■室町時代の法要記録に【越中国利波郡五位庄赤丸村】が初めて登場する。
富山市蜷川の「蜷川新右衛門」の菩提寺「臨済宗最勝寺」を開いた「亀阜豊樹」が「川人山鞍馬寺」・「赤丸浅井神社」で「赤丸村住藤原直家」の父親の十三回忌、十七回忌法要を営んだ記録に、【利波郡五位庄赤丸村】が歴史上、初めて登場する。
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■富山市蜷川の「蜷川新右衛門」の菩提寺「臨済宗最勝寺」を開いた「亀阜豊樹」が「川人山鞍馬寺」・「赤丸浅井神社」で「赤丸村住藤原直家」の父親の十三回忌、十七回忌法要を営んだ記録に、【利波郡五位庄赤丸村】が歴史上、初めて登場する。
(※蜷川新右衛門は「一休さん」に登場する「新右衛門さん」の事。連歌の宗祇の高弟で、蜷川氏は室町時代には室町幕府政所代として「越中新川郡、利波郡」を統治したと言う。)
◆《南朝のシンボルの「赤丸の御旗」》
【赤丸村】には「赤丸浅井城」、「赤丸浅井神社」が在り、南北朝時代迄は「南朝の後醍醐天皇の庄園」の「越中吉岡庄」で在った。「後醍醐天皇」は鎌倉幕府との戦いに【赤丸の御旗】を使用されており、自らも冠に真言宗で最高の仏とされる「大日如来」のシンボルを付けて幕府の懲袱をされたと言う。
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■「赤丸浅井神社」の「別当」の「川人山林鞍馬寺」は京都の門跡寺院の「聖護院」の末寺で在り、皇室とも縁が深い。又、室町時代になると「皇室庄園越中国吉岡庄」は「五位庄」に改名され、足利幕府の御糧所となった「五位庄」は義満が創建した「相国寺」(※塔頭寺院に金閣寺がある)へ寄進した。「越中国利波郡」はこの時に「越中国蜷川郷」に蜷川城を構えた「蜷川氏」が統治したと言う。「蜷川氏」は、義満の母の「紀良子」が「蜷川氏」の縁者で在った事から、蜷川氏は足利義満の側近として「室町幕府政所代」の要職に在った。「赤丸村」は、その室町幕府の直轄庄園で在った。
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■「畠山文書」の「越中絵図」には、「赤丸浅井城」に室町幕府管領の「畠山持国」の直轄領の記載が在る。(※「羽曳野資料叢書」)
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富山市蜷川の「蜷川新右衛門」の菩提寺「臨済宗最勝寺」を開いた「亀阜豊樹」が「川人山鞍馬寺」・「赤丸浅井神社」で「赤丸村住藤原直家」の父親の十三回忌、十七回忌法要を営んだ記録に、【利波郡五位庄赤丸村】が歴史上、初めて登場する。
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■富山市蜷川の「蜷川新右衛門」の菩提寺「臨済宗最勝寺」を開いた「亀阜豊樹」が「川人山鞍馬寺」・「赤丸浅井神社」で「赤丸村住藤原直家」の父親の十三回忌、十七回忌法要を営んだ記録に、【利波郡五位庄赤丸村】が歴史上、初めて登場する。
(※蜷川新右衛門は「一休さん」に登場する「新右衛門さん」の事。連歌の宗祇の高弟で、蜷川氏は室町時代には室町幕府政所代として「越中新川郡、利波郡」を統治したと言う。)
◆《南朝のシンボルの「赤丸の御旗」》
【赤丸村】には「赤丸浅井城」、「赤丸浅井神社」が在り、南北朝時代迄は「南朝の後醍醐天皇の庄園」の「越中吉岡庄」で在った。「後醍醐天皇」は鎌倉幕府との戦いに【赤丸の御旗】を使用されており、自らも冠に真言宗で最高の仏とされる「大日如来」のシンボルを付けて幕府の懲袱をされたと言う。
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■「赤丸浅井神社」の「別当」の「川人山林鞍馬寺」は京都の門跡寺院の「聖護院」の末寺で在り、皇室とも縁が深い。又、室町時代になると「皇室庄園越中国吉岡庄」は「五位庄」に改名され、足利幕府の御糧所となった「五位庄」は義満が創建した「相国寺」(※塔頭寺院に金閣寺がある)へ寄進した。「越中国利波郡」はこの時に「越中国蜷川郷」に蜷川城を構えた「蜷川氏」が統治したと言う。「蜷川氏」は、義満の母の「紀良子」が「蜷川氏」の縁者で在った事から、蜷川氏は足利義満の側近として「室町幕府政所代」の要職に在った。「赤丸村」は、その室町幕府の直轄庄園で在った。
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■「畠山文書」の「越中絵図」には、「赤丸浅井城」に室町幕府管領の「畠山持国」の直轄領の記載が在る。(※「羽曳野資料叢書」)
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