 

元気でいるためには何が必要かと、そんなことを意識していける一年にしていけたらと思います。

みなさま、どうぞ今年もよろしくお付き合い下さいませ。

 

 

 


新しい手帳

2015年10月17日 | 日記

休日の午後、駅ビルの文具店に寄ると、もう来年の手帳がずら~と並んでおりました。

そんな時期なんだぁと思いながら、つい私も手帳選び。 ワクワクする時間です。

『新しい未来がやって来る』 

そんな思いで、あれやこれやと見て回るものの、帯たすきで結局決まらず、その日は帰ることにしました。

手帳は毎年悩みます。 年ごとに仕事の内容も違って来ているので、次の年の要件に合うものを選ぶのですが、途中で使いにくいと買い直すこともままあります。

まだ10月だというのに、やはり次の年の計画を入れたくてウズウズ。

時間を見つけて帰宅帰りに今度は本屋さんへ。

モレスキンも前に購入してみたのですが、やはり私には使いこなせず、今回も選んだのは手帳の高橋でした。

まっさらな空白のページに何が埋まっていくのかしら・・・

素敵な計画で来年も素敵な人生が送れますように。


足が痛くない!

2015年09月30日 | 日記

今夜のリラクゼーションバレエ教室、最初のストレッチで足首を回す動作がありました。

私の左足は外反母趾の傾向があり、親指はまっすぐ立つとかなり外側へ向かっています。

「足の指の間に手の指を入れて、指の間を開きましょう」と言われてやってみると、右足はOK、でも左足は痛い。

親指の付け根が痛く、足首を回せない。 「さっきまでヒールを履いていたしね」なんて自己弁護。

その後、バレエのポーズでつま先立ちするような動作を何度かしました。

先生曰く、「かなり足の指を開く動作をしました」と。

 

先ほど何気なく、ベッドに横になり、足の指に手の指を入れて今日の復習をしてみるや・・驚き!

痛くない! 全然痛くない!

え~どうしちゃったの?

教室から家までだってヒールを履いて帰ってきたのに・・・

 

嬉しい誤算! こんな結果が出るなんて。

美しく痩せようと思っていたのに、体が矯正されていくなんて。

はい、この分なら続けられそうです。笑

 

 

 


バレエ教室に通い始めました!

2015年09月22日 | 日記

バレエ教室に通い始めました! と言っても、本格的なクラシックバレエではなく、バレエのバーレッスンを使ってのストレッチ教室みたいなものです。 だから私でも安心して通えます。

藍先生だから アイリラクゼーションバレエ。 50歳の手習い!(ちょっと歳をごまかした)

楽しいです!フフフ

バレエが無駄のない一番きれいな筋肉を付ける方法と聞いていました。そしてバレエをやっている人は子供を産んでも、中年になっても太らない! これがやり始めた一番の動機です。

レッスンの最後の方で、手を白鳥の羽のようにヒラヒラさせるストレッチがありました。

そう、この前「白鳥の湖」の舞台が終わったばかり、ダンサーの皆さんの白鳥姿が浮かびます。

あの動きね!と思い浮かべて手を動かしました。

 

ムムム・・・

えっ、動かない! あの細やかな白鳥の羽の動き、頭では描けるのに・・・

手首、ひじ、肩・・・硬い!

初めて分かりました、あんな細やかに腕を振るわせる動きがいかに訓練されて大変な事なのかと。

先生からは背中から動かすのですよ、肩甲骨からねと言われ、「おお、ここから動かすと凄いストレッチになるわ~」と発見。

普通に鳥の羽のように手を動かすだけで、こんなに大変なのね!

毎回何か発見のあるリラクゼーションバレエです。


終戦70年に思う

2015年08月16日 | 日記

ぶれていますが、鴨川にかかった虹です。

2015年8月15日

 

終戦後70年経った日に居合わせている私たち。

8月15日の数日前に特攻隊で九州を飛び立った叔父。 祖母の無念は如何ばかりだっただろう。 

98歳まで生きて自分よりも先に何人もの子供たちを送った祖母の胸の内を一言も聞くことの無いままに祖母は他界した。私は幼かったり、戦争の怖さにさほど心を寄せていなかったりだったから。 惜しい事をしたと今は思う。 

戦後の苦しい時期を知らずに生まれ、何不自由なく育った私には、終戦記念日の度に出る戦争体験記も「あ~大変だったんだ」で済まされてきた気がする。 きっと我が子たちも今同じなのではないだろうか。

母となった今、この子たちを二度と戦争に巻き込んではならないと強く思う。

 

懸念するのは、戦争とは「はい、今日から戦争始めます、よ~いどん」で始まる(もちろん、そうなのだけど)のではなく、じわじわとその方向へ向かって行き、国民を洗脳し、マスコミを牛耳り、正しい事の判断が出来なくなるような世の中に仕向けていく、その過程である。

どんなことがあっても「人を殺して英雄」になること(その人の後ろにも家族がいるだろうに)や、自分が無意味に命を落とすことだけは避けなくてはならないと思う。

こんな事、誰でも理解していて、分かっているのに、なぜ地球上から戦争の無くなった時が無いのだろうか。

なぜ人間は欲望に勝つことが出来ないのだろうか。

 

もう一度、人間の愚かさを心から理解し、平和な世界を築く方向へ向かって行って欲しいものだと痛感するこの頃である。

平和な世の中とはどんなものか、再認識することも必要なのかもしれない。

 

 


広島原爆投下70年のこの日

2015年08月06日 | 日記

毎日の猛暑にヘロヘロになりながら、「生き延びている」という表現がふさわしいこの頃です。

本当に、「地球の怒り、自然の怒りから人類はどうやって生き延びるか」、そんなミッションを課せられているように思われます。

すべては私たちが過去に(今も)してきた事の報い。

《ノアの方舟》を作るよりも、そろそろ自戒の行動を取らないとね。

 

今日は正に歴史を振り返り、人類のしてきた事を見つめるその日。

広島に原爆が落とされた日から70年。

人類が大犯罪を犯した歴史的な日。

 

私たちの子供たちが幸せな日々を送れるように、未来に二度と戦争をしないように、多くの犠牲になった命を無駄にしないために、

私たちは頭を使って、心を使って、考え行動しなければならないのでは。

 

心を込めて、戦争で亡くなられた方々への鎮魂と、これからの未来の平和を祈りたいと思います。


今まさに! 何かが忍び寄る

2015年07月21日 | 日記

友人からある一冊の本が送られてきた。

この連休、夢中になって読んでしまった。 その本は松谷みよ子さんの「私のアンネ=フランク」。

郵便の封を開けた時、その本を見て、「な、なんと懐かしい!」。松谷みよ子さんと言えば、小学校で読み聞かせをしていた私たち母親にとってはなんともなじみのある、尊敬する児童文学作家。7~8年ぐらい前には講演会にも参加して拝聴したものだ。

その出会いは絵本「いないないばあ」に始まり「ちいさいモモちゃん」「龍の子太郎」そして近年では「わたしのいもうと」に衝撃を受けた。

しかし、「私のアンネ=フランク」はまだ読んでいない。 子供向けの本をなんで今更とは思ったものの、読んでみたら、彼女が私にわざわざ送って来た理由が分かった。 

ぜひ、今の大人に読んで頂きたい本である。 久しぶりに、本を読んで胸にずしんと何かが残った、体験をした。

 

文中にあったこの文章、まさに今ではないか!

『「一見、幸せな時代」の深奥部にひそむ「不気味さ」は、いま確実に成長している。

「そうなのよ、タイコがきこえるのよ」「え、なんのタイコ」と直樹はいう。 そうよ、どこかでタイコの音がする。ざっ、ざっ、ざっという足音がひびいてくる。レスピーギの交響詩【ローマの松】アッピア街道の朝もやのなかを行進してくる古代ローマ軍の軍靴のひびき、タイコの音。あの音楽のように、いまどこかでタイコがなっている。

幻影のように、かすめていく黒い影。幻影ならばいいのだけれど、通りすぎていく幻影が、朝もやが晴れていくように、ある日、突然、目の前にほんとうにその姿をあらわしたら。

なにかからのメッセージは、いつも、はじめはほんとうにかすかで、まぼろしのタイコの音のように、かすかなのだから。

(略)

なにかがおこるとき、そのなにかはさりげなく、だれもそれと気づかないうちに、人びとの前にさしだされ、たいしたことではないとおもっているうちに、それは事実となっていくって。』(本文より抜粋)

この続きも読んで頂きたい・・・。

この本は1979年に初版されたもの。 36年前に松谷さんが危惧していたことは今、まさに通じる。

今年の2月に89歳でお亡くなりになられた松谷みよ子さん。こうして今、また巡り合えるとは。

友人に感謝のひとこと、「ありがとう」

 


Blogの復活

2015年07月18日 | 日記

FBを活用するようになってから、めっきりとBlogを書く回数が減ってしまった。

FBは電車の中でもささっと書けるので便利だし、いろんな方と繋がるので嬉しいけれど、時間が無くて見られないと、せっかく投稿された記事もスルーすることがありそこは残念でもある。(何を食べたとかの記事は別にスルーしても良いのだけど)

その点、Blogは何か、やはり落ち着く気がする。

もう一度、戻ってみようかなと・・・実は昨年はこんな事を書いていましたよとのお知らせメールで読み返してみて懐かしくなったのでもある。

ちなみに2012年7月4日の題名は「Salt Lake City」 あ~そうだった、と思い出すことも出来る。 

3年前! 元気だったな!(今も元気ではあるものの、忙しすぎて・・・なんかワクワクしているのかしら?)

ってなことで、Blogをまた復活させます!

台風の影響、蒸し暑く、風が強いです。 でも今日も素敵な一日を!

 


気づき1

2015年05月05日 | 日記

 

新緑が目にまぶしい五月の連休です。

ところが珍しく私は風を引いて寝ています。 熱っぽく、喉、咳に悩まされ、だるくて、起きたり寝たり。

今回のことで得たことが1つあります。

それは・・・

『健康は一番でないかもしれないけれど、健康でないと何もできない』と言われますが、そんなことありません、『健康が一番』。

これです!そう、健康が一番! 体が元気でないと、やる気にならない!思いを行動に出せない!

どんなに素敵な夢があっても、気持ちがそこへ向かえない。

 

私たちは普段、元気でいることが、当たり前に思っていますが、そんなことはないのですね。

日々感謝です。 「ありがとう、私の体、今日も元気でいられてありがとう!」

 

連休をつぶして得たことの1つでした。

 


日本は美しい

2015年04月18日 | 日記

今朝、車を運転しながら信号待ちしていると、ある男性がゴミを拾いながら横断歩道を渡って行った。

運転しながら歩道や道路をよく見るとゴミはほとんど落ちていない! 素晴らしい!

そう言えば、昔、フランス人に『日本の街は綺麗』と言われたことがある。 そんなものかしらとその時は思っていた。確かに、その後パリに行ってみたら、『確かに!』と思えた。

多くの外人から「日本の街は綺麗だ」と言われている。 私も今朝、実感した。

 

ある友人が「世界の美しい村」という事業に関わっていて、最近視察で訪れた村の事を話してくれたばかりだった。

そこはインドの片田舎。 村中の人々が朝、村の掃除をしているのだそうだ。

「どうして掃除をしているのですか?」と聞いてみた。すると彼らは「昔からやっていることだから」と答えたそうな。

本当に村は綺麗で景色も美しく、人の心も美しかったそうな。

 

あのインドで!と私は驚きだった。 インドと言えば「家の前はゴミだらけ」と以前にインド人と結婚したフランス人から聞いていたから。

 

そう言えば、日本だってそうだわ。 家の周りの人は自分の家の玄関先を皆、掃いているじゃないか!子供の時からそうだった。よく手伝わされた。今だって、皆、一軒家はそうしている。(私がしていないだけだった)

そうだ、そうだ、特別なことではなかったのだ。

日本が綺麗な街だと言われる所以はここにあったのだ。 

 

今日は私も家の周りを掃こうかな。 笑


如月

2015年02月01日 | 日記

本日は2月1日

本年の節分は2月3日だそうです。

気が付けば2月1日、あ~1月が終わった! 私の月天中殺も終わりです。

四柱推命では十二支のうち、空亡=誰でも十二支のうち、二つの十二支が空亡していると言われます。

空亡と言うのは、漢字からわかるように、空白の期間でいわば運気が弱まったり、宿命星の働きが鈍くなっている期間だそうです。

私の天中殺の月は12月と1月。いつも1月は体調を崩したり、気分が乗らなかったり・・・。

しかし、節分を過ぎると嘘のように解放される。

だから、おとなしくその月の過ぎるのを待っておりました。

今年は幸い、体調も悪くはならず、元気でおりましたが。

 

今日から2月、如月です。正式には節分で変わるのですが。

不思議なもので、そう思うだけでなんとなく元気が湧いてきたように思えます。

『今年はやるぞ!』と綺麗な富士山を拝みながら今朝思いました。

 

喪が明けたような気分です。

はい、明日からまた仕事頑張りましょう!


「当たり前」はあたりまえでないこと

2015年01月25日 | 日記

時は風のように過ぎ去っていく。 あっという間に1月も終わりそう。

連日11時、12時帰宅が続く毎日が始まって、帰路、ふと不思議に思うことがある。

夜11時位を過ぎて新宿西口の地下を横切ると、ホームレスの人たちがそれぞれの寝床を作り始めている。それまで、例えば10時くらいには一人もいなかったのに、ある時間を過ぎると集まってくる。きっと条例か何かがあるのだろうと察するが、それまで彼らはどこにいるのだろうか??

地下街と言っても新宿西口のロータリーは吹き抜けである。この冬空に段ボールがある人はまだ良い方で、シート一枚敷いて寝ている人も・・・。

 

昨日、今日と「当たり前」という言葉がネットを通じてやたらと飛び込んできた。

「ありがとう」の反対は・・・に始まり、偶然聞いたTEDスピーチの中でも 「当たり前と思っている一般、普通・・・」とか、とにかく、当たり前と思っているこの日常は本当は奇跡の連続なのだと。「有り難い」ことなのだと。

帰えれる家のあることも、寒さをしのぐ暖房のあることも、寝る布団のあることも、 もちろん、食べるもののあることも・・・ ほとんどの人が手にしている一般的な日常生活は、本当は感謝してあまりない、「ありがとう」なのである。

 

なりたくてなったのか、仕方なくなったのか分からないけれど、ホームレスの人達に何かできないのか、暖かさを分けてあげられないのか。

「当たり前」ではないこの日常に感謝して。


The power of the words

2014年02月27日 | 日記

「言葉の力」と云う動画に巡り合った。

目の見えない男の人が道に座って物乞いをしている。その横には段ボールに書いたメッセージが。

『私は目が見えません。どうぞお恵みを』と。

ほとんどの人が見て見ぬふり。

ところが、ある一人の女性がその前を通り過ぎ、ふと戻って来てその段ボールの裏に何かメッセージを書いて置いて行った。

その後は多くの人が彼に恵みを施した。

帰りにその女性がまた立ち寄った時、彼は彼女に「何を書いたのか」と尋ねた。

彼女は「同じことを書いただけ、ただ違った言葉でね」と伝えた。

そして最後にそのメッセージが映し出される。

「It's a beautiful day and I can't see it」  「今日もいい日だね。でも僕にはそれが見えないんだ」

う~ん! まいった。

私もこんな言葉が言える女性になりたいと思った。

 

私も伝える仕事をしている。 想いを言葉で表さなければならない。

自分の感性を豊かにするしかないと思った。

沢山の美しい言葉と心に触れたい。

人生を素敵に生きる為に!