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加賀藩は金沢城、瑞龍寺の屋根を鉛瓦で葺き、戦時に砲弾を造る供えにしたと云う。又、加賀藩が流罪地としていた五箇山では鉄砲の火薬を造る為の煙硝を製造していた。そのやり方は、人尿を合掌葺きの高床式の床下に撒き、その上で囲炉裏の火をガンガン燃やして蒸発を早くしたと云う。尿は各地から五箇山に山越えで送られ、出来た煙硝は富山県福野の山中から金沢の湯涌温泉に至る山越えの道を通って密かに金沢に運ばれたと云う。これは「煙硝の道」と呼ばれたと云う。加賀藩は五箇山を流罪地としてカムフラージュして、実際は徳川幕府に隠れて罪人に火薬を製造させていた。流罪地の警備が厳しいのは当然だが、外部から密偵が入る事も防いでいたと云う。