素敵な私になるために

『生きているって素晴らしい!』そう感じられる喜びを。
毎日のワクワクを自分にも、あなたにも。

思い出されるこの日のこと

2019年03月11日 | 地震

2019年3月11日 大荒れの嵐の中で つぼみを開いたばかりの桜

【素敵な私になるために】

8年前の今日は、末娘の高校の卒業式だった。

式を終えて、ママ友とお昼を食べて帰宅の電車を降りたところで、プラットホームの電灯が右に左に大揺れていた。

《あれ?地震かしら?》と思っていたら、全員駅舎から外に出された。街はビルから出てきた人で溢れていた。

 

《この分なら電車はしばらくは動かないだろう》と思い、喫茶店に入りケーキを食していたら、2度目の大きな揺れが。

その後、お客は全員ビルから出された。

街に出たが、先ほどと変わって、そこはゴーストタウン。誰もいない!電気もついていない!

《あれ? みんなどこへ?》

 

仕方なく、駅に向かうと地下街は人でいっぱい。みんな座り込んでいる。 携帯は家族の誰とも連絡がつかない。

私は式服でハイヒールの恰好をしている。座りたくても地面に座れない。

 

夜遅く、家族と連絡がつき、車で合流して家に帰りつくことができたが、信号も家も停電だった。

都会では帰宅難民が沢山いたし、その後もずっと停電や強制停電もあった。

 

しかし、東北の被害に合われた方たちに比べたら、こんなことは吹けば飛ぶような出来事だった。

その後、東北で大変のことが起こったことを知る。

 

あれから8年。

この地震で知り合った福島の友人たちとは、今も友情が続いている。

私も含め、みんな、色々あった。

でも、みんな生きている。ありがたい事だと思う。

 

その人の背負った苦しみ、哀しみを共有することは出来ないかもしれない。

しかし、そっとそばに寄り添うことはできる。

そして、助けを求めた時には、いつでも手を差し伸べることが出来るようでありたい。

 

【素敵な私になるために】

私の存在で癒される人が、一人でもいたら、嬉しい。

 

 


Inspire

2015年01月04日 | 地震

雪を抱く浅間山

『謹賀新年』

新しい年がまたやって来ました。

晴れやかにおめでたく新しい年を迎えられたことに感謝申し上げます。

 

昨年3月からブログが休止状態となりました。

FBが盛んになったこともあります。移動中スマホでも簡単にアップできますからね。そちらに移行状態でもありました。

しかし、一番大きな理由は一緒にお仕事をしだした方が有名人だったからでもあります。

彼女と一緒に仕事を始めると、今まで個人の責任だけ追っていれば良かったものが、つまり「何を語ろうがそれはそれは私個人の問題」で済んだものが、そうではなくなってきたのが書けなくなった一番の理由でした。

公の人というのはそういうことなんだと改めて認識しました。

私が今何をやっているか、どんな心境かなどを明かせば、すなわちそれは彼女との仕事の事にも繋がってくる可能性があったからです。

 

しかし、一年経って、久しぶりにブログを見ると、毎年新しい決意が書かれていて、一年前は何を思っていたのかよく分かるのは懐かしく、ありがたい事だと思いました。

昨年の目標は「Take off」 離陸でした。 空に向かって飛び立とうと決意したのでした。

振り返ると、今まで携わったことのないジャンルのお仕事をやらせて頂き、毎日が勉強の連続でした。

オーケストラのこと、舞台のこと、バレエのこと、合唱のこと、外人招聘のこと、等々・・・。

色々な方との出会い、ご教示頂き、本当にありがたいものでした。感謝申し上げます。

 

さて、今年の目標は何かを考えたとき、「Inspire」が浮かびました。

誰かをinspireできる自分に成れたらと思います。

そして日々、自分をもinspireしていけたらと思います。

 

また一年後にどんな自分と会えるか楽しみでもあります。

皆様にとりましても素敵な一年になりますように!

 

今年はブログを再開しようと思います。

 

 

 


Obrigado!!!

2013年11月04日 | 地震

先日、友人からお誕生日にお花のプレゼントを頂きました。 そこに書かれていたメッセージ、ポルトガル語でした!

生まれて初めて、日本語でも無く、英語でもスペイン語でもフランス語でも無い言葉でお祝いメッセージを頂き感激でした。

『Parabens para voce!』

日本語に直訳すると、「あなたの為におめでとう!」となるみたいです。

嬉しい、思いがけないプレセントでした。

ありがとう!

obrigado!

 


地球が怒る日

2013年09月04日 | 地震

一昨日の竜巻。 オズの魔法使いの話が日本で起こるとは・・・生まれてこのかた、竜巻はアメリカの中だけだと思っていました。

一瞬で被害に合われた方、お見舞い申し上げます。

今も凄い雨の音が窓を叩き、雷が鳴っています。

日本列島、豪雨。その降り方ったら、品の無いこと。

そして、本日は地震。大きかったそうな。 私は地下鉄の中でまったく気づかず。

 

何かね~、日本どうなっているの!

地球が怒っている!そうとしか考えられない!

本当に人間のやっていることに呆れて、怒っているのだろうな。 

 

それにしても、この降り方、怖いぐらい!

 

地球を救うにはどうしたら良い? 一人ひとりが真剣に考えなくちゃね!

 


Sheryl Sandberg: Why we have too few women leaders

2013年07月17日 | 地震

フェイスブックのCOO、シェリル・サンドバーグの「LEAN IN」を読んでいます。

彼女が2011年にTEDでスピーチをしていたのを知りました。これです↓

トーストマスターズの私としては「あのようにスピーチしたい!」と思うお手本の1つになりました。

どうぞご覧ください。

Sheryl Sandberg: Why we have too few women leaders

Sheryl Sandberg: Why we have too few women leaders


オペラ「KAMIKAZE-神風-」

2013年02月03日 | 地震

三枝成彰さんのオペラ「KAMIKAZE-神風-」を東京文化会館にて拝見してきました。

特攻隊員の話です。 胸にぐっと来るものがあり、鼻をグスグスさせてしまいました。

春頃からこのオペラを作られていることを知っておりました。 実は昨年の「ふくしま・みんなの・・・」でお世話になったの方が三枝先生の下で働いていらっしゃったからです。それで楽しみにしておりました。

映像と照明もかなり凝っていました。

もちろん音楽は素晴らしかったです。配役の方々も頑張っていらっしゃいました。(そうそう、以前私どものコンサートで歌って頂いた方がプログラムに写真が出ていてビックリ!)

泣かされてしまいました。

劇中にこんな言葉が出て来ました。

「誰かの悲しみの上に私たちは生きている」と。 

それは特攻隊が飛び立つ基地の食堂のおばさんの言葉でした。

ある特攻隊員が最後のお別れに母親を訪ねた時、「僕はもうすぐ死ぬのです」と何度言っても、母親は「あんたが死ぬわけないだろう、もっとたくさん食べて体力をつけなさい」と応えるのだそうです。「この命、惜しくはないが、母にとっては唯一無二の命なのだ」と。

劇中では明日飛び立つ特攻隊員の婚約者や妻の悲しみを表していました。

国の為に若い命が沢山亡くなって行きました。

私が会ったことも無い伯父も特攻隊だったそうです。

若干17歳の少年特攻隊でした。志願したそうです。母の兄でした。「志願して落ちた者は今でも生きているけど、成績良く受かった者は亡くなった」と母はよく言っていました。

しかも終戦の1カ月半前の7月2日に鹿児島から沖縄へ飛び立って行ったそうです。子どもの頃良く聞かされました。「帰りの燃料は積んでいかないのよ」と。

母親である私の祖母はどんな気持ちだったのでしょうか。どれほど辛かったことでしょうか。

今は亡き祖母ですが、随分苦労をして来たのだと悲しくなってしまいました。

少なからずも、このオペラは私にも他人事でない話だったわけです。

17歳、たった17歳。これから素晴らしい未来が待っていたのに・・・。

17歳の若者が国を背負って、残った母のため、妹達のために自分の命をささげて行きました。

戦争が如何に虚しく、馬鹿らしいか。

第二次世界大戦で亡くなった日本人の数は310万人だそうです。

どんな事があっても2度と戦争は起こしてはなりません。

オペラを拝見して、心からそう思いました。


「いのちをいただく」話 牛のみいちゃん 

2013年01月02日 | 地震

今日も東京は快晴。 箱根駅伝を応援しに行こうと思っていましたが、パートナーが明け方まで年賀状を書いていて寝坊。 今から行っても箱根で追いつけるかどうか・・・やはりTV観戦になりました(トホホ)

Facebookで色々な方と繋がっていると情報も沢山入って参ります。 今朝ほどある方のコメントにこんなお話が載っていました。 感動したのでここでもシェアしたいと思います。

 

以下**************西尾仁さんよりシェアの文章(抜粋)

内田産婦人科医院の内田美智子先生が書いた、「いのちをいただく」という絵本のもとになったお話です。

この絵本、クラスの子どもたちや、ご自分のお子さんにぜひ読み聞かせてあげてほしい、そんな願いを込めてご紹介しますね。

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坂本さんは、食肉加工センターに勤めています。

牛を殺して、お肉にする仕事です。

坂本さんはこの仕事がずっといやでした。

牛を殺す人がいなければ、牛の肉はだれも食べられません。

だから、大切な仕事だということは分かっています。

でも、殺される牛と目が合うたびに、仕事がいやになるのです。

「いつかやめよう、いつかやめよう」と思いながら仕事をしていました。

坂本さんの子どもは、小学3年生です。

しのぶ君という男の子です。

ある日、小学校から授業参観のお知らせがありました。

これまでは、しのぶ君のお母さんが行っていたのですが、その日は用事があってどうしても行けませんでした。

そこで、坂本さんが授業参観に行くことになりました。

いよいよ、参観日がやってきました。

「しのぶは、ちゃんと手を挙げて発表できるやろうか?」

坂本さんは、期待と少しの心配を抱きながら、小学校の門をくぐりました。

授業参観は、社会科の「いろんな仕事」という授業でした。

先生が子どもたち一人一人に

「お父さん、お母さんの仕事を知っていますか?」

「どんな仕事ですか?」と尋ねていました。

しのぶ君の番になりました。

坂本さんはしのぶ君に、自分の仕事についてあまり話したことがありませんでした。

何と答えるのだろうと不安に思っていると、しのぶ君は、小さい声で言いました。

「肉屋です。普通の肉屋です」

坂本さんは「そうかぁ」とつぶやきました。

坂本さんが家で新聞を読んでいると、しのぶ君が帰ってきました。

「お父さんが仕事ばせんと、みんなが肉ば食べれんとやね」

何で急にそんなことを言い出すのだろうと坂本さんが不思議に思って聞き返すと、
しのぶ君は学校の帰り際に、担任の先生に呼び止められてこう言われたというのです。

「坂本、何でお父さんの仕事ば普通の肉屋て言うたとや?」

「ばってん、カッコわるかもん。一回、見たことがあるばってん、
 血のいっぱいついてからカッコわるかもん…」

「坂本、おまえのお父さんが仕事ばせんと、先生も、坂本も、校長先生も、
 会社の社長さんも肉ば食べれんとぞ。すごか仕事ぞ」

しのぶ君はそこまで一気にしゃべり、最後に、
「お父さんの仕事はすごかとやね!」と言いました。

その言葉を聞いて、坂本さんはもう少し仕事を続けようかなと思いました。

ある日、一日の仕事を終えた坂本さんが事務所で休んでいると、一台のトラックが食肉加工センターの門をくぐってきました。

荷台には、明日、殺される予定の牛が積まれていました。

坂本さんが「明日の牛ばいねぇ…」と思って見ていると、助手席から十歳くらいの女の子が飛び降りてきました。

そして、そのままトラックの荷台に上がっていきました。

坂本さんは「危なかねぇ…」と思って見ていましたが、しばらくたっても降りてこないので、
心配になってトラックに近づいてみました。

すると、女の子が牛に話しかけている声が聞こえてきました。

「みいちゃん、ごめんねぇ。みいちゃん、ごめんねぇ…」

「みいちゃんが肉にならんとお正月が来んて、じいちゃんの言わすけん、
 みいちゃんば売らんとみんなが暮らせんけん。ごめんねぇ。みいちゃん、ごめんねぇ…」

そう言いながら、一生懸命に牛のお腹をさすっていました。

坂本さんは「見なきゃよかった」と思いました。

トラックの運転席から女の子のおじいちゃんが降りてきて、坂本さんに頭を下げました。

「坂本さん、みいちゃんは、この子と一緒に育ちました。
だけん、ずっとうちに置いとくつもりでした。
ばってん、みいちゃんば売らんと、この子にお年玉も、クリスマスプレゼントも買ってやれんとです。
明日は、どうぞ、よろしくお願いします」

坂本さんは、「この仕事はやめよう。もうできん」と思いました。

そして思いついたのが、明日の仕事を休むことでした。

坂本さんは、家に帰り、みいちゃんと女の子のことをしのぶ君に話しました。

「お父さんは、みいちゃんを殺すことはできんけん、明日は仕事を休もうと思っとる…」

そう言うと、しのぶ君は「ふ~ん…」と言ってしばらく黙った後、テレビに目を移しました。

その夜、いつものように坂本さんは、しのぶ君と一緒にお風呂に入りました。

しのぶ君は坂本さんの背中を流しながら言いました。

「お父さん、やっぱりお父さんがしてやった方がよかよ。
心の無か人がしたら、牛が苦しむけん。お父さんがしてやんなっせ」

坂本さんは黙って聞いていましたが、それでも決心は変わりませんでした。

朝、坂本さんは、しのぶ君が小学校に出かけるのを待っていました。

「行ってくるけん!」元気な声と扉を開ける音がしました。

その直後、玄関がまた開いて

「お父さん、今日は行かなんよ!わかった?」としのぶ君が叫んでいます。

坂本さんは思わず、「おう、わかった」と答えてしまいました。

その声を聞くとしのぶ君は「行ってきまーす!」と走って学校に向かいました。

「あ~あ、子どもと約束したけん、行かなねぇ」とお母さん。

坂本さんは、渋い顔をしながら、仕事へと出かけました。

会社に着いても気が重くてしかたがありませんでした。

少し早く着いたのでみいちゃんをそっと見に行きました。

牛舎に入ると、みいちゃんは、他の牛がするように角を下げて、坂本さんを威嚇するようなポーズをとりました。

坂本さんは迷いましたが、そっと手を出すと、最初は威嚇していたみいちゃんも、
しだいに坂本さんの手をくんくんと嗅ぐようになりました。

坂本さんが、

「みいちゃん、ごめんよう。みいちゃんが肉にならんと、みんなが困るけん。ごめんよう…」

と言うと、みいちゃんは、坂本さんに首をこすり付けてきました。

それから、坂本さんは、女の子がしていたようにお腹をさすりながら、

「みいちゃん、じっとしとけよ。動いたら急所をはずすけん、そしたら余計苦しかけん、
 じっとしとけよ。じっとしとけよ」と言い聞かせました。

牛を殺し解体する、その時が来ました。

坂本さんが、

「じっとしとけよ、みいちゃんじっとしとけよ」と言うと、
みいちゃんは、ちょっとも動きませんでした。

その時、みいちゃんの大きな目から涙がこぼれ落ちてきました。

坂本さんは、牛が泣くのを初めて見ました。

そして、坂本さんが、ピストルのような道具を頭に当てると、みいちゃんは崩れるように倒れ、
少しも動くことはありませんでした。

普通は、牛が何かを察して頭を振るので、急所から少しずれることがよくあり、倒れた後に大暴れするそうです。

次の日、おじいちゃんが食肉加工センターにやって来て、坂本さんにしみじみとこう言いました。

「坂本さんありがとうございました。昨日、あの肉は少しもらって帰って、みんなで食べました。
孫は泣いて食べませんでしたが、

『みいちゃんのおかげでみんなが暮らせるとぞ。食べてやれ。みいちゃんにありがとうと
 言うて食べてやらな、みいちゃんがかわいそうかろ?食べてやんなっせ。』って言うたら、

孫は泣きながら、『みいちゃんいただきます。おいしかぁ、おいしかぁ。』て言うて食べました。
ありがとうございました」

坂本さんは、もう少しこの仕事を続けようと思いました。

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ある学校で、保護者の一人から、

「給食費を払っているのに、『いただきます』と子どもに言わせるのはおかしい」

というクレームがあった、との話を聞いたことがあります。

「なんという常識のない保護者なんだ!」と片付けるのは簡単です。

でも、もしもこの保護者が、この話を知っていたとしたら、どうだったでしょう?

現在の食生活は、「命をいただく」というイメージからずいぶん遠くなってきています。

そしてその結果、食べ物が粗末に扱われて、日本での一年間の食べ残し食品は、発展途上国での、
何と3300万人分の年間食料に相当するといいます。

私たちは奪われた命の意味も考えずに、毎日肉を食べています。

動物は、みんな自分の食べ物を自分で獲って生きているのに、人間だけが、自分で直接手を汚すこともなく、坂本さんのような方々の思いも知らないまま、肉を食べています。

動物だろうが植物だろうが、どんな生き物であっても、自分の命の限り精いっぱい生き続けたい、そう願って生きているんだと私は思います。

命をいただくことに対しての「思い」。

お肉を食べて「あ~、美味しい。ありがとう」お野菜を食べて「あ~、美味しい。ありがとう」

そこに生まれる思いはどんな思いでしょう?

お肉を食べて「うぇ~、マズッ!」お野菜を食べて「うぇ~、マズッ!」

そこに生まれる思いはどんな思いでしょう?

食べ物をいただくとき、そこに尊い命があったことを忘れずに、その命を敬い、感謝の言葉をかけてあげられる人に育ちましょう。

今日もまた、食べられることへの感謝の言葉、

「ありがとうございます。感謝します。いただきます」

食べているときの「美味しい!」という言葉。

そして食べ終わった後の、

「あ~、美味しかった。ありがとうございます。ご馳走さまでした」

という「食べられたこと」への感謝の言葉をかけてあげましょう。

もちろん、食べ残しをせずに。

食べ物が、あなたの体を作ります。あなたの体に姿を変えて、あなたの中で生き続けます。
そして、体の中からあなたを精いっぱい応援してくれています。

あなたができる最高の恩返しは、たくさんの生き物たちから命のバトンを託されたあなたの命を、いっぱいに輝かせること。

喜びに満ちた人生を過ごすこと。

それが、あなたと共に生きているたくさんの命たちが、いちばん喜ぶことなんです。
みんなの分まで、命いっぱいに輝きましょう。

…これが、私が教師として、プロとして、目の前にいる子どもたちやその保護者に伝え続けていきたいメッセージです。


ふくしま・みんなの演奏会 写真でお届け

2012年09月15日 | 地震

言葉で語るよりも、目で見て頂く方が、その時の状況を何倍も的確に表せると思います。

やって来ました! 会場のあづま総合体育館へ

練習が始まるまでの風景 真剣そのもの

炎天下の駐車場で車の整理をしていたスタッフ

急遽、募金箱を作るスタッフ

受付は任せてのスタッフ

笑顔が素敵なスタッフたち

 


ふくしま・みんなの演奏会 無事に終わりました 御礼

2012年09月13日 | 地震

1か月ぶりのブログ更新です!

どうしているかと思われていたことでしょう。 ご報告が遅くなり申し訳ありませんでした。

 

「ふくしま・みんなの演奏会」を応援して下さった皆々様、本当にありがとうございました!

無事に、素晴らしい演奏で、多くの方に喜んで頂けて、演奏会を出来ましたこと御礼を申し上げます。ありがとうございました。

サポーターになって頂けた方、本当にありがとうございました! おかげで無事に演奏会ができました!

私はと申しますと、終了後はご挨拶回り、清算、諸々で仕事に追われ、その後やってきたのは、虚脱感と疲労!

「やらなきゃ!」と思っていても、体が心が拒否をする始末。

この夏の暑さの疲れと、演奏会までの疲れがドド~っと押し寄せてきて、「しばし休憩!」状態でした。

やっと本日ブログを書く気持ちになれました。 本当にお礼が遅くなりごめんなさいです!

 

19日の演奏会は素晴らしい演奏でした! お聞かせ出来ないのが残念! いえいえ、お聞かせ出来ます。もうちょっと待っていて下さいませ。

お写真も順次アップ致します。しばしお待ちを!

そろそろ鞭打って、次へ進むよう頑張ります、が・・・、私って9月と1月はどうしてこうなんだろう・・・体も心もどっぷりと沈んでいる。「動けな~い!」が本音です。(笑)

早くいつもの私に戻りた~い!

照明さんも暑かろうに・・・

まだ冷房の利かない8時から椅子並べ・・・サウナの様でした

間違えてはいけないので真剣そのもの

椅子の地図を片手に座席にシール張り

力仕事は男性が・・・

急きょ、正面位置を変更する会議が・・・

 

形になってきた!

楽器の搬入も始まり・・・

受付の準備は完了!

受付では続々と演奏者の受付が始まっています・・・

やっと完成! あとは演奏者を待つばかり。

椅子も演奏者を待っている。

 

つづく・・・

 

 

 

 

 


ふくしま・みんなの演奏会 私達が目指すもの

2012年05月22日 | 地震

私が子どもの頃にはアイスクリームが5円、10円で買えた。テレビが初めて我が家にやって来た。それは大きな大きな箱だった。

そして日本の高度成長期。私はその中で大きくなっていった。 洗濯機の脱水は手で回していたのに、全自動に。一度炊いたご飯は次の食事では冷ご飯。電子レンジも炊飯ジャーも無かったのだ。

人々の生活は次第に豊かに贅沢になっていった。

バブルの頃には買ったマンションが2倍に跳ね上がり、毎日のように売ってくれとの電話があって驚いたものだ。

でも、そのころでさえ、電話が無線で繋がるとか、相手の顔を見て会話ができるとか、つまりテレビ電話などの言葉を初めて聞いて、うそでしょ!と思っていたものだ。

それが今では電波を飛ばして通じる携帯電話は当たり前、顔を見て話すSkypeも当たり前の時代になった。

どれだけ技術が発達し、どれだけ文明が進んだのだろう。この当たり前と思っている生活。

しかしそれと共に大きなリスクも知らない間に背負っていた。

昨年の地震で私たちはそれを嫌と云うほど思い知らされた。

私達が甘受していた便利さの裏には色々なものがあったのだ。

 

今、人々は大きく変わろうとしている。 物でも無く、お金でも無く・・・。

なんなのだろう、心とか絆とか、そんな言葉で表せるものでもなく・・・。

 

エネルギーの様なもの、生きるエネルギー、わくわくするエネルギー、 つまり 命の波動のようなもの。

そうなんだ、きっと命で共鳴したいと思っているんだと思う。何に共鳴を?命が歓ぶことに。

 

私達がこの夏、福島でやろうとしていることはこれなんだ! 

集まった人たち全員で共鳴し合いたいのだ。 命の歓びをビリビリと感じたいのだ。

500人ものオーケストラが出来、そこからみんなの波動が音となり、伝わってきたら凄い事だと思う。

きっと感動的な音が体育館に響き渡る事だろう。(上手な音とは決して言わない。でもそれで良いのだから)

そんな演奏会を私たちはやりたいと思っている。

そしてそれをまとめてくれるのが西本智実さんだ。

今、私たちは一緒に共鳴してくれる人達を募っている。

 

私は、当日舞台裏で、感動で号泣している自分の姿が今から目に浮かぶのだけど・・・。

先はまだまだ遠い!

 

ふくしま・みんなの演奏会  http://www.kibouproject.com

 


点から始まった福島支援の未来図 その1

2012年03月18日 | 地震

一週間がめまぐるしく、あっという間に過ぎ去って行きます。

気がつけば3月も半分が終わりそうです。 

昨年の今頃は計画停電で大変でした。スーパーに物も無くなり、地方の友人が食糧や乾電池を送ってくれたのも今頃でした。 その節はありがとうございました!

こうして今はまた何事も無かったかのように普通の生活をしております。 外見上は。

 

昨年3月、あと一週間後から、「被災地の子ども達へ絵本を贈るプロジェクト」が開始されました。 我が子の小学校で読み聞かせをしている母親のグループ、ピコの会が母体になりました。

2週間で全国から約2500冊近くの絵本等が集まり、宮城県と岩手県の避難所等へプレゼントすることが出来ました。

これを機に、その後、「World Heart Project ~世界の子ども達からの贈り物~」で名取市へ出向き、世界の子ども達からエールで送られた絵を展示し、ついでにピコの会で集めてもらった子どもの夏服を一緒に持参して仮説住宅で配りました。

私にとっても、仲間にとっても、これらの体験は、これからの人生を歩む方向性の大きな道しるべになった様に思います。

夏ごろから、今度は福島県の友人と交流するようになりました。

実は私には福島県には誰ひとり知合いがおりませんでした。 

たった一人、知合った方は、昨年地震の直前にネットでレソト支援に応募して下さった方でした。

震災後、彼女が福島県に住んでいたと知り、「大丈夫ですか?」の交信が始まったのです。

たった一人、しかもネット繋がり、その彼女との出会いが、今、「ふくしま・みんなの演奏会」に発展しました。

今度は福島支援です!

昨年の秋以降、私は何度福島へ行ったことでしょう。

同じ地域へ何度も通ったのは、名古屋に住んでいた時の里帰り往復以外ありません。

行く度に福島に新しい発見をして、「のんびりとして良い所だなぁ~」と思うようになりました。

先日ある方が「福島は関東の人の住みたい所のNo.1だそうよ」と教えてくれました。

「なんで?」と聞くと、「東京からはさほど離れず、かつ、山あり海あり、自然の多い、果物の美味しい所だから」だそうです。 知りませんでした!

たった二人から始まったプロジェクトでしたが、今は福島、東京はもとより関西からも一緒に動くメンバーがおります。

それぞれが、それぞれの持ち分を発揮して輝いております。何せネーミングは「明日への輝望プロジェクト」ですからね!

みんなの力を総結集して、ジグゾーパズルのピースが1つ1つはまって、8月には壮大な未来図が描ける事を祈り動きます。

人の繋がりって、不思議なものですね。 こんなことが出来るなんて!

 

 


ふくしま・みんなの演奏会 HP完成!

2012年03月11日 | 地震

木曜日にチラシが上がり、急ぎHPを上げねばと思っていたところ、行き違いから、デザイナーさんが作られたHPのデザインがWeb用でないと分かり、頭を抱えてしまいました。

Webデザイナーさんに頼み直すと時間と経費がかかると分かり、「仕方ない、手作りするか」と一肌脱ぎました。

金、土、日と丸3日かかり、やっと先程出来上がりました!!!!

どうです!(ってえばってもね)  http://www.kibouprojekt.com  これです!

【輝望プロジェクト】でも検索できます。

今回は申込みフォームを作らねばならなくて、またまた勉強になりました。 いやはや、時代は進歩していますね。私みたいな素人でも簡単に、個人情報を守って、やり取りできるシステムがあるのですから。助かりました!

このHPで、沢山の方が福島のあづま総合体育館へ集まって下さる事を祈るのみです。

最近は、ジグゾーパズルのピースが1つ、1つはめられて、次第に何の絵が出てくるか分かるような、そんなワクワクした気分を味わっているように思うのです。

8月19日までやらなければならない色々な事があるでしょう。 今までも1つ1つ詰めてきたように、これからも1つ1つを大切に丁寧に仕上げて行けば、完成図が見えてくるのだと。

本当に1つのピースが当てはまる所を探して、ああでもこうでもと言いながら、ピタッとはまった時に、「やったぁ!」と歓声を上げる、そんな毎日なのです。

これでもか、これでもかと山がやって来るのですが、「神様は乗り越えられない試練は作らない」と友人に励まされ、「そうか!」と素直に思いこみ、一歩一歩登っております。

取りあえずHP完成! これで申込みが受け付けられます。

さあ、次は何でしょうか?(笑)

明日は福島へ行ってきま~す。

みなさまの応援よろしくお願い致します!!


震災復興祈念 明日への輝望プロジェクト 

2012年03月11日 | 地震

震災復興祈念 明日への輝望プロジェクト

『ふくしま・みんなの演奏会 指揮者 西本智実』 楽器を持って集まろう!

2012年8月19日(日) 14:00~ 福島県あづま総合体育館

楽器を演奏出来る人 集まれ~! みんなで一つのオケを作りましょう!そして未来を創りましょう!

県外からプロ演奏者が来て「がんばれ~!」と演奏して帰る演奏会ではありません。

県内の福島人が自分で演奏して「楽しもう!」という演奏会です。

楽器を習ったことのある人、誰でも参加OKです。 楽器を触ったことの無い人、声、手拍子・足拍子で参加して下さい。

みんなで一つの曲を作りましょう。

もちろん、県外の演奏者、参加者、大歓迎です。 楽器を持って福島へ行こう! そしてみんなの元気エネルギーで福島人に波動を起こしましょう!

本日、震災から一年が経ちました。

今日は色々なところで、震災から一年というイベントが行われます。

その日に、福島支援の演奏会のお知らせをアップ出来るのはなんとも不思議なことです。

私達、ふくしま・みんなの演奏会 実行委員会はそれぞれが自分の仕事をしているものの、ほとんどが素人主婦の集まりです。

福島県にたった一人しかいない知人との間での会話からこの企画が始まりました。最初の一点はほんの些細なものでした。

『不安な毎日、明日が見えない。 「頑張れ」は聞き疲れた。 自分達が純粋に楽しめる事をしたい』

この言葉から生まれた演奏会です。

日本中から、海外からも楽器を持って(声を持って)応援に集まって下さることを祈ります。

そして、福島に人が不安に負けないで、明日を夢見て、みんなと一緒に立ちあがってくれることを祈ります。

どうぞみなさま、一緒に応援して下さい。 詳細は http://www.kibouproject.com

メールでのお問合わせは info@kibouproject.com  まで。

指揮者の西本智実さんも 『素晴らしい未来がある事を想像しています。一緒に想像しましょう』と言って下さっています。

日本中のみなさまで、素晴らしい未来を創造致しましょう!

 


沖縄旅行 その2 

2011年12月04日 | 地震

今日は富士山が真っ白です! (いつの間に?) そして周りの山々もとても近く感じられます。

北海道の友人からはすでに雪が・・・と。 福島の友人からは周りの山々が真っ白、もうすぐ街にも雪が・・・と。 また別の福島の友人は、「もうスキーを滑って来ました」と。

本格的に冬の到来なのですね。

なんかそんな中で、季節感が全く違う沖縄の報告ですが、その2です。

沖縄泊最後の日は私の空き時間は午前中のみ。

車を走らせ短時間でしたが「ひめゆりの塔」へ。 献花し、中へ入ると、1年8カ月前に来た時とはまた違っていました。

沖縄での犠牲者を思い、今の私たちの時代に感謝をし、未来を思うのでした。

今回の沖縄は北の方へは行かれませんでしたが、南を存分に回り、一人で車を走らせて、気分爽快でした。

さて、午後からは外国からのお客様を連れて観光へ。 もちろん帰りの飛行機の時間もあるので、沖縄そばを食べて、首里城見学位しか出来ません。

でも一度も海を見ていないと云われるので、それではと糸満近くの海へ。

季節外れの海は誰もいなくて、どこまでも続いていて、この先は中国かぁ~と、しばし眺めいっておりました。

さて、ここからです。 またまた珍道中は。

私たちは羽田に車を置いてきました。 外国からの3組のお客様を乗せてホテルへ送る為に。

それぞれが便と飛行機会社が違ったので、羽田で待ち合わせることに。

私たちの飛行機はスカイマーク。 安い代わりにディレイします。 この時も30分遅れ。

まず一組みは同じターミナルのロビーでゲット! さて、もう一人は韓国から到着しているはずの国際線ターミナルに。 国際線ターミナルは離れているので、最後にしようと。

さてさて、とっくに着いているはずのもう一人が見つかりません。 携帯に電話をすると(これアメリカ経由ですから相当高くつくはず・・・来月の請求が恐いわ!) どうも違うターミナルにいるらしい。

そこで車を出し、荷物と人を乗せ違うターミナルへ。 ところが探せど、どこにも見つからず。

またまた携帯に電話し、良く良く聞けば、先程のターミナルみたいだと。

また車で移動。

飛行場って広いので、ターミナルを移動するだけでも結構時間がかかります。私たちの到着は22時半だったので、この時点ですでに23時半を回っていました。

さて、元のターミナルに戻ってみて、携帯で居場所を聞くも、なんだからちがあかず。

私はふっと嫌な予感が・・・・。試しに口に出してみました。 「まさか、成田じゃないよね?」と。

ビンゴ~!!

まさに、彼は成田のターミナルにいたのでした。

なんてこっちゃ! アメリカ人でしょ!英語話せるでしょ! 自分の居場所くらい分かってよ!

笑うに笑えず、仕方がない、彼は成田にスティしてもらい、あきらめ、さあ大変、国際線に待たせている韓国のお客様。

急いで国際線ターミナルに行ったは良いけど、すでに午前を回っています。

当然いるわけないですよね。 (私だったら絶対2時間も待たない、自分で行くはず)

アナウンスをかけ、メッセージを残し、ホテルへ。

可哀そうなのは車の中のお客様。 待たされて・・・・。

郊外のホテルへ着いたら1時半近くになっていました。 (なんてこっちゃ!)

先の韓国のお客様は無事着いていました。 (これだけでもホッ)

やれやれ私達が家に着いたのは午前2時。

なんだか、この頃パートナーと行く旅行はどうもこういう珍道中が多くて・・・。

前だったら、「あなたのずさんな計画が悪い!」と怒っていたでしょうが、今回はとても彼を責める気にもならず。

かえって労りの気持ちが。

人を責めても何も始まらないと気が付いてきた私だったからでしょうか・・・。(いや、ほんと、精神的に人間一回り大きくなりましたのよ、この頃!)

家の中でバトルが無いだけ、お互い平和な気持ちでいられました。

やれやれの沖縄旅行でした。

でも私は十分満足。 今度は子ども達を連れて北へも行きたいと思うのでした。

感謝!感謝!

 


「ストロングミヤギ」さんの報告

2011年10月12日 | 地震

亘理の臨時職員の丸子さん その前に皆さんが贈って下さった衣類やぬいぐるみが・・・ありがとう!

私達が、絵本を贈ったり、衣類を集めたり、世界の子ども達からの絵のメッセージを展示しに行ったりと、東北支援をする中で知合った、東北宮城県の地元ボランティアのグループ、「ストロングミヤギ」さん。

その中心、カズさんは、東京にお住まいがありながら、震災後はほとんど宮城に入り浸り・・・。

家族は大丈夫なの、生活は大丈夫なの・・・との他人の心配をよそに、ご本人は若い頃からお世話になった宮城をほっとけなくて、東京と多賀城市を何往復もされています。

行政の支援が行き届かない小さな避難所や仮設住宅を回っては、子ども達と遊び、おばあちゃんの声を聞き、足りない物を届け、と奮闘しています。

そして大好きな七ヶ浜の復興の為にみんなと汗を流しています。

先月、絵のプロジェクトがイベントをしに訪問した仮設住宅へ、幼稚園の先生であるメンバー達が再度、子ども達と遊ぶために宮城を訪れました。その地元でのオーガナイズをして下さったのが、「ストロングミヤギ」さんでした。(イベントの時もストロングミヤギさんにお世話になりましたが)

その報告が「ストロングミヤギ」さんのブログにアップされていますのでご覧ください。

亘理町の小さな仮設住宅です。

ほとんどがイチゴ農家だとのこと。

本来なら、これからクリスマス時にいちごの出荷が待っていたはずなのに・・・。

「これからどうしたらいいの?」とおばあちゃん。

「どうしたらいいか、一緒に考えて!」とストロングミヤギさん。

報告の写真に、段ボールに書かれたメッセージの箱を見つけ、贈ったぬいぐるみを見つけ、ちゃんと届けて下さった、少しでもお役に立っているのかなと、ちょっと嬉しくなりました。

物資を集めて下さった方々、段ボールにメッセージを書いて下さった方々、皆さんの心はちゃんと宮城の被災者の方へ届けてありますからね。 そのご報告です。

ぜひ、「ストロングミヤギ」さんの応援をよろしくお願い致します。

来月、11月26日に東京で「ありがとう」のイベントをするそうです。 こちらの支援もどうぞよろしく!

詳細を早く下さいよ~ ストロングミヤギさん!