🔻「赤丸浅井城」には、「室町幕府越中守護 畠山持国」の記載が在る。
●『越中五位庄』の記録!!
⇒「室町幕府第三代将軍足利義満」が「相国寺」(※「鹿苑寺金閣」)に寄進した後も足利家菩提寺の「等持院」・「等持寺」の庄園として続いた越中の庄園。
■「万山編年精要」(※「万年編年精要」、「相国考記」)(応永12年7月11日条;1405年)には、「足利義満」が日野夫人の追善料として「五位庄」を京都相国寺に寄進した事が記載される。(※「富山県史 中世」)
義満が相国寺に寄進する前は、「斯波氏」の所領であった事が永和二年(※1376年)の「越中守護斯波義将内書案」に見られ、(応永20年;1413年)3月18日付の「斯波義郷奉行やなた某書状案」(※東寺百合文書)により斯波義郷が奉行で在った事が判る。後の、応永22年(1415年)10月には「足利義持」が「五位庄」の半分を「京都等持院」に寄進した事が富山県史中世編に記載されている。
(※足利義持御判御教書案・等持院常住記録)