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赤丸米のふるさとから 越中のささやき ぬぬぬ!!!

「勧進帳」の真実、富山県高岡市福岡町赤丸村の消された歴史⇒「越中吉岡庄」から「五位庄」へ

🔴 富山県民が知らない【歴史の真実】➡【越中国之絵図】(大阪府羽曳野市資料叢書) 室町幕府直轄領【御料所】で在った【越中国五位庄】!!

2021-04-14 | 富山県高岡市福岡町赤丸村
●室町時代の【越中国之絵図】(※大阪府羽曳野市[羽曳野資料叢書])に見られる「歴史の真実」!!

この絵図は富山県の歴史書では見た事が無く、一般的に室町時代の越中の状況は「推定」の地図資料が使用されていた。この度、羽曳野市教育委員会から「羽曳野市史」、「羽曳野資料叢書」を入手して、室町時代に「越中守護」として越中に君臨した「畠山文書」の調査を行った。「畠山氏」は、「本国 羽曳野市」で在ったが室町幕府の足利家同族として幕府の重職を担い、「越中」、「能登」、「紀州」等の諸国を統治して、「室町幕府守護」、「室町幕府管領」として歴代、幕府の中心に在った。富山県では、室町幕府で実際に越中を統治した「室町幕府」の【足利将軍家】や足利一族で「幕府管領」・「幕府守護」を勤めた「畠山一族」、「室町幕府政所代越中蜷川一族」等の研究が、「神保氏」等に比べて極めて少ない。これは、越中には「源平盛衰記」でも著名な「越中石黒氏」や「宮崎氏」、「井口氏」等の国人に脚光が当たっていた事も関連が深い。時代の経過と共に「越中の歴史」は忘却の闇に消えようとしている。特に「越中」の中世研究は少なく、他県に比べて保存資料も少ない。これは長期に亘り他県からの統治を受け続けた為に、歴史資料が富山県に遺っていない事とも密接だ。しかし、その為に、富山県の歴史が推測や誤解の積み重ねの上に作り上げられている事を容認すべきでは無い。特に、高岡市では、「史書」である「高岡市史」にすら「資料編」が存在しない情けないものである。その歴史資料は殆どの重要資料が石川県立図書館や金沢市立玉川図書館に修蔵されている為に、富山県の住民は殆どその資料を目にする事も無い。その為に伝聞や憶測がそのまま歴史として認識されている。その間隙を縫って「吉田神道」の様に意図的に作り事を吹聴した者達が居た為に、「高岡市の歴史」の様にデタラメが真実と混同して伝えられている。それに気着いた者達も周辺や権力者に忖度してそのまま放置し続けてきた。今や、その偽造された歴史は回復が困難な程に鉄板の「信仰」として伝えつづけられている。歴史的な真実は一つしか無い。歴史教育を怠ってきた「教育委員会」はその最も重罪犯である。「教育」と云う権力に隠れて嘘やデマを吹聴する「教育委員会」にその存在意義は無い。



◆【赤丸浅井城】には【越中守護畠山持国】、【福満城】に【石黒氏】、【木船城】には【遊佐氏】の記載が在り、近年迄富山県の歴史書に記載されていた内容と異なる記述も見られる。


◆「富山県」発行の「富山県のあゆみ」には、越中で唯一、「天皇家庄園」として続いた「越中吉岡庄」は認識もされていない。











🔴💢【高岡市の教育を阻害する吉田神道高岡関野神社の正体】
天皇家の「伊勢神道」に対抗して、神道を簒奪した「吉田神道高岡関野神社」を信奉する「高岡市の指導層」や「加賀藩恩顧の高岡の裕福な町民達」が高岡市役所や高岡市の様々な部署に浸透して、【高岡市の裏社会】を構成しており、「近代高岡市の発展」を阻害している。
高岡市役所は「前田利家」を密かに天皇に例えて天皇の象徴の「鳳凰」の像を高岡市のシンボルとして各所に設置して、広報でも「高岡市」の起源は「前田利長が採用した[鳳凰鳴けり高き岡に]から来ている」としている。「鳳凰」は誰でも知っている「天子」・「皇帝」のシンボルで在り、天皇や皇帝の衣裳しか使用できない紋で在るにも関わらず、何故か天皇と直接関係が無い「旧高岡市」へ来ると、市街地のアチコチに「鳳凰像」を見かけ、無知蒙昧な一部市民達は、これが「高岡市のシンボル」だと説明している。それにも関わらず、平安時代の「保元の乱」以後「後白河上皇」の庄園に成った富山県で唯一の皇室庄園「越中吉岡庄」(五位庄赤丸村他)については「延喜式内社赤丸浅井神社」には伝えられていたものの、「富山県の歴史」や「高岡市の歴史」では今迄、歴史の俎上にすら上った事は無く、加賀藩時代には吉田神道の影響でこの庄園についてのあらゆる記載すら消し去ろうとしていたフシが見られる。







■憲法で定められた「象徴 天皇家」や「伊勢神道」に密かに対抗して高岡市の旧町民達は「前田家」を核にしたクーデターでも企む気なのか?
高岡市の旧町民達は、「高岡御車山祭り」が「吉田神道高岡関野神社」の祭礼行事で在る事も知らないのか、この祭り自体が伊勢神宮の権威を奪い、天皇家に反逆する者達の「吉田神道」の祭りと成っている事を知らないのか、熱狂して受け入れている。その顔は新興宗教を信じる人達と同じ、熱狂的で輝かしい顔に満ちている。この姿を見ると、「何処かの新興宗教が作り上げた街」を思い出して慄然として恐怖感すら覚える。

🔽「吉田神道の正体」(参照)
https://honz.jp/articles/-/21325


■後鳥羽上皇の庄園「越中吉岡庄」(五位庄赤丸村)に在った「後鳥羽上皇」ゆかりの「総持寺」(現在、高岡市関町)は、「高岡市教育委員会」に拠れば「元々高岡市石堤村に在った」と偽造して機関紙迄も発行している。総持寺の「国指定重要文化財木造千手観音座像」について国が発行した「国宝概説」には明確に「元々赤丸村に在った」と記載されているにも関わらず、高岡市選出の富山県議をしていた自称郷土史家の「飛見丈繁氏」は「吉田神道高岡関野神社」が主張した【総持寺は元々高岡市石堤村に在った】とする主張を受けて、「国宝概説」の「赤丸村に在った」と記載されている部分を「筆者言う 高岡市石堤村の誤り」と改竄して図書を出版して各施設に配布した。この背景には高岡関野神社が「赤丸浅井神社」の末社の「石堤浅井神社」を関野神社の配下にする神社簒奪の企みが在った。高岡市教育委員会はこの動きに便乗して「高岡市の広報誌」に「総持寺は高岡市石堤村に在った」と広報し、現在もその姿勢を変えていない。そこには「吉田神道高岡関野神社」の作為を弁護しようとする明確な意図が在る。これが高岡市の教育を統括する「高岡市教育委員会」の本性で在り、「歴史の偽造を目指した高岡市教育委員会」の真の正体なのだ。この様な詐欺師達が高岡市の幹部達、教育委員会を牛耳っているのだから、高岡市が破綻するのも尤もな話しだ!!







■【高岡関野神社の正体】
「吉田神道高岡関野神社」の「赤丸浅井神社」の神社簒奪の動きを報じた地元の「郷土誌」




◆加賀藩は「赤丸浅井神社」の主張を是として「吉田神道高岡関野神社」の一派に「敗訴」を宣告しているにも関わらず、明治維新に乗じて吉田神道を強化しようと企んだ「吉田神道関野神社」は高岡市役所の中枢に入り込んで、「高岡市役所」自体を教化して「吉田神道」で洗脳した。
その為に、かつて加賀藩が裁判で確定した「延喜式内社赤丸浅井神社」とその末社の「石堤浅井神社」の神社簒奪騒動を現在もブリ帰して、「吉田神道高岡関野神社」の思想を新生高岡市にも普及しようと企んでいる。その為に高岡市の財政は食い尽くされ、かつて無い「財政危機」をもたらしている。





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