素敵な私になるために

『生きているって素晴らしい!』そう感じられる喜びを。
毎日のワクワクを自分にも、あなたにも。

環境活動家 谷口たかひさ氏 お話会のお知らせ

2020年07月27日 | 日記
今年になってから、コロナ禍と集中豪雨での災害により、みんな生きることに必死になっていて、
今なぜと言われるかもしれませんが、フォーカスがそちらに行っているだけで、地球温暖化が止まっているわけではありません。
 
この数年、温暖化について忘れていると、その後の私たちの生活は想像できないようになっているかもしれません。
 
今、私たちが出来ることは、1つ。 【知ること】です。
 
ぜひ、知ることから始めませんか。子供たちの未来を作るのは今なので。
 
 
【環境活動家 谷口たかひさ氏 お話会のお知らせ】
子ども達の未来のために 私たちは今、何ができるのか?
気候変動 待ったなし!
毎年更新する巨大台風、頻繁に起こる森林火災、豪雨による大洪水、北極圏の永久凍土の消失・・・
気候崩壊は始まっています。
 
全国での講演活動が即満席となっている話題の環境活動家・谷口たかひさ氏を招いて、お話を伺います。
まずは知ることから始めよう!
 
2020年8月7日 午後の部 14:00~ 夜の部 19:00~
東京ウィメンズプラザ視聴覚室
(渋谷区神宮前5-53-67 表参道駅B2出口徒歩7分)
参加費 無料
 
定員 上限50名(100名席の部屋) お子様歓迎
 
お申込み・お問合せ learnmoresdgs@gmail.com
 
当日はマスク着用でお願い致します。
アルコール消毒設置、お席は離します。
 
ぜひ、若い方、子供たちに聞いて頂きたいです。未来の担い手に!
 

「逢いたくていま」 逢える時を大切に

2020年07月19日 | 日記
昨夜のTBS系の番組「音楽の日」でMISIAの歌った「逢いたくていま」を聴いていて涙がごぼれた。
 
奈良の東大寺を舞台に熱唱したのだが、その歌詞が今の現実と重なって。
 
このコロナ禍で、先の集中豪雨で、大切な人を何の前触れもなく失った人々は沢山いる。
歌詞すべてが、その人たちの想いだろうと思うと泣けてきて。
 
 
私だったらと想像してみた。
 
同じように一瞬で愛する人を失ったら、あの歌詞のように泣き叫ぶだろうと。その時浮かんだのは、パートナーだ。
 
 
どんなに大切な人を無くされた人たちの心がお辛いだろうかと思われて涙が止まらない。
 
そうだ、未来は分からないのだと。
 
 
だからこの一瞬一瞬を大切に、大事な人を大切に、愛する家族を大切に、この契りを一瞬でも大切に生きようと思った。
 
いづれ違う世界でまた会えるかもしれない。
でも、この世界のこの瞬間は今しかなく、この契りがまっとうする迄は一緒にいることを大切にしたいと。
そう出来ることを有難いと。
 
 
コロナだけではない、私の周りには、「行ってらっしゃい」と大切な人を送り出してそのまま会えなくなった友人たちが沢山いる。
 
原因がなんであれ、同じ思いだっただろうと思うと胸が締め付けられる。
 
 
先日は90歳の知人が戦争孤児だったと知った。
一緒にご家族といて、空襲で一瞬でご家族を亡くされ一人生き残ったそうだ。
 
 
みんな、自分の意思とは関係なく愛する人を奪われていく。
 
今一緒に居られることに感謝して、パートナーとは喧嘩せずに仲良く暮らそう。
 
「逢いたくて」逢えない人々の分まで。
 
 

 


【許せない】を断捨離中

2020年07月17日 | 日記
今は変化の真っ最中にいる私たち。
 
今この時期に新しい自分になるために、断捨離をしているとは以前お話した通り。
 
物もだいぶ捨てましたが、物だけでなく、過去、人間関係、思い、などの断捨離も必要だと。
 
その中で郷右近丸彦さんの投稿、言霊の話をシェア致しました。
 
実は別の日にもこのように書かれてありました。
 
*********
《ほんたうの言霊②》
今日は運氣を悪くする
悪しき言霊である
「苦言(くげん)」について
解説します。
九種類あるので
「九言(くげん)」とも
言います。
①「不平」
②「不満」
③「愚痴」
④「泣き言」
⑤「悪口」
⑥「文句」
⑦「ついてない」
⑧「心配だ」
⑨「許せない」
 
*********
 
自分を振り返り、①~⑧までは最近全く言わないなと確認、しかし、⑨で私の心が止まります。
 
「許せない」が私の心の奥にあるのです。
 
もちろん、腹の立つことや、今の世の中や政府などにも憤慨することだって多々ありますが、最近はその感情には執着しなくなってきている自分がおりまして、とても精神的に楽になっているのですが、まだこの「許せない」が1つだけ根深く心の中にあったのです。
 
何が「許せない」のか。 「母」です。
 
一緒に住みだしてからぶつかる、母との確執。だいぶ「許せる」自分になりましたが、まだ1つ。
 
些細なことかもしれませんが、
 
この数か月、母と一緒に断捨離してきて、出てくる出てくる要らない物に、「なんでこんなに買うの」と。
 
それも、必要なモノなら兎も角、まだ使っていないもの、数回しか使わなかったものが次から次へと。
 
母は戦時中、物が無かった時代を経験しているので、その反動か、今の時代欲しいと思えば手に入る環境で、TVチャンネルなどですぐに乗せられてしまう性格。しかも「もったいない」で捨てられない。
 
そんなの、置いておく場所も、購入するお金も、よっぽどそっちの方が「もったいない」のにと思うのだが。
 
なんでこんなに浪費をしていたのか、口をすっぱくして叱責したので、本人も反省して、「どうしてこんなに買ってしまったのかしら」と。 やれやれ、やっと気づいてくれたかしら。
 
しかし、しかしですよ!
 
先日母の部屋へ行くと、真新しい大きな空気清浄機がドカンと置かれているではないですか。
 
「どうしたの、これ?」 「あ~、ちょっとね…」
「買ったの?」 「給付金入ったから…」
「はぁ~!!!!」
 
別にいいですよ、ご本人のお金だから、何に使おうと。
 
でも、同じ部屋に別の空気清浄機が回っているじゃないですか!
 
「ここにもあるじゃない?」と言えば、「部屋が黴臭くて、(断捨離で色々納戸から出してきているから黴が舞うらしく)これ凄いのよ!」と。
 
お手上げ! もう呆れて、言うことなし。
 
それから3日間口をきいておりません。
 
購入することを許す許さないではないのです。いくら言っても分からない、母の無駄使いの性格を私が許せないのです。
 
妹に言えば、「いいじゃない、もう90歳なんだし、好きにさせてあげれば」と。
 
「そうだよな」と思おうとする自分と「でもやっぱり」と思う自分。これ、1つの闘いです。
 
そんな時、娘の引っ越しの投稿のコメントのやり取りで、母親っていくつになっても子が心配。母はありがたいよねと言いあっていて、ハタと気がつきました。
 
どんな性格であれ、私は母にどれだけ恩恵を受けて来たか。守られてきたか。困ったときに助けてもらったか。
 
これは「母の問題」ではなく、「私の問題」だったのだと。
 
 
そう、おかげさまで、最後の「許せない」をやっと捨てることができました。
 
どうやって捨てたかって?
 
それは、「感謝」の気持ちです。
 
ここまで無事に育ってきて、今幸せに暮らしていられるのも、母の娘を思う気持ちにず~と守られて来たのだと改めて気がついて。
 
「有難い」という言葉に救われました。

コロナにて音信不通の友人とZoomで再開

2020年07月07日 | 日記

これも私にとってはコロナのお陰。


アメリカが新型コロナウィルスで死者が大勢出て、NYなどパニックになってきて、大変だった頃、
音信不通のアメリカにいる友人マリアに手紙を出した。メールアドレスは分からなくなっていたから。


コロナにかかっていないかしら?
亡くなってなんかいないよね。
今でも同じところに住んでいるかしら?
もしかして、スペインに帰ってしまっているかしら?
こんな思いを抱きながら、アナログな方法で。
4月頃だったかな?


そんなこともすっかり忘れていた7月の始め、PCに1通のメールが飛び込んだ。
「連絡ありがとう!元気でいるよ。Zoomで会おうよ」と。


「うわぁぁぁぁぁぁぁ 生きてる! 元気でいたんだ!」
良かったぁ!
それにしても、3ヵ月もかかるとは・・・。


彼女と知り合ったのは今から37年前。
イギリスの小さな町の英語学校で、
お互いちょぼちょぼの英語能力で話していたころ。


彼女はスペイン人でラテン系特有の気さくな性格で、英語の文法はハチャメチャでも延々とまくし立てて喋る。
その能力を尊敬したわ。日本人は文法が先に浮かんで喋れないでいるから。


すっかり親友になり、どこへ行くにも一緒に。
お互い帰国後に一緒にドイツへ行ったり、彼女が日本に来たり。

でも、本当に筆不精な人で、手紙を出してもなかなか返事が来ない(そのころ、メールなんて存在は無かった)。
だから、いつも、今どこにいるのか、生きているのかさえ分からない人で、

大昔には、私は必至でスペイン会話本を片手に彼女のスペインの実家に電話して消息を尋ねたこともあった。(今から思うとよくやったわ)


そんな彼女は、帰国後、アメリカのカルフォルニアで英語の教師になってヒスパニックの子ども達を教えていた。
最近では9年前に私がアメリカに行った時に会ったきり。


さあ、そろそろリタイヤの歳、今彼女はどこに・・・
何もないと、お互い忙しくて連絡も取らないけど、東日本大震災の時に、やはり向こうから手紙が来た。
「大丈夫か?」と。


今度は私の番。 「大丈夫か?」
でも、それから無しのつぶて。
すっかり忘れていた。


今回、コロナのおかげでZoomが流行り、簡単に顔を見て話せるようになった。(前からスカイプとかあったけども)
いつが都合が良いかと聞くから、いつでもOKと言っていたら、昨日メールが。


「今から2時間話せるけど・・・」と。


ちょっと待ってよ、このメール来たの1時間前じゃない!


慌ててメール返信するも何も来ない!


「あんたねぇ、そっちが2時間OKと言ってきているなら、待機しなさいよね」
Zoomを準備して待つこと1時間。


何も無し。
相変わらず、ラテン系だわね。


諦めた頃に、「明日の同じ時間に」と来た。


やれやれと思いながら、でも顔を見て話せることにワクワクしながら待つ。
繋がった! 9年ぶりの再会!
元気でいてくれて良かったとお互いにホットする。


都知事選挙を終えて思うこと

2020年07月06日 | 日記

昨日、都知事選挙が20時に終わった途端、小池現知事の当選確実が発表された。

「えっ、今終わったばかりで、投票箱も開けられていないはずなのに・・・」なんか、不思議な、嫌な気持ちになったのは私ばかりではないでしょう。

「どうしてわかるの?」と言うのが素直な疑問。

昔は、選挙のあと、深夜までテレビにかじりつき、誰が入るか、ワクワクしながら結果を待ったものだったが、今はいくらテクノロジーが発達したとはいえ、1分も経たずに、当選確実が発表される味気無さ。

これが投票率の悪さにも影響していると思われて仕方ない。

 

小池知事の当選を云々言うつもりではない。 私は投票率の悪さを嘆く。 37.32%(翌日の朝の時点で)だと。

世の中の政はたった、4割の人の意見で決まるのか。しかも当選者は選挙権のある人の4割で当選したのではない。

もっと少ない割合で選ばれていることになる。

 

今の国政だってそうだ。 圧倒的に自民党が人気があって選ばれているのではない。

無関心の人が半分以上いるのだ。

でも、実際生活に不都合が出れば文句をいうのは全員なのだ。何かおかしくない?

 

幸いにも私の周りには意識の高い方ばかりがいて、選挙に行かないなんて言う人の方が少ない。(党派は全く関係なく、組織でもなく)

ある知り合いは、選挙のために実家から新幹線で帰ると投稿していた。私たちの先人が頑張って取得した選挙権を行使しないのは申し訳ないと。

 

まさに、その通りと思った。その時に、ふっと園田天光光先生や市川房江氏のお顔が浮かび、女性参政権のことを思い出した。

今から100年くらい前には女性には参政権が無かった。私たちの先輩たちは、「これはおかしい」と戦って戦って、やっと女性にも選挙する権利を勝ち取ったのだ。

だが、今はその権利さえ捨てられている。

 

私の好きな平塚らいてうの『青鞜』の巻頭言に書かれた言葉。

【元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。

今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である。

さてここに『青鞜』は初声を上げた。

現代の日本の女性の頭脳と手によって始めて出来た『青鞜』は初声を上げた。

女性のなすことは今はただ嘲りの笑を招くばかりである。

私はよく知っている、嘲りの笑の下に隠れたる或ものを。】

 

私たち女性は、太陽であるのだと。温かく周りを照らす太陽なのだと。

その女性たちが政治にもっと参加したら、世の中はもっと良くなるのではないかと思えてならない。

少なくとも、女性の選挙権のある人が全員投票したら、世の中は変わってくるはずなのだが。

 

私たちは、月であってはならないと。

誰かが何かしてくれるだろうと、何もしないで甘えて文句だけを言っていてはいけない。

まずは、権利を行使するところから始まるのだから。

もっと自立しようよ。

 


今でしょう!今!

2020年06月19日 | 日記

《白神の森の精》 Photo: GOTOH Chiharu

今年ももコロナ騒動の中で、早くも半年が過ぎようとしています。
そんな中で、私は今、マヤ暦を学んでいます。
 
マヤ暦を学んでいると、「0の概念」と言うのが出てきます。
このところ、色々な言葉が多角的に私のところにやって来て、しかもみんな繋がっているように
思えて来ました。シンクロしているのかしらと。
 
【「0の概念」 断捨離をして執着を無くすと、心配や取り越し苦労もなくなります。人事を尽くして天命を待つ、すべてを天にゆだねる、任せることで真の自由を得れれる】と解説されていました。
 
丁度、『私は今、断捨離をしており、要らなくなったものをただで譲るコミュニティがあると知った』とFBに投稿したばかり。
断捨離をしているのは、今だから。(前からずっと思っていたけど、中々出来ずにいて、スティホームで家にいる、時間があるからでもあるのだが)
このコロナパンデミックで考え方、生活が大きく変わってきて、気づき始めていることが多々あり、その1つに自分自身を削ぎ落そう、つまり物も人間関係もしがらみも過去も、すべて断捨離しようと思えてきたからでもあります。
 
そう、お陰様で家も心もスッキリしてくるので不思議。今に焦点を当てたら、今まで大事にしまっておいた過去の物など、どうでも良くなってしまう不思議。
これからは本当に縁があれば、必要ならば、また出会えるでしょうし、戻って来るでしょうからと、キッパリ捨てています。
新しい人生へ旅たつのに、荷物は多く持てないし、重荷になるだろうからと。
軽くないと「ステップ軽く」とは行かないからね。
 
次に【意識することの大事さ】
【カラーバス効果】というのがあって、私たちの脳は視覚から入るものすべてを処理していると膨大な量になるので、その中で意識しているものを選択をしながら情報処理しているのだそう。
何気なく周りを見回して、ふと今、赤の物は何があったか思い出してみる。
今度は「赤」を意識しながら、周りを見回してみると、赤いものが目に入ってくるようになる。
ということらしい。
私は赤い車を購入してから、やたらと近所に赤い車があることに気がつきました。笑
 
だからこそ、大事なのは、【意識をすること】で、
何を意識するかで入ってくる情報が違ってくる。
入ってくる情報も違えば、その後の行動も違ってくる。
つまり、人生も変わってくる。
私の意識することは、「今に焦点を当てること」これかな。
今何をするか、何をするべきか‥‥。
 
そして、【人事を尽くして天命を待つ】 これもどこかで同じようなことを投稿した気がして…。
今を一生懸命生きていくということに焦点を当てると、この言葉も生きてきます。
つい最近、友人がFBで投稿していた話に、
イスラム圏では、物事を言う時に、必ず「インシャラ―(神のご加護を)」という言葉を付け加えるのだそうです。例えば、「10時に打ち合わせいたしましょう、インシャラ―」と。
つまり、「打ち合わせできますよう、神のご加護があれば」という意味らしいのですが、今このコロナの時には、まさに、すべてが「神のご加護を」と願うしかないとありました。
コメントで「宇宙に沿って」とか、「天のままに」とか、やるべきことをやって「インシャラ―」ですねと話が盛り上がりました。
宗教とは関係なく、「インシャラ―」とは素敵な言葉だと思いました。
すべて、やるべきことを一生懸命やった後は、「インシャラ―」で良いのではないでしょうかね。
 
今日も素敵な一日を!
 


コロナは変化のきっかけとして

2020年05月19日 | 日記

約半年前に、誰が今の世界を想像できただろう。

1月に中国武漢から始まった新型コロナウィルス(Covid19)の蔓延。

あっという間に世界中に広がり、都市封鎖、ロックダウン、非常事態宣言。

5月の半ばを過ぎた今、私は2ヵ月近く、散歩を除けば自宅からスーパーと銀行にしかに出向いていない。

人との会合はすべてオンラインになってしまった。

だから、オンラインが出来ない高齢者の方とは時々電話で話すか、メールのやり取りしかできない。

 

すっかり生活形態が変わってしまった。

 

2020年は大変な変化の年になるとは聞いていたが、やはり対岸の火事的に聞いていて、こんなことが起こるとは思いもしなかった。

 

いよいよ、コロナが世界に広まって、「んんん?」となって来た頃から、これはただ事でないかもと思い始めたのは私だけではないだろう。

 

さてさて、この4か月あまり、あれよあれよという間に沢山の人々が亡くなり、医療現場は大変だとの悲鳴が聞こえ、毎日それ一色で報道されるコロナの恐怖情報。

何もわからぬまま、「ヤバイかも」と自粛を素直に受け入れて、人とも会わず、玄関にはアルコールを置いて外から帰宅すれば真っ先に手を消毒する。

そんな生活を2ヵ月以上。

 

でも、ここにきて、この現象を冷静に見れる自分が出来てきた。

何のために、コロナが起こったのだろうか?

私たちはこのことで何を感じ、何を考え、何をするべきなのか。

これは単なる1つの現象だけなのだろうか?

 

人々の死の恐怖とは反対にコロナによって良かったこともあった。

武漢が都市封鎖になり、しばらくして人工衛星から見た中国の上空が綺麗になっている写真。

泥水のようなガンジス川が澄んだ水になっている不思議。

生産活動が止まり、CO₂排出は確実に減った。

オンラインで色々なコラボが生まれ、人々のエールもたくさん生まれた。

芸術や演芸の新しい楽しみ方も思いついた。

私たちは何かに気づき始めている。

 

誰もが口を揃えて「世の中はコロナの前には戻れない」と言う。

 

しかも、

『今年は大変な年』なんて軽い言葉で表すほど簡単ではなくて、明治維新や第二次世界大戦後の世の中がガラリと変わった時のような、

価値観が変わり、制度が変わりと、世界が変わる『大変換の年』らしい。

私たちが今まで当たり前と思っていたこと、正しいと思っていたものなど、信じていたものの嘘が暴かれて、

現実を知るのだそうだ。

 

どうも「ただ変化が起こるのなら、じっとうずくまって嵐の去るのを待てばよい」とはいかないらしい。

 

思想が変わる、制度が変わるだけでなく、コロナの場合は死の恐怖もあり、

経済危機がやって来て生活が困難になる可能性も多々ある。

そのうち、食料危機もやって来るだろう。

でも現実には大変なのだけれど、ちょっと距離を置いて物事を眺めることも大切かと。

 

あふれかえるネガティブな報道に翻弄されることなく。

情報を選びながら。

何が正しくて何が間違っているのか、とても判断は難しいが。

 

この変動の波を乗り切るためには何をしたらよいのか?

本当に大切なものは何なのか?

 

コロナにおびえるだけでなく、本当はこちらの方が重要かと思えてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


笑いヨガ(ラフターヨガ)

2020年05月01日 | 日記

【笑いヨガ】(ラフターヨガ Laughter Yoga) なるものがあると知ったのは最近。

シンガポールの友人がそのインストラクターをしていて、FBにアップしていたから。

ところが、昨日TVのニュースで日本の「笑いヨガ」を紹介していて、これって日本にも前からあるのだと知った。

このコロナの出来事で、一番大切なのは自己の免疫力をアップすること。

笑いは免疫力をアップさせるのに役立つとは知っていたのだが…。誘われてサロンに入ってみた。

いわば、笑いと深呼吸での健康体操。道具も場所も無くてもどこでも出来る。

 

ところが、発見!!! 笑うってこんなに大変だったの! (私の場合、シャイだからね)

 

自分はどちらかと言えば、笑顔を絶やさない人だと自負していたが、そんなことは無かった! 笑顔と笑うのは違うのだ。

落語を聞いたり、コメディーを観たりで笑うのとはちょっと違う。

何もないところで、アハハと笑い出すのだから。

 

私は根っからのシャイだから、いきなり笑えと言われても、大声でアハハ、アハハ、ホホホ、ホホホと笑えない。しかもパソコンの画面相手に部屋で一人で笑っていたら、家族は何と不思議がるかと思うとなおさら、小さな声になる。

いや、思っていたのとやってみるのでは大違い。自分のことがよく分かった。

 

ところが、2回目、恥ずかしがらずに意を決して笑ってみた。

笑いを誘う動作がつくので、少しは笑いやすい。

 

笑うって、誰でも簡単に出来るものだが、意外と笑うことをしていないと気がついた。

これも習慣なのだと。

 

インドから始まって、世界100ヵ国でこのクラブがあるらしい。

 

毎回、シンガポール、マレーシア、香港、ベトナム、メキシコなどの人と20分、ただ笑いあうだけ。

う~ん、続けてみたら数か月後には少し変わるかな。

毎週木曜日の12時(日本時間)から20分です。

https://www.facebook.com/saralaughteryogasingapore/

 

 

 

 

 

 

 


たいせつなもの

2020年04月16日 | 日記

娘たちの幼馴染、仲の良いママ友のお嬢さん、石井麻土香さん(声楽家・ミュージカルシンガー)が癒しの歌声をYouTubuにアップしていました。

小田和正さんの「たいせつなもの」。綺麗な歌声です。

 

Cover by @madnne (石井麻土香) Twitter

 

 

最近行ったビジネスミーティングで、「このコロナウィルスで良かったことは何ですか?」と聞かれました。

コロナで良かったことなんてある? 

人は病気にかかり、亡くなっていく・・・。

仕事はできなくなり収入が途絶えていく・・・。

未来が不安でしょうがない・・・。

 

みんなの口から出ることは、良くなかったことばかり。

 

だけれど講師曰く、「コロナで良かったこともあるはずです」と。

 

考えてみれば、

家族全員が家に居ることなんて、そうそう無いし、話す機会も増えてるし、

運動不足でみんなで犬の散歩など行ったり、

娘がキッチンで何か作ってくれるし・・・・・等々。

 

都内で開催しようとしていた勉強会もオンラインですることになったら、

東京以外からの出席も可能になったし。

今まで考えてもいなかった事が、普通に行われるように変わっている。

 

例えば、上記のオンラインでの歌声。

 

自分が出来ることで、誰かのために、そんな行いが人々に広まっている。

 

あまりにも開発開発、進歩進歩で世の中が進んできたけれど、ここでもう一度立ち止まり、

本当に大切なものは何かを考え直しても良いのではないだろうか。

 

先日言われたのだった。

「大切な人と会っておきなさい。会えなければ話しておきなさい。手紙でも良いから」と。

 

この際だから、みんなでやろう!

大切な人に「元気?」と声をかけよう。(会えないからね)

 

きっとそんな相手を思う気持ちが、コロナに打ち勝つ波動になるだろうと。

「ありがとう」「愛している」と伝えよう。


新しいステージへ向けて

2017年01月15日 | 日記

先週のある日、朝の出勤時にFBを読んでいたら、こんな記事を見つけた。

【思わないことが実現するわけがない】
 

「信じる通りになるのが人生である」
僕はこの言葉を自分で色紙に書いて
目のつくところに置いています。
 

自分でこうなりたいと思っていることもなれないのに、
思わないことが実現するわけは絶対にないのです。
だから信じる通りになるのが人生ということですな。
 

しかし世の中の人はみんな信じない。
頭のいい人ほど先が見えるから信じませんね。
できるわけがないと思ってしまう。
だからむしろ鈍才のほうが教育しやすいですね。
 

物事を実現するか否かは、
まずそれをやろうとした人が『出来る』と信じることから始まる。
 

自ら『出来る』と信じたときに、その仕事の半分は完了している。
 

永守重信 (日本電産社長)

Good Day!!
2017年1月11日 

【西尾仁さんのFBアップ】より

 

これを読んで、『どうして 【今】 私のところへ?』と思ってしまった。

出来ると信じれば、その仕事は半分は完了してりる、まずは出来ると信じることからだと。

 

新しいステージへ向かおうと決めた。

でも今を手放すことへの不安に、まだ一歩目の足を前に出すのをためらっている自分がいる。

そんな時にこの話に出会った。

私に言っているの? まさにそんな感じで。

 

その日の午後に今度は、偶然動画でまた【出来る】と遭遇した。

ある幼稚園児が飛べない跳び箱に挑戦しているのだが、泣きながらやってもなかなか飛べない。

そこで先生が、「年長さんみんなで力を貸してあげて」と声をかけると、学年全部のお友達が出てきて、

円陣を組み、『出来る、出来る、出来る』と掛け声をかけるのである。

みんなが戻ると、その子は自分でも「できる、できる、できる」と声を出しながら、今度は一発で10段の跳び箱を飛んでしまった。

 

はぁ~、今日は2回も「出来る」と声をかけられてしまった。

 

今の私へのメッセージなんでしょうね。

「出来る」とまずは自分が思うことだと。

こんな私も、先月の誕生パーティーでは自ら「枠を超えて、出来ると思えばできるんですよ」とメッセージを発信しているのに、

そして1か月でマイケルを覚えて踊ったのに。

何とも情けないことで。

セーフティーゾーンから抜け出すのは、本当に怖いものですね。

 

でも、結論は決まっているの。 『出来る』と信じよう。そして踏み出そう!

 

 


2017年も晴れやかに明けました

2017年01月02日 | 日記

明けましておめでとうございます。

2017年、富士山も綺麗いに美しく姿を現し、私の年明けも清々しく迎えることができました。

今年の皆様のご多幸をお祈りいたします。

 

さて、私ですが、昨年の12月20日にクリスマスを兼ねた還暦祝いのパーティーを行いました。

この会は皆様に「おめでとう」と言って頂くよりも、ここまで生かせて頂き、お世話になったお礼の「ありがとう」を言わせて頂きたいと思って企画した会でした。

永六輔さんの言葉をお借りして

「生きているということは、誰かに借りをつくること。 生きてゆくということは、その借りをかえしてゆくということ」

その借りをお返し致したく、御礼の会をしたのですが、結局のところ、多くの方にご協力頂き、ご出席の方々も含め、皆様にさらに借りを作ってしまいました。

人間は、所詮一人では何も出来ないのだとつくづく有り難く、感謝でした。

 

会の5日前に偶然お会いした、ソプラノの宗田舞子さんに歌って頂きました「ひらがなの生き方」。

これが今の私の気持ちをぴったり表わしていると思い、ご無理を言ってお願い致しました。

『あいしています、いまここに、うんでくれて、えらんでくれて、おかあさん、あいしています。

かんしゃしています、きれいなこころに、くじけないこころに、けじめのあるこころに、こびないこころに、かんしゃしています

さがしています、しんせつにしてくれたひとを、すてきなことをおしえておしえてくれたひとを、せいせいどうどうとしていたひとをしていたひとを、そっとしておいてくれたひとを

たいせつにします、ちちははのこと、つかのまのこと、てまひまかけること、としをかさねること

なかないようにします、にくまれぐちをいわれても、ぬれぎぬをきせられても、ねたまれても、のけものにされても、なかないようにします

はんせいしています、ひねくれたこと、ふへいをいったこと、へんけんをもったこと、ほかのひととくらべたこと

まんぞくしています、みんなのおかげさまだと、むすばれたごえんだと、めぐまれているからだと、もったいないことだと

やくそくします、ゆるがないいきかたを、よりそうことを

らしくいきていきます、りんとして、るいせんをゆるめても、れんめんともせず、ろまんをわすれず

わらいをわすれないことを

あいしています、いまここにうんでくれて、うんでくれて、えらんでくれて、おかあさん、あいしています』

村上信夫作詞

 

こんな歌があったのですね! なんと言うめぐり合わせ。

 

それもこれも、ご縁ですが、合わせて下さる方がいてのこと。

そして、思うのは何でも素直に「はい、喜んで」と受けることだと。

 

「チャンスの神様は前髪しかない」と。 躊躇して、つかもうと思った時には通りすぎて後ろ髪は無いのでつかめないと。

ご縁もチャンスの内。

「林さん、思うだけではダメなのよ、行動あるのみよ」と大先輩からの激励。

枠をはずして、思うようにやってみようと思い、その先駆けとして、誕生会でダンスを披露。

「60歳になっても、出来ると思えば何でも出来る」

その例を皆様にお見せして、少しでも勇気と希望を持っていただけますように、恥を忍んでマイケルジャクソンを踊りました。

振付と一緒に踊って頂いたのは美帆先生です。

美帆先生との出会いもご縁でした。

まさか、新国立劇場のファーストソリストの方と一緒に踊るなんて、夢にも思ってはいなかった出来事でした。

 

こうして素敵な沢山の巡り合いに感謝して2016年は終わりました。

2017年も素敵なチャンスには飛び込んで行きたいと願っております。


出会いが人を変える

2016年10月10日 | 日記

人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり。 ひとたび生を得て滅せぬもののあるべきか」

そう、信長が桶狭間の戦いで舞いながら詠んだ一節です。


あの頃は人生は50年だったのでしょうね。

私は今月、還暦を迎えます。 

人生60年、よくぞここまで生きてきたものだと、いやむしろ、ここまで無事に生かして下さったものだと一重に感謝しかありません。

親であり、パートナーであり、子供たちであり、姉妹であり、よき友人たちであり、さまざまな師匠であり、色々なことで関わって下さった方々に

心からお礼を言いたいと思っております。

今、幸せだと思えることに心より感謝です。


人生には多くの出会いがあります。

先日、ある方のご紹介で木全ミツさんにお目にかかれました。

木全ミツさんは、東大の医学部を出て、労働省に入省、色々なプロジェクトを成功させ、緒方貞子、赤松良子、黒川内久美に続いて4人目の女性の国連公使としてNYに単身赴任。

労働省退官後はザ・ボディショップジャパンの初代社長として130店舗を展開し、10年勤めた後、あっさり次の世代に道を譲り、

その後はNPO法人女子教育奨励会(JKSK)を設立された方です。


「JKSK」とは「女性の活力を社会の活力に」(Empowering Women Empowering Society)という会です。

その古めかしい「女子教育奨励会」のお名前を付けられたご縁には、渋沢栄一さんが関係しておりました。

この「NPO法人女子教育奨励会」がつくられるミーテイングのメンバーに渋沢栄一さんのひ孫の渋沢雅英氏がいらしたのだそうです。


【時は、江戸から明治に。男たちはチョンマゲを切り、背広を着て、『日本は近代国家の仲間入りをするのだ』との思いで、

渋沢栄一、勝海舟、伊藤博文たちはヨーロッパ視察に訪れた。

そこで彼らは、大英帝国の貴婦人たちに太刀打ちできる日本女性を育てる必要性を痛感した。

着物を脱いで、ドレスをまとっただけでは、だれも日本を近代国家とは認めない。

帰国後、渋沢栄一らが中心となり、当時のリーダーたち179人に声をかけ、身銭を切って創設されたのが、「女子教育奨励会」であった。

早速、東京女学館の設立に取りかかる。(伊藤彩子著 「仕事は『行動 やったこと』がすべて」より)】


ここから「NPO法人女子教育奨励会」は創設されたそうなのですが、こんなところで東京女学館が出てきて、こんな思いで設立されていたとは。

私の母校でした。


なんと不思議な縁。


15歳の時にその学校に通い、45年経った今、また「女子教育奨励会」に縁することとなりました。


木全さんはすべてにポジティブなお考えの持ち主で、「前例がなければ作ればいい」「すべては結果、やったことのみが物語る」と、

ひたすら行動されて周りを魅了されていく方。

仕事も、子育ても、家庭も、介護も、すべてに全力で行動されるそのお姿に深く感銘し、勇気づけられ、「私もやらなくっちゃ」と思わせて下さる生き方をされている方です。


先日、アジア太平洋女性連盟の国際会議に出席して、女性の問題に対し、アジアの各国に触発されてきたところ。

今また、「女性の活力を社会の活力に」という会に巡り合ったのも何かのご縁でしょう。


人生80年、今後の20年に何をなすか、ワクワクしてきたところです。











「クロージングの心理技術21」 書店では手に入らない本

2016年03月17日 | 日記

書店では手に入らない本をご紹介いたします。

皆様もよくご存じかもしれませんが、ダイレクト出版のビジネス書。

今回私がご紹介するのは「クロージングの心理技術21」

 

営業、セールスをしている方なら、いえ経営者でも一番気になる、要の「クロージング」ですね。

一読して損はないと思い、ご紹介いたします。

http://directlink.jp/tracking/af/1407848/pSw71woV/

 

なかなかこの会社(ダイレクト出版)のやる企画が面白いと思い購読して応援しています。

経営者は常にアグレッシブにいかなければね!

 

どんな本かご覧になるだけでもぜひどうぞ。ハマります。

http://directlink.jp/tracking/af/1407848/pSw71woV/

 

セールススキルを高めたいという方もぜひ一度ご覧になってみてください。

http://directlink.jp/tracking/af/1407848/pSw71woV/


日本中が悲しみに包まれた日

2016年03月12日 | 日記

昨日、2016年3月11日 14時46分 事務所のみんなで黙とうを捧げました。

誰も何も言わずとも、自然に黙とうになっていました。

 

5年前の昨日、日本中が悲しみに覆われた日。

何が起きたかもわからず、その後は映画を観ているような事実に言葉を無くしていました。

 

その後、溢れるように流れる報道にいてもたってもいられず、 2週間後には読み聞かせの会の10人の母親たちが発起人になり、日本中から新品絵本を1500冊集めて被災地の避難所や児童館、図書館、幼稚園などへ送らせてもらいました。

被害のひどい所へは宅配便も届かず、送り先を探すのも本当に苦労しました。 あのパワーは何だったのか。

その2か月後に仙台市の閖上を訪ねた時には、民家に乗ったバスや小学校の校庭にある船や壊れた自動車、残っていたランドセル、泥の中から集めた写真などをこの目で見て、あまりの衝撃に涙さえ出ませんでした。

体育館の避難所での生活、何キロにもわたる何も無くなった大地。

どれを見ても心が固まってしまったように、これ以上の悲しみを受け入れたくないと拒否しているように、涙も出なければ、心も動かないような自分がいたと思います。

それでも少しでも何かできないかと、子供の洋服を集めては、でこぼこの東北道を走り、何も届かない被災地を探して、仮設住宅のドアを1件1件叩いては「子どもの洋服はいりませんか」と歩きました。

そのぐらいしか出来ることが思い浮かばなかったのです。

1年後には福島を応援するため、同意してくれた日本中のアマチュア300人の演奏者とで「楽器を持って集まろう」という演奏会も開きました。

 

時が経つにつれて支援の仕方も質も変わっていき、今では何も出来ることが浮かばなくなりました。

家族を亡くされた方々、住む家や町を無くされた方々、環境が変わってしまった方々、私たちは当事者にはなれないという現実。

どんな言葉を述べても、薄っぺらく感じて、出る言葉さえなくなりました。

何をしても、被災していない私には本当の悲しみまでは感じ取れないだろうと。

 

今はただ祈ることだけが、唯一できること。 日本中が幸せになるようにと。

亡くなられた方のご冥福を、家族を失った方の心が癒されることを、心からお祈り申し上げます。

 

 

 


自然は意地悪に、老いた者を愚かに見せる

2016年01月15日 | 日記

FBに掲載された文章にグッときたのでシェアします。 

この記事が事実でなく、作られたものであったとしても、私はこの文を読んで胸に刺さりました。

階下に住む86歳の母を思い浮かべてしまいました。

 

誰でも平等に歳を取り、衰えます。物忘れ、身体のきしみ、痛いところだらけ。

頭も体も回らなくなって、よぼよぼ歩いて突き飛ばされそうになったり。邪魔者扱いされたり。

でも、みんな元気で輝いて、頭も冴えて、いつも笑っている20代だってあったのだと。

子育て真っ最中の30代、つらい事や苦し事も乗り越えた40代50代。

急に80代になったわけではない。

 

だけど二人の娘はいつも時間に追われ、年老いた母に会えば、ここが痛い、あそこがどうのと言われるので自然足も遠のきゆっくり話も聞かない。

若い時みたいにシャキシャキはしていない、危うく魚を焼いてはボヤになる寸前、テレビを見てはいらぬ知識ばかり増えて・・・。

 一人でご飯も作り、一人で洗濯もして自立して生きているのに、娘たちの態度は愚か者を見るごとく、「ダメじゃない」と。

 

そんな母だって20代はあったのだ。 輝いてダンスをしていた頃だってあったのだ。 

私たちを生んで楽しく子育てしていた時だって。

 

もっと母も含め、年配者に敬意を持たなければとハッとした。

彼ら老人の人としての尊厳を冒してはならないと。

愚か者扱いしてはならないと。

 

自分だっていつかは同じ歳に行き着くのだ。

 

もっと母を敬い、優しくし接しようと、自分の事を振り返った手紙でした。 

(以下FBより)

********************

ある老人ホームで彼の死後見つかった手紙より

 

介護士さん、何が見えますか?

私を見るとき、何を考えますか?

気難しい老人で、賢くもなく、

行動も読めなく、遠くを見つめてる。

食べ物をこぼし、返事もしない。

「自分で試せば」と言うあなた。

でも私はそれ気付いていない様子。

靴下や靴がいつも無くなる?

いつも抵抗し、意に沿わない、

風呂も食事もある長い日だっていうのに?

何を考えます?何が見えます?

目を見開いて下さい。あなたは見てない。

私が誰か言います。

じっと座りながら、命令を聞きながら、食べさせられながら。


私は10歳の子供、父と母と共に、兄弟姉妹と共に愛されて育つ。

私は16歳の少年、足に羽が生え、これから出会う、愛を夢見ている。

私は新郎になる20歳、心が躍り、結婚の誓いを必死に覚える。

25歳で、自分の子が出来て、教えることを学び、楽しい家庭を守る。

私は30歳の男、子供はすくすく、結婚の絆は硬くなり、長く続く気がする。

40歳で、育った息子は旅立つけど、奥さんと一緒だから寂しくもない。

50歳で、今度は孫が足に纏い付く、でも奥さんと私は慣れているから、子供も楽。


暗い日が来て、奥さんが亡くなる。

将来を考えても、不安に怯える。

子供たちはその子供たちを抱え、過ぎた年月と、愛について思う。

今の私は老人。自然は意地悪に、老いた者を愚かに見せる。

体が崩れ、気品と活力を失い、心のあった所には、今は石がある。


でもこの体には、若い男がまだ宿り、今また再び、ボロボロの心が腫れ上がる。

私は楽しさを思い出し、痛みを思い出し、

愛することと、生きることを再び体験する。

人生を振り返り、それが短くて、早くて、

永遠が無いという事実を受け入れなければ。

だから皆んな目を開いて、見てください。

気難しい老人ではありません。

見てください、私を!